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第十九話 順番 連載 中の上に安住する田中

 雪がいつの間にか降り始めた。僕は正月の間に鈍りきった体を駆って、思い出の学校まで少し散歩に出ることにした。はんてんの上にもう一枚外套を羽織っただけだが、もう暗く人気もほとんどない田舎。夜目遠目にはなんの問題もないだろう。
 ああ。明日には、京都に戻らなければならない。
 小さな神社の庭を通り抜けたところに、腰までの石垣があって、小さなセンリョウが月明かりに鈍く照らされている。この近くにブルーベリーの原種のような木もあって、とある先輩に教えてもらってからは、登校途中に、毎朝食べていた。やはり、何も変わっていなかった。
 ここらの子供たちは全員。もちろん兄も姉も通った学校だったが、来年度から別の学校と併合されて、なくなってしまうらしい。その後はイベントや展示の会場として使えるように改装するという噂らしいが、こんな田舎の学校に需要があるのかは疑問だった。
 僕は暗がりの中、小さな紫色の身を積んだ。
 ブルーベリーの原種のことを教えてくれた先輩は、障害のある人で、名前も知らないけど同じ学校であることは認識していた。でも彼の特徴のある歩き方——低い唸り声のようなもので歌うようにして歩く——や、いつも一緒にいる特別教室の先生の屈託のない笑顔は強く印象に残っていて、むしろよく知っている人だという気さえしていた。不思議な人だった。

 偶然早く家を出た僕は、たまたま彼が紫色のちっさな身を摘んでいるところに遭遇した。怪訝に思って歩みを緩めた僕に、彼は気がついた。
「おん、うんえ」
 彼は実を差し出し、うなった。
「これ。食べてみえ」
 どこか漫才の関西弁のようでもあった。彼は持っていた実を口に放り込み、美味しそうに飲み込んだ。僕も震える手で古く、萎れたブルーベリーみたいな実を摘んだ。彼のなんとも満足そうな笑顔には逆えず、それは、そのまま口に入れるしかなかった。酸っぱかった。でも下手な苺より甘かった。
「どや」
 でもその味は、瞬間的にうすれてゆくようで、一粒では感想も生まれなかった。今度は一気に三、四粒つまみながら、
「いける」
 と返事して頬張った。当時の僕は、いけないことをしているようで、その感覚に酔い始めていた。別になんともないことなのに、道端で知らないものを食べるのも、登下校中に飲食するのも。でも、また手はすぐ枝に伸びた。が、彼は厳しい声で唸り、僕を制止した。
「んや。なくなってない。のこせ」
 強い口調と彼の、独特の予備動作に殴られるのかと思った。でも違った。彼は守ろうとしているのだった。彼の些細な愉しみを、そして——あるいはそれ以上に、このしょぼいブルーベリーの原種のことを。

 今度は僕の番だった。

 続く

第二十話 Good Bye

目次(Back Number)

連載 中の上に安住する田中 ——超現実主義的な連載ショートショート——

この物語はフィクションです。

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