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映画「うちげでいきたい」監督・孫大輔さんインタビュー~前編~

在宅看取りをテーマに2021年から2022年にかけて大山町を舞台に製作された映画「うちげでいきたい」の監督、孫大輔さん。孫さんは、過去にも東京の下町を舞台に、人々の健康と地域との関わりを描いた短編映画「下街ろまん」をまちの人たちと一緒に製作した経験を持つ。2年前に東京から鳥取へ移住した孫さんは、現在は鳥取大学で総合診療医として働きつつ、地域医療の教育と研究にも携わっている。
そんな孫さんに、在宅看取りをテーマにした映画「うちげでいきたい」を製作するきっかけや大山町での映画製作についてお話を伺った。

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今、大山町で映画製作をすること

磯崎:前作「下街ろまん」から2年、今回大山町で映画製作をするきっかけを教えてください。

:大山町でも映画がつくれたらと思っていたところに、「大山100年LIFEプロジェクト」の話が舞い込んできて。在宅看取りの映画について提案をしてみたら、幸運にも採用されました。

「下街ろまん」の時は脚本を自分で書いたのですが、今回は僕の方であらすじを考えて、脚本は岡山県奈義町で劇団OiBokkeShiを主宰している、青年団の菅原直樹さんにお願いしました。菅原さんとは、東京時代から奈義町で地域のウェルビーイングを高めるために、俳優・演劇家と医療従事者がコラボレーションした「まちづくり演劇」のプロジェクトでご一緒していて。脚本はぜひ菅原さんにと思いました。脚本だけ見ても作品として成り立っているし、青年団らしい演劇というか、すごく台詞が短くて自然なんですよね。プロの劇作家が書くと、こういう台詞になるんだなぁと感じました。

コロナ禍での撮影、ピンチに直面してうまれた一体感

磯崎:今回の製作で苦労したところはありますか。

:6日間で撮影したのですが、映画づくりが本業の人ばかりではないので、撮影スケジュールを組むのが、まるでパズルのようで苦労しました。

そしてやはりコロナ禍の中での撮影ですね。撮影日は、第5波がピークアウトしたすぐ後。スタッフやキャストに感染者が1人でも出たら撮影が不可能になる。もし撮影現場でクラスターが発生したらっていう緊張感も非常に強かったです。松江や岡山在住の俳優さんもいたので、打合せや台本の読み合わせはオンラインで行いました。本当はオフラインで稽古をやれたらよかったのですが、撮影当日に初めて全員が顔を合わせることになりました。

あとは、主人公の民代役をお願いしていた芝居歴50年の俳優さんが、撮影の1週間前に事情があって急遽降板になるということもありました。リハーサルも終えて、民代のイメージにもピッタリだったので本当に残念でしたが、ピンチに直面したことでチームに一体感が出てきました。

“大山町らしさ”を映画で表現する

磯崎:大山町が舞台の映画ということですが、大山町らしさを意識したところはありますか。

: 大山町の方言にこだわりたいという想いがあったので、菅原さんの標準語の脚本を、大山町出身の山﨑美月さんに方言脚色してもらいました。また、この映画は7〜8割が家を舞台に展開する物語なので、その物件探しが肝心でした。知人がちょうど借りる予定だった、大山町内の非常に良い雰囲気の古民家の空き家を使わせてもらえることになったんですが、まだ前の住人さんの物がたくさん家に残っていたので、自分たちで片付けもしました。僕ら素人がつくる映画では、生活感あふれる空間をつくるというのが一番苦労するんです。それが今回は奇跡的に色々な物が残っていた空き家を、逆に片付けることでやっと生活している感じの姿になった。ついこの間までここで誰かが暮らしていたんだなという空間を使わせてもらえたというのは、非常に大きかったです。

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町内の人脈をフルに使って

:衣装や小道具も、なるべくその空き家にあった物や、町民さんに声をかけてお借りしたものを使うように意識しました。ネットで買うこともできたのですが、町民さんにとって自分の持ち物が映画に登場することで関わりしろを作れたらとの思いがありました。

ロケ地も名和公園や大山診療所、エムマート(スーパー)、アマゾンラテルナ(テレビ制作会社)のTORICOなど、町内の場所や企業に協力してもらいました。大山町らしい風景を入れたいという僕のこだわりで、名和公園では赤い鳥居と海を入れました。馴染みある場所の素晴らしさの再発見になればいいなとも思います。
今回のコアメンバーは大山町に関わりのある人がほとんどです。町内での繋がりをいろいろと作ってくれ、ロケ地協力の手配を地元スタッフにやってもらえたのは大きかったです。コアメンバーは、僕以外全員映画づくりは初めてなんだけれど、前作もほぼ素人のスタッフで撮った経験があったので、このメンバーなら撮れるだろうという感覚はありました。

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対話をしながらみんなで映画をつくっていく

磯崎:映像にする際に大変だったことはありましたか。

:今回の映像化にあたっては、撮影編集を担当した川本さんの力が大きいですね。絵コンテも彼に描いてもらいました。僕と川本さんと撮影補助の吾郷さん3人が、現場で「どう撮ろう」ってディスカッションをすることも多かったです。

どういう画を撮るかで映画らしさがものすごく出るんですね。例えば主人公の民代が膵臓がんによる痛みで苦しんでいる場面があるんですけど、いかに民代が孤独の中で痛みに耐えているかを映像的に表現しています。民代の表情だけではなくて、空の布団を敢えて撮ったり、流し場の水滴の音を背景音に使ったりして。夕方4時頃に撮影したのですが、夜の場面なので、灯りを一切入れないように暗幕を張ってつくりこんで、このシーンが出来上がる。映画の現場らしい動きでした。

最後の方で、孫の莉奈が「いってきます」って言うシーンがあるんですけど、この時も莉奈が首からカメラを提げるか提げないかでちょっとした議論がありました。脚本には書かれていないことを、こちらで考えなければならない。出かけるときにカメラを提げてるのは不自然じゃないかとか議論しながら、演出も含めて考えながらつくっていくんです。そういうところは面白かったですね。

現場でいくつも議論があって難しいけど、出来上がった画を見て、やっぱりこうしておいて良かったなって。細かいところを一つ一つこだわって良かったなと思っています。

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磯崎:対話を大切にする孫さんらしい映画のつくり方なのかもしれませんね。カメラマンは撮影、演出は監督、などと明確な役割分担はせずに撮影したのでしょうか?

:最終決定は僕がするんですけど、「ここはこっちの方がいいんじゃないか」みたいに、みんなで意見を出しながら進めました。僕がプロの映画監督じゃないってことはみんな知っているので、みんながどんどんこうした方がいいと言ってくれて、「それいいね」みたいな感じでゆるくディレクションするという感じでした。珠美役の申瑞季さんには「孫監督は後半になって監督らしくなってきた」って言われました(笑)。

磯崎:どんな方にこの映画を勧めたいですか。

:全年齢の方に観ていただける映画だと思っています。生と死を描いた家族の物語で、引きこもりの息子、シングルマザーの娘、高校生の孫娘などと家族のキャラクターがひとりひとり際立っています。だから、誰に対しても感情移入できて、どういう立場の方にとっても共感してもらえるような映画になっているんじゃないかと思います。地元の方がわかる風景や場所、大山診療所の井上医師が出てきたりするので、まずは是非地元大山町の方に観てほしいですね。

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後編では、映画「うちげでいきたい」の今後の展開や、映画のテーマである「在宅看取り」や「死」と向き合うことについて、医師でもある孫さんの想いを伺った。

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孫 大輔
総合診療医(家庭医)、鳥取大学医学部地域医療学講座・講師。映画学校ニューシネマワークショップ映画クリエイターコース卒。一貫して、地域における対話とウェルビーイングをテーマに活動してきた。前作の短編映画「下街ろまん」(2019年)では人々の健康とコミュニティとの関わりを描いた。2020年に東京から鳥取県大山町に移住。現在、地域で病院勤務と訪問診療を行いながら、教育・研究活動や地域活動に従事。「大山100年LIFEプロジェクト」のメンバー。
主著『対話する医療—人間全体を診て癒すために』(さくら舎, 2018年)。YouTubeチャンネル「そんそんずアカデミー」で、哲学・心理学など大人の教養番組を配信中。
インタビュアー:磯崎 つばさ
福岡→東京→福岡→東京→大山町。大山町に移住して7年。大山町高麗地区のまちづくり団体「ふれあいの郷かあら山」事務局。鳥取県内の情報をアートや文化的な視点で捉えるwebマガジントット編集部。趣味は短歌。

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