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映画「うちげでいきたい」脚本・菅原直樹さんインタビュー〜前編〜

在宅看取りをテーマに大山町で製作された映画「うちげでいきたい」の脚本を担当された菅原直樹さん。菅原さんは、岡山県奈義町で劇団OiBokkeShiを主宰し、「老い」「ボケ」「死」をポジティブに捉える活動をされている。介護福祉士でもある菅原さんが描く大山町での看取りとは。脚本へ込めた想いを伺った。

家族それぞれが死と向き合う、大山町を舞台にした映画

中山:今回、大山町で在宅看取りを経験した方や診療所スタッフの話を聞いて、菅原さんは大山町をどのように捉えられましたか?

菅原:地域での看取りの場所が「在宅でもありなんだ」って徐々に変わっていく所はすごくドラマがあるなって思ったんです。
今回の映画では、客観的に見るとこの家族だと在宅看取りは難しいだろうと思いますよね。熱心な介護者がいたり、環境が揃っているわけじゃない。こういう家族でも、それぞれがしっかりと死っていうものに向き合えば、在宅看取りできるんだっていうことを、映画を通じてお見せすることができたらなと思いました。

家族って本当に難しいなって僕自身も思うんですよね。他人に対しては優しくできるんだけど、家族には不器用になっちゃう。この映画でも、母の民代、娘の珠美、息子の雅文の想いがそれぞれ違って、ずっとぎくしゃくしてきている。でも民代が亡くなるっていう時に、それぞれがぐっと堪えながらも民代の想いに応えようとする。向き合う時間をずっと先延ばしにしてきた家族が、最後の最後でどうにか自分たちなりに向き合おうとする。そういうことが描けたらいいなと思ったんです。
脚本に大山町出身の山﨑美月さんの方言脚色が入ったことで、登場人物が今大山町で生きている人になっていく感じがしてありがたかったです。

中山:民代は、孫の莉奈にカメラを買うシーンで「(カメラが届く)明後日が楽しみ」だと口にします。その時に菅原さんが「終わりが見えている人にとって、楽しみがあることの意味」について語られていましたが、こうした視点は介護福祉士のご経験からくるものでしょうか。

菅原:介護の現場で感じたことが表されている部分もあると思います。でも「明後日が楽しみだね」っていう台詞は、そんなに意識せずに書いていました。台本を読み直して改めて客観的に見ると、こういうことを描こうとしていたのかなって今だから感じることもありますね。

今回脚本を書くにあたって、僕の父親が癌で亡くなった時に付き添いをしていたので、その時の経験が活かされたなと思います。ただ、そのパーソナルな体験によって色々な情景が浮かんできて、思い入れが強くなってしまった分、ストーリーとしてまとまりがない感じになってしまった。だから、プロセスとしては、一度書いたものからパーソナルな要素を削り落として、別の視点で再構築していくということをしました。

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ぎくしゃくしていた家族が、看取りを通して変わっていく

中山:民代の息子・雅文はインパクトの強いキャラクターですが、どのように生まれたのでしょうか?

菅原:雅文は、ずっとお母さんと一緒に暮らしていてほぼ引きこもりの状態。8050問題や引きこもってしまう心理というのに僕自身すごく関心があって、自分の家族のこととしても考えられるなと思っていて。家に引きこもっている中年の男性をよりリアリティのある形で描いてみたいなって思ったんです。最初は姿も現さないし、みんなが恐れているような存在ですよね。でも、介護や医療の人といった第三者が入ることによって、これまでの関係がちょっと変わっていくんです。

雅文と珠美っていうのは、引きこもる人とバリバリに仕事をする人というように対極にいるんだけども、もしかしたら問題は一緒かもしれない。両親から求められるものをすべて拒否した人と、それに過剰に応えようとする人みたいなね。そういう兄妹の関係も描けたらいいのかなと。雅文が全力で内へ内へと引きこもろうとしたら、珠美は全力で外へ外へと働きに出るような。お互い影響し合っているんですよね。

珠美と民代の関係もそうです。珠美がしてあげたいことを民代は望んでいないし、珠美も子どもの頃に民代から望んでないことをさせられて困ったと。そういうことって家族だとあるなあと思って。愛情はあるんだけど、どう表現したらいいかが難しい
珠美としては「他の治療をして、もっと長生きしてもらって親孝行したい」っていうのが本音なんだけど、それはぐっと堪えて最後ちょっとお母さんが望んでいることをやるっていうね。だから、今まで簡単な会話すら難しかった家族が、それぞれ不器用なりに相手を思いやるような感じになっているのかなとは思いましたね。

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残された時間の過ごし方――自分の人生を生きるとは

中山:残り少ない時間を一緒に過ごすご家族の想いとは、どういうものなのでしょうか。

菅原:残された時間っていうのは常に意識してしまうので、登場人物たちは葛藤するわけです。病院で治療して長生きしてほしいっていうのもあるだろうし、辛い思いをしてまでも治療を受けたくないっていうのもあるだろうし。でもその時に、それぞれの想いを主張して対立するのではなくて、今この瞬間を共に楽しむというか、後悔しない関わりってなんなのかっていうことを考えるのかもしれないですね。

もう一人の主人公である莉奈(珠美の娘)は、映画が好きな高校生ですよね。自分の好きなことをやるっていうのと家族の問題が重なってくる。だから「うちげでいきたい」、自宅で死にたいっていうのは、自分の人生を生きるっていうことにもつながって、莉奈の「映画をつくりたい」っていう気持ちとも重なってくるのかもしれないですね。

在宅での看取りは、それまでの人生と地続きな感じが病院よりも色濃く出てくるんだろうなと思いますね。自宅はホームだけど、病院になるとアウェイになるので。ただ、今回の映画ではあまり描いていないのですが、家よりも病院の方が安心するっていう家族の想いもまだまだ強いと思うんです。今後大山町で「在宅看取りもできる」という意識が広がって、あちこちでよりその家族らしい看取りのドラマが生まれるといいなと思います。

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映画を観た人同士で語り、死と向き合えたら

中山:これから映画を観るみなさんへメッセージがあれば教えてください。

菅原普段なかなか素直になれない自分の家族や大切な人に、改めて向き合ってみようかなって思ってもらえたら嬉しいですね。看取りや介護の現場は、家族間での対立が起こるわけですけど、家族を想う気持ちは一緒だったりするんです。それを経て見えてくる家族の像っていうのがあるんじゃないかなと思うんですよね。

中山:完成したら、菅原さんも一緒に映画を観た後にみなさんで語る会ができたらと思っています。

菅原:それはぜひ参加したいですね。映画を観て、お客さんがそれぞれの家族のことを語り合って、介護や看取りについてさらに考えを深められたらいいですよね。介護や看取りのことはあまり話す機会がないですが、実はみんな話したがっているんじゃないかなと思うんですよ。この映画がそういう場のきっかけになればとても嬉しいです。

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※インタビュー後編は、介護と演劇は相性が良いと考える菅原さんと、癌の宣告の時、介護の現場、日常の様々な場面で登場する演技を例に、真実とは一体何なのかを考えていきます。

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菅原 直樹
1983年栃木県生まれ。劇作家、演出家、俳優、介護福祉士。
「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。平田オリザが主宰する青年団に俳優として所属。
2010年より特別養護老人ホームの介護職員として勤務。2012年、東日本大震災を機に岡山県に移住。2014年「老いと演劇」OiBokkeShiを岡山県和気町にて設立し、演劇活動を再開。並行して、認知症ケアに演劇的手法を活用した「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開。さいたまゴールド・シアターと共同し制作した『よみちにひはくれない 浦和バージョン』(2018年/世界ゴールド祭)、OiBokkeShi×三重県文化会館「介護を楽しむ」「明るく老いる」アートプロジェクト(2017年~)など、劇団外でのプロジェクト、招聘公演も多数実施している。
インタビュアー:中山 早織
元書店員の助産師・コミュニティナース。2014年に東京より鳥取へ移住。現在は大山町で地域活動や聞き書きを行う。大山100年LIFEプロジェクトメンバー。映画では小道具・衣装を担当。

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