見出し画像

観相師・景春 第一話

●1.放浪
 板倉景春は、書見台の前に座っていた。頁を捲りかけた時、廊下を走ってくる足音がした。
「殿、一大事にございます。徳川勢の支隊2000がこちらに向かっております。明朝には到着するかと」
「何、2000か。我が方は、総勢90であろう」
「100人はおります。かつての信長様のように奇策を講ずればなんとか」
「戦いは無理だろう」
「殿、北条家に対する御恩に報いるためにも、徳川勢を押し留めておかねばなりません」
「秀吉と家康相手では、北条はもう無理だ」
「父上、そんな占いの書物など読まずに、ここは一つ、武勲を立てる良い機会かと存じます」
書院に駆けつけた嫡男の景元が景春に詰め寄っていた。
「殿、景元様もこのように申しております」
「父上、私は城を枕に討ち死にする覚悟でございます」
景春は、家臣と嫡男を見る。
「無駄死にはしたくない。この上九沢城は明け渡して、命だけは助けてもらい徳川方に」
「父上、父上は腑抜けでございますか」
「殿、大殿が手にした城を手放すおつもりですか。情けない」
「城と言っても一層二階の砦のようなものじゃないか」
景元は景春を睨んでいる。
「よし、皆を大広間に集めよ」
景春は、雄々しく立ち上がり言い放つ。

 大広間には、早々と具足を着けている者までいた。
「皆、集まったか」
景春が言うと、家臣たちは、注目する。
「この戦、どう考えても無駄死になる。ここは城を出て、再起を図ろうではないか。我に続け、続くのだ」
景春が叫ぶが、落胆の声しか聞こえてこなかった。景春は、掲げた手をゆっくりと下す。
「我に続くもの、おらんのか」
「殿、どういうおつもりですか」
家臣の一人が言う。
「父上、父上は、腰抜けでございます。これよりこの私が、皆を率いて戦います」
「若の言う通りだ。若の元で存分に戦いましょうや」
家臣の一人が声を上げると、一同がどっと沸いた。景春の立場は一挙に丸つぶれである。
「景元、父に逆らって戦うつもりか」
「もう今日限り、父上ではございません。出ていかれるのなら、早々に立ち去るがよいでしょう」
「皆、わかっておらんな、我に続くものはあるか」
3才の次男の景親を抱えた妻の久代と、庭師、侍女一人が景春のもとにゆっくり歩み寄った。
「母上のお考えもそうですか。わかりました」
景元は、仕方ないという顔をしていた。
「腑抜けは、出ていけ」
家臣の一人が叫ぶ。

 景春たちは、夜のうちに、こっそりと城を出た。遠い縁戚筋を訪ねるべく、川越方面に歩き出した。途中、徳川勢の支隊の一派と遭遇したが、百姓の恰好をしていたので、全く気づかれなかった。

妻・久代の遠い親戚筋の農家は、今にも崩れそうな家であった。久代が声をかけると、日に焼けた黒い顔の男女が出てきた。
「悪いけど、面倒見切れねぇ、帰ってくれ」
男の方が言った。
「野良作業なら、なんでもしますから、しばらく置いてはもらえませんか」
久代は、城から持ち出した反物を見せて、言っていた。
「あんたら、北条方だろう。そんな反物よりも、あんたらを徳川様の軍勢に差し出した方が銭になる」
「今は、北条方ではありません」
久代の様子を黙って見ていた景春。
「わかった。久代、もういいだろう。行こうではないか」
景春は、久代が見せていた反物を背負子に入れていた。

 景春たち一行は、街道のわき道にある地蔵の前で小休止していた。
「景春殿、どうしますか」
久代は、無念そうに景春を見ている。
「なんとか、なるであろう。この付近は、見捨てられた寺があるではないか、そこで雨露はしのげる」
「殿、あっしが壊れかけの寺をきれいに直してみせますよ」
「源兵衛、頼むぞ」
「さて、さっき歩いてきた道すがら、お堂があったな、あそこはどうだ」
「殿、足が痛くなってしまって」
「どうした、つる、良く見せろ。あぁ、こりゃ豆だらけだな」
景春は、つるの血がにじんでいるわらじを見ていた。
「決めたぞ。あのお堂の戸板を外して持って来よう、それで、つるを運ぼう」
「さすがに景春殿、侍女にも優しいお心をお持ちで」
久代は、嬉しそうに景春を見つめている。
「殿は、やっぱり武将には向いてませんな」
「源兵衛、余計なことは言わずに、お堂へ急ごう」

 お堂の穴の開いた屋根から、雫がぽたぽたと落ちてきていた。
「取りあえず、お堂があって良かった」
景春たちは、雫が落ちてこない、一角に寄り添っていた。
「源兵衛、このあたりは、どんな土地かわかったか」
「へい、水はけが悪くて、作物が取れず百姓たちは、逃げ出してしまった土地のようでして、動けない年寄りたちが、数人いるだけの貧しい所です」
「年貢の取り立ては、どこが取り仕切っているのだ」
「北条様でしたが、今となっては、どうなることやら」
「そうか、だとしたら、今ここにいても、誰も文句でないようだな。このお堂の周りの土地をいただこう」
「景春殿、」
久代は、抱きかかえていた景親を落としそうにしていた。
「殿、ええっ」
源兵衛は、はじめ渋い顔をしていたが、徐々に嬉しそうな顔になっていた。
「あっしの、庭師としての腕の見せ所でもありますかね」
「まず、明日、観相術を手土産に土地の古老たちに挨拶でもしておくか」

 翌日、景春は、久代と二人で、古老の家に赴いた。農家の戸が開くと、刀を構えた古老が立っていた。何も言わずに、斬りかかってきたが、景春はとっさに避けていた。一応武家の端くれだったので、それぐらいのことはできた。
「ちょっと、そんな物騒なものはしまってもらえますか。別に戦うつもりはないので」
「それじゃ、何しに来た」
「この土地に根を下ろそうと思って、挨拶に来ただけですよ」
景春の横に久代しかいないので、少し安心した古老。そのうち古老の妻も表れ、部屋の中に招かれた。

 「こんな土地に好き好んで住もうとは、見上げた根性だ。まぁ、見ものだな」
土地の古老の代表格の弥二郎は、しっかりと景春の顔を見据えている。
景春も弥二郎の顔をしげしげと見ている。
「弥二郎さん、あなたは結構強情で、なかなか相手を信用しないようですね。一見すると人当たりが良いように見えますがね」
景春の言葉に、ちょっと動揺している弥二郎。
「景春さんとやらは、人の性分がわかるんですかい」
「私の言ったことが当たっていますか」
「当たっているといえば当たってますがね。他には何がわかります」
「何事にも粘り強く接するはずです」
「おぉ、確かに」
「さらに眉が長くて美しいので、身内思いであるはず」
「ほぅ、あんたは、なかなか変わっているな」
弥二郎は、不敵な笑みを浮かべていた。
「なんの施しもできないが、あんたらの邪魔はせんよ」

 景春たちは、畑を整備して、合間を見て、お堂を直していった。城から持ち出した蕎麦の種を蒔いておいた。
「源兵衛、お堂は、ちゃんと人が住めるようになったな」
景春は、天井の穴が塞がった所を眺めていた。
「後は、蕎麦がちゃんと育ってくれるのを待つしかありやせん」
ちょうどその時、久代が、反物を銭に替えて、戻ってきた。
「久代、どうであった。かなりのカネになっただろう」
「景春殿、それが、これっぱかしなのです」
久代は、申し訳なさそうに銭を見せていた。
景春も、残念そうな顔をしたが、思い直したように、微笑んだ。
「まぁ、良いではないか。少なくとも4~5日はなんとかなるだろう」
「それでも」
久代は、心苦しそうにしていた。
「そうだ、源兵衛、イノシシでも捕って来るか」
「殿、それは良い考えでございます。さっそく弓を作りましょう」
「それじゃ、弓ができたら、知らせてくれ、それまでは、あれを読んでおかないと」
景春は観相術の書物を探し始めた。 
「全く、景春殿は、いつでも観相術ですね」
久代は、どことなくそんな景春を支えたくなる性分であった。

 半年後、景春が蕎麦の実を石臼で引いていると、弥二郎の娘が訪ねてきた。
「何か食べ物をわけてくれませんか」
「どうしたのです、弥二郎さんの所なら、食べ物は沢山あるでしょうに」
景春は、見るからにやつれている女を上から下まで見ていた。
「うちの畑が、イノシシに荒らされて、何一つなくなってしまいました」
「それじゃ、この蕎麦を一緒に食べますか」
「殿、これは、我々の分ですぞ、分け与えてしまっては」
源兵衛は、引いた実をかき集めていた。
「まぁ、良いではないか、困っているのだ」
景春が言うと、弥二郎の娘は、若干顔つきが和らいだ。
「ところで、弥二郎殿はどうした。すっかり痩せ衰えて歩けないほどに」
「そうか。それでは、わしが蕎麦がきを届けてやろう」
「そんな申し訳ありません。私が」
「良いのだ」
景春は、娘をなだめていた。
「源兵衛、やっぱり、景春殿は、武将には向いていませんね」
「奥方の言う通りでさぁ。戦国の世に、良くぞここまで生きて来られたと感心しています」

 景春たちは、弥二郎親子に蕎麦を分けたことで、せっかく収穫した蕎麦の実をほとんど食べつくしてしまった。
「殿、北条攻めに加わった真田勢の人たちが、街道筋を引き上げて行きます」
源兵衛が、息を切らせて報告した来た。
「北条はどうなったのだ。それに景元たちは」
景春は、書物を丁寧に閉じると、立ち上がった。

 街道筋には、足軽風体の8人とそれを率いている足軽頭のような男が、歩いていた。
「お武家様、北条攻めはいかがなりましたか」
景春は、自分が武将であったことを隠すように、農民をわざとらしく演じていた。
「川越近くの百姓も気になるか」
足軽頭は立ち止まると少し偉そうにしていた。
「これで、秀吉様の天下平定がなされたわけだ。もう田畑を荒れることはないだろう」
「周りの出城は」
「出城もことごとく、討ち取られた」
景春は、ごくりと唾をのみ込む。
「するってぇと、これからあっしらは、どちら様の下になるのですか」
「たぶん、このあたりは徳川家の誰かの所領になるだろうな」
「そうですか。しかし、あなた様の目は、象眼ですな」
「象眼だと、それはなんだ」
「観相学では、目尻が長く、目が細くて小さい目をそのように申します」
「あぁ、あんたもその口かい」
「これは年を取るに従って運が良くなる相です」
「こんな所にも、我が殿と同じことを申す者がいるとは」
足軽頭は、珍しいものでも見るように景春を見ている。
「今、我が殿と申しましたね。真田様も観相学をやられているのですか」
「いや、上田のお殿様ではなく、支城の長野原城主・湯本善光様だ」
「湯本様は、観相学に肩入れしておられるのですか。ちょっと待ってください。書をしたためますので」
景春は矢立を取り出し、書状を書き始める。
「おぬし、ただの百姓ではないな」
足軽頭はたじろいでいるが、景春はお構いなしであった。
「一度、湯本殿にお目にかかりたい。よろしくお頼み申す」
「ふーん。そうか、わかった。これを渡せば良いのだな」
「たぶん、湯本殿は、あなたに褒美を取らすほど、お喜びになるはずです」
「そうなのか」
足軽頭の汚い懐に書状がしまわれた。9日後、長野原城から使者が来て、景春たちは招かれることになった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?