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母と娘で歌った歌を

先日、企画に参加してカラオケのことを書いた。
カラオケのことを書こうとすると、母の話は避けて通れない。

私が音楽好きになり、仕事で少なからず音楽に関わり続けているのも、
弟が友人とバンドを組み(それも社会人になってから!)未だに趣味として音楽活動を続けているのも、
紛れもなく母の影響であると思う。


母は音楽が好きだ。

母は歌が上手い。ピアノは保育士(当時は保母さん)になるために、何とかバイエルを知り合いに教わった程度らしい。ピアノは弾けないが、歌うのが好き。
最近では流行りの曲が理解できなくなってきたのと、家に物が増える一方なのとで、出来るだけCDを買わないようにしているらしい。

そんな母と歌との話。

母がパートの保育士をしていた時、担当していた園児が保育園で天童よしみの「珍島物語」を歌っているのを聴いてその歌を覚え、いいなぁ、と思ってカラオケで歌ってみたら、最後までほとんど正確に歌えたので、未だに「『珍島物語』を私に教えたのはあの子だ」と感謝していたり、

さらに昔、弟が幼稚園児の頃、母が聞いていたやしきたかじんを覚えてしまい、
♪うちはあんたの おもちゃやないよ〜(by『なめとんか』)と歌いだしたのでびっくりしてやめさせたとか、

同じく弟が幼稚園児の頃、母が持っていたアルバムのジャケットを覚えていて、祖母の家(しかも父の実家)でたまたまTVにうつった若い頃の松山千春を見て「あ、この人知ってるー、お母さんの昔の恋人やろ」と言ったので慌ててやめさせたとか(歌関係なかった)。

若かりし頃の松山千春さん。貼ってみました。


そんな母は、カラオケが得意だが、自分でカラオケボックスに行くと言うことはなく(職場の人とは親睦会などで行っていたかも知れない)、先の記事にも書いたように近所のスナックなどに飲みに行った時に歌っては、よく高得点を出して喜んでいた。

対照的に父はあまり歌わない。たまに歌っても、得点はそう伸びない。それでも、私が10代の時には父がカラオケで歌うこと自体考えられなかったので、飲み屋さんで両親が、それぞれのペースでカラオケを楽しんでいるのは、見ていて面白かった。


20代になり、私も度々、親にくっついて近所の飲み屋さんに顔を出しては、カラオケにも参加した。そして、時には母と2人で一緒に歌った。歌う度に、最高点数を記録更新したり、飲み屋のお客さんが拍手をくれたりするのを一緒に楽しんでいた。
今思えば、昔々祖母の家(父の実家)に、今は懐かしいレーザーディスクカラオケがあり、お正月に親戚が集まるたびにカラオケ大会が開催されていたから、母とのデュエットはその頃から始まったと思う。



という訳で、#お正月カラオケ 3回目の【企画参加】は(もうこれで最後ですが)、母と一緒に歌った思い出の曲、3選。新しい順にいきます。


Diamonds」プリンセス プリンセス (1989)
  作詞・中山加奈子 作曲・奥居香


名曲。プリプリの代表曲と言ってもいいかも知れない。
プリンセス・プリンセスは、まだ小学生だった時から、カセットテープに入れてもらってよく聞いており、他にもいっぱい歌った歌がある。
当時は、♪針が落りる瞬間‥の意味もあんまり分かっていなかったし(レコードはピアノの先生の家でたまにかけてもらう程度だった)、2番の歌詞の、♪幾つも恋して順序も覚えて‥なんて歌っていると、母にからかわれたりもしたけど。
終盤になって転調するのがまた、気持ちが高まっていいんですよね。

今回、企画参加しているチェーンナーさんの【お正月カラオケ】、他の方の記事を読ませてもらったら、プリプリや、このDiamondを挙げている方も沢山いた。納得!懐かしい気持ちになったので、今日さっそく聴き直そうと思います!

「大阪ラプソディ」海原千里・万里 (1976)
  作詞・山上路夫 作曲・猪俣公章

当然、私は海原千里、万里さんの歌っている姿はリアルタイムでは知らず、大阪のおばちゃん代表のようにバリバリ活躍されていた上沼恵美子さんしか知らない訳だけど、この歌はすごく好き。前奏がかかると何だかワクワクする。これぞベタベタな歌謡曲というか‥ポップスとは言わないんだけれど、演歌じゃない。聞いているおじちゃんおばちゃんが、一緒に手拍子して歌って盛り上がってくれる感じ。
‥関西人だからかな?
歌う時、♪宵闇の大阪は 二人づれ恋の街〜の、下のハモリは私が担当していた。




「恋のバカンス」 ザ・ピーナッツ (1963)
  作詞・岩谷時子 作曲・宮川泰

洒落たサウンドといい、甘い歌声といい、〝バカンス〟という響きといい。魅力が短い中にギュッと詰まった曲だった。スナックで歌うと絶対喜んでもらえるので、帰る間際に「締め」でよく歌った。
宮川泰さんすごいなぁ。
3曲振り返って改めて思い出したが、こうした懐メロはやはり、祖母の家のLDカラオケで覚えたのだと思う。何しろ、父は8人兄弟の末っ子だったので、叔父,叔母、従兄弟たちが集まる盆と正月は大宴会。昭和の幅広い世代の歌を覚えることができた。
ザ・ピーナッツはモスラの歌とこれくらいしか知らなかった。「情熱の花」は、何となくしか知らなくて歌いこなせなかったな‥



結婚して家を出、両親と近所のスナックに飲みに行くことも、母と2人でデュエットすることもなくなった。
今回、母と歌った歌を3曲挙げて、ちょっと懐かしい気持ちに浸っている。

母は元気だし、変わらず歌も好きだけれど、あの時のようにほろ酔いでマイクを持って、同じく酔ったお客さんの前で歌う、なんとも言えないフワフワした楽しさと、打ち合わせなしで母とハモる時の、ちょっとしたドキドキとを味わうことは、もうないのかも知れないな。


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