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悔しかった歌の話(ほろ苦編)

さて。
今回は、Meiarさんの記事から知った企画に参加したくて、カラオケにまつわることを思い出している。


カラオケで好きな歌ならなんでも、得意でも歌えなくてもよいので3曲、とのこと。
多分思い出せば山のように出てくるはず。

・幼なじみと歌ったB'z3曲(3曲では収まらないが)
・これぞカラオケど定番、世代を越える3曲
・カラオケボックスがライブ会場のように盛り上がる3曲
‥など、いろいろ思い浮かぶが、
今回は敢えて、

「あの時好きだったのに、上手く歌えなくて悔しかった3曲」
のことを、書きたいと思う。

はじめは、最近家族で行ったカラオケで、ブランクが空きすぎて歌を忘れてしまっていたことを書いていた。が、長くなりすぎて3000字に届きそうだったので、削りました。


そもそも家族でカラオケに行って上手く歌えなくても、自分が悔しいだけであって、特に恥ずかしい訳ではない。

10年、20年前は違った。職場の忘年会や親睦会の二次会で、8割くらいの人が自動的に参加する、それが、カラオケだった。そういう時代だった(と思う)。
歌は好きだしカラオケも嫌いじゃない。
でも、職場の同僚や上司たちと、または世代の違う人が聞いている前で歌うのは、ただ〝好き〟な歌を〝楽しく〟歌うのとは違う、ちょっと、いやかなり気遣いというか、ストレス的なものはあった。
歌うことが苦手な人なら尚更だったと思う。


Meiarさんも書いているけれど、基本、職場のメンバーと大人数で行くようなカラオケは、皆が皆、真剣に人の歌を聴いている訳ではない。
それでも、

もう少し歌えたはずだったのに‥
もうこの曲は人前では披露しないでおこう‥
と、自分で自分にダメ出しをしてしまった曲、というものがある。

いってみます。

宇多田ヒカル 「Automatic」(1998)


衝撃的だった、ヒッキーの登場。
小室サウンドも浜崎あゆみもモー娘も。世代的には真ん中であるにも関わらず(真ん中なのか?)全くハマらなかった私。
宇多田ヒカルは思わず買って、がっつり聞いた。アルバムのどの曲もそれまで聞いたことのない、格好良さがあった。
この時は、まだ私も20歳前だったので、カラオケは主に友人や部活のメンバーと行くくらいだったが、たまたま親と行ったスナックで、カラオケを歌うことに。
(あれ、ここまで書いて思いましたが年齢おかしいですね。記憶違いか、スナックに行った時は年が変わって20歳になっていたことにします。)

それまで持ち歌は、ドリカムやプリンセスプリンセス(親の前、しかもスナックだったからB'zは封印してた)だったので、何か最近の歌を‥と思った私は宇多田ヒカルをセレクト。

見事に、外してしまった。
音程を、という訳ではない(と思う)。
でも、絶妙に、歌えていない。雰囲気、リズム、節回し‥いろんなモノが、自分にも、その場にも合ってませんでした。
その後も、何度か別の曲で試したけど、何とかいける(と思える)歌と、どうも人前で披露するに至らない歌とがあるのが、宇多田ヒカルの難しいところ。
久しぶりにアルバム聴きたくなってきた。

今って、もうスナックとかでもカラオケやってないのかなぁ‥。
いろんな人のいろんな歌が聞ける人生勉強の場、ではあったなぁと思う。


Superfly 「愛を込めて花束を」(2008)


とにかくこの人は、めちゃめちゃ歌が上手い。
私も彼女の伸びやかな声が好きで、アルバムも買ってよく聴いている。
これも歌いたくなってしまう歌だし、歌えると最高に気持ちいい曲!知らない人が歌ったカラオケの履歴とかにもよく残っている。


‥なのだけれど、たまたま職場の忘年会か何かの二次会で、「○○さん、Superflyとか歌える?聞きたい!」と言われ、ちょっと調子に乗ってしまった私は、その時はまだCD持っておらず全然練習もしてなかったのに、「あ、いけるかも」と思ってしまった。

‥いけたと思ったのは一番だけだったなぁ‥

大サビというか、Cメロというか。新しいメロディが登場して(しかも英語)かっこよくラスサビにつながるところで、ウダウダなってしまったのが、未だに悔しくて忘れられない。
せっかく聞きたいと言ってもらったのに‥
曲が終わってちゃんと拍手してくれる同僚の優しさが、切なかった。

今なら、あの時よりはちゃんと歌えると思う。
(喉の調子の良い時に限ります)
と言うか、中途半端に照れずに、歌うぞ!という勢いがないと、後半は乗り切れない歌だと思う。

太田裕美 「木綿のハンカチーフ」(1975)


カラオケって、先述したように、家族や友だち以外の人と行く時はとにかく選曲に気を遣う。

その日、私は親睦会の担当だった。仕事でも、その直前まで自分メインで動いていたイベント(というかなんというか)があって、体力的にも気力的にも必死だった。
若かったし、仕事はやればできるという気持ちはあったけど、正直親睦担当って、ビール注いでまわったりとか、注文聞いてまとめたりとか、普段遣わない気をまわさなくてはいけなくて、疲れていた。

どうせ一回はカラオケ順番回ってくるんだから、ここは諸先輩方でも知ってる歌にしとけば、間違いないだろう。
元々、母の影響で、懐メロは得意な私。しかもこの歌は椎名林檎がカバーしていたのをよく聴いていたので、最後まで歌える自信があった。

曲の終わり。ほどほどに気持ちよく歌えて、自分なりに満足していた。会釈の一つもし終えてドリンクを飲んでいると、隣にいた管理職から一言感想が。

「ちょっと、違うんよなぁ。そうじゃないんや、この歌は。」

???

何が違うのか。何がそうじゃないのか。

多分、原曲をろくに知らず気持ちよく歌ってる若い子(当時の私ですよ)には、この歌の雰囲気や太田裕美の魅力は出せん、と多分そういうことを言いたかったのだと思う。
私だって、普段その人にはとーってもお世話になっていたし、人柄だって関係だって悪くなかったのだけれど。

何でカラオケで自分の生まれてもない時代の歌歌って、そんなこと言われなあかんのか。
頑張って一仕事して、一人一人ビール注いで回って、かけられる言葉が、労いの言葉でなくて歌のダメ出しか。

トイレに行ったら、泣けてきた。

若かったんだなぁ、私。
と言うか、疲れてたんだと思う。

電車の時間があるし、しんどくなったので、帰ります、ともう1人の親睦担当にこっそり言って、こっそり抜けて帰った。あれから、この歌はカラオケで歌ったことがない。時々、口ずさんでしまうけれど‥。(いい歌ですよね。多分その人も、個人的に好きな歌だったんだろうな)


という訳で、ほろ苦いカラオケの思い出三選でした。

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