見出し画像

アメリカに居た時のハナシ

2016年9月
全くアテも無くアメリカに行った

当時23才
海外に行くのは初めて
Tシャツ短パンで飛行機に乗り
飛行機の中が寒すぎて地獄をみる....


全くアテも無くってのは言い過ぎた

宿泊先のアテはあった

渋谷のバーで知り合ったマイアミから日本に旅行しに来てた同い年の青年の実家

今、30才になり、同じ勢いで行けるかと言うと
たぶん躊躇するだろう

ただその時の自分は年齢的ノリ以上に
プロレスラーとしての夢を諦めるかどうかの瀬戸際だった

18才某団体の練習生でした

自分は挫折に次ぐ挫折に次ぐ挫折で今がある

高2の始まりに初めてプロレスを観た

友達が半強制的にWWEを観せてきたのが始まり

痛い事がいやだ→柔道の授業がいやだ→格闘技には興味ない、そんな自分は、プロレスももちろん興味が無かった

家族で見る人は誰も居ないから

プロレス=黒パンの人がラリアットとかするやつ

という印象だった......

だからWWEを観て衝撃だった

なんだこれ!?
めちゃくちゃ華やかで
入場がカッコよくて
客が異様に盛り上がってて
何より試合以外のマイクとかが衝撃だった

HipHopが大好きだった自分は
まずは入場曲にハマった
John CenaやR-TruthといったRapするレスラーに衝撃を受け

まるでRapバトルの様なマイクでの言い合い

試合以上に
プロレス=格闘技
という概念が破壊され
気づけば毎週放送を観る様になり
私生活で1番の楽しみになった

高校3年間で1日だけ学校を休んだ日がある
2年生の冬、WWE日本公演を観に仮病で休んだ


高2がスタートしたくらいに見始めて

高2の夏、進路相談が始まった

通ってた高校はスポーツ校で、野球が強く(ベンチ外のド下手でした)進学や就職にも野球部の名前は優位に働くような感じだった

進学?就職?

初めての進路相談で自分は

"先生、僕はプロレスラーになりたいので進学も就職もしません、なので進路相談はこれで終了で大丈夫です!"

親を呼ばれ三者面談になりました....

色々な反対意見を押し切り

気づけば高校卒業

進学も就職も決まってない野球部員はオレくらいだったハズ.......

ここからが大変だった

プロレスラーってどうなるんだ?

WWEしか見てなかった自分は悩んだ

アメリカ行けばいいのか?アメリカってどうやって行けばいい?
わからねぇ.....

とりあえずアメリカ行きは諦めた

日本の団体に入って活躍してアメリカに行けばいいか!

本当適当だったなと今でも思う

その時、練習生募集という広告を出してた
某A○PW に履歴書を提出

書類審査は合格、体力テストへ 

WWEしか見ていない自分は
プロレス=ウェイトトレーニングみたいな認識

マット運動やらスクワットやらなんやらかんやら初体験の事ばかり...

ボロッボロだった

その時、唯一合格者がいた
体力テストは自分の事で精一杯だからどうだったか見てなかったが
その合格者は自己PRの時が圧倒的だった

野球しかしてなかった自分に特技などなく
唯一特技ぽいのが野球部内でウケてたプロ野球選手のモノマネ

コレしかやる事がねぇ!となり
その時、巨人の4番だったラミレスのモノマネをして失笑

自己PRのトリはその合格者だった

未だに覚えてる

あの時、テストがキツすぎてフラフラで細かい事は思い出せないが

後にアン○ィ・ウーとして活躍するやつの
酔拳の演舞は頭から離れない

その10年後、その演舞を
頻繁に観る事になるとは...

頭から離れないのは
その演舞が凄かっただけじゃない

あぁ、こうゆう凄い事、出来ないとプロレスラーにはなれないんだ....

なんか現実を見せられた感じがあり
ショックだったので未だに忘れれない

失意のまま北海道に戻り、親に報告した

だが
まだココロは折れてなかった

その2〜3ヶ月後
また練習生募集の広告を見た
しかも随時募集だ

オレは即応募した

また書類審査が受かった

体力テストを受けた

全然クリア出来なかった

テストが終わった時、あーもーむりだーってなってたが

"じゃーいつから入寮できる?"と言われた

身長と若さで採用された

理解するのに時間がかかったが

実家に戻って準備したらすぐ来ます!!
と伝え

その場を去った

マジか?
受かってしまったのか?

たぶん受かってなかったら
就職を目指したと思う

親からもそんな簡単になれる職業じゃないでしょと言われてて

仕事して余裕できてからまた目指したら?と言われてたから

だからまさか受かるとは思ってなかった

北海道に戻り、すぐに荷造りし道場に向かった

2011年夏前
某NO○Hに入寮した

北海道に18年、本州の夏など経験が無く
ただでさえ暑がりな自分は

とにかく東京の暑さに苦しんだ

体力が無いのもあるが
暑い
マジで暑い
道場の中は更に暑い

なんだコレ、サウナか....息できない暑さだ

連日の練習、暑さに耐え
全然練習について行けないが根性でしがみついてた
何も特別な才能が無い自分だが、プロレスをやりたいという気持ちだけはあった

今はさすがに時効だろうから告白するが

A○PWもNO○Hのテスト受けた時も
基本WWEしか観てない状況だった
A○PWを受けた理由は友達から背が高いならそこがいいよ!と言われ
NO○Hは海外選手との交流が多いから、ここなら夢のアメリカに行けるんじゃないか!?
という理由だった

だから、選手の名前も顔も2〜3割しか分からないのに入って.....
顔がわからずスルーしてしまい怒られた事があり
その夜、必死に選手名鑑で覚えた事があった....

今、考えると本当めちゃくちゃだったなと

しかしなんやかんやで6ヶ月いたが
そこまでだった

怪我をしてしまった事も理由にはあったが、ただただ練習で心が折れてしまった
ついていくのがキツくなり
辞めますと伝え、北海道に帰った


短期間で何度も挫折してしまい
プロレスへの情熱が薄れた.....

だが.......北海道にいるより
東京にいた方が何かチャンスあるかも....
という謎の期待から
東京で1人暮らしを始めた

そこからアメリカに行くまで結局5年かかる.....

Part2へ
(アメリカ編のハズが導入部分長くなり過ぎてすみません)

オマケ

上記のWWE日本公演開催時に
ファンだったジェリコのCD発売イベントにて
プロレスラーとのツーショットはコレが初めて
この時のファンサービスに感動したし
自分が
"プロレスラーになりたい、あなたみたいな"と言ったら
"それならまたらいつかリングで会えるな"
と言ってくれた
コレがプロレスラーを本気で目指そうと思ったひとつのきっかけでもあり、目標でもある
"いつか"

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?