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卒業のような日。

最近ご無沙汰していた精神科の先生の顔が見たくなった。

タイミングよく、キャンセルがでたので直ぐにお会いすることができ、久しぶりの面談。

それと。
自分の病気になったきっかけの、ハラスメントや労働安全に関する法律を振り返るため勉強した「メンタルヘルスマネジメント検定」合格。
の報告もできるチャンス。これはなんてラッキーなんだろう。

下手糞な勉強法で、独学で試験をうけたこと、患者である自分が、別の立場からそれを俯瞰して学んだこと。間違って、上の級を受験しちゃった。
なんて、話を笑いながらできる時間。

専門分野の方からみたら、ちっぽけな資格ではあるが、私個人にとっては、病気のどん底から戻ってきた16年をまとめたような気分になった。

先生は、ちょうど今年いっぱいで事業を閉じるとのことで、
本当に長い間丁寧に治療してくださったことに感謝と、尊敬を禁じ得ない。

帰宅途中で、涙が沢山出た。
自宅のドアを閉めた瞬間、崩れ落ちて泣いた。
悲しいとか、寂しいとか、そんな簡単なことではなく、言葉にできない感情が押し寄せて、涙が止まらなかった。

一緒に、私の社会復帰を見守ってくれた両親にも、どうしても話がしたくて、泣きながら自転車をこいで実家に行った。
「医者は医者の立場でみているからね。」
「ベテランの先生方が引退していく時代なんだね」と、非常に冷静に私の状況を俯瞰してくれる母。我関せずで、いつも通りのマイペースな父。
人生で初めて流した不思議な涙。

先生は、我が家のこじれた家族の関係も、結果的に改善してくださって、
両親が生業にしている社会福祉・医療とも私を仲直りさせてくれた。

親から子へ、負の連鎖があった。

それは祖父や、そのまた先の祖先から繋がる家族の足枷。

時代背景や、環境・貧困・教育・性差による特性。発達の個性。
本当にいろいろなこと複雑にからみあった、脳との闘い。

急には変わらないし、変わらなくても本当は生きていけるけれど、
それでもよりよく生きるための自立・自律することの大切さ。
それを学んだんだ、と今は想う。

今、こうしてスタートラインに戻ってこれたこと。

そして、自分が向き合って乗り越えてきたことを、少し誇りに思えるようになった。これが結果だ。

私の16年は、無駄にならない。
遠回りしたけど、きっと必ずいいことに変わる。

と、願う。


もし、先生が歳をさらに重ねて、病気になったり認知症になって、
例えばヘルパーとして私が再会することがあったら。
私のことも全て忘れていたとしても、私は先生の介助を喜んで引き受ける。

私は、先生を忘れない。
人生に資する出会いであったと思っている。


先生からの卒業。

先生、ありがとう。






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