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38年前の今頃, 西ドイツ・ハンブルクにいた 〜 60年前にビートルズが「今」を生きていた街

なんて大袈裟なタイトルをつけながら、あまり大したことは書かないと思う。ベルリンにまだ壁があった時代のドイツ、西ドイツのハンブルクに 1983年5月23日から 25日まで 2泊3日滞在したけれど、なんとなんと、この街では 1枚も写真を撮っていない(ハンブルクの発音は英語では [UK] hǽmbəːg, [US] hǽmbərg だけど, ドイツ語では ˈhambʊrk となって末尾の音は g でなく k, それから大抵の人が想像する通りで食べる「ハンバーグ」はハンブルクの労働者が食ベていたタルタルステーキが由来, 今日の note と関係ないけど!)。

「今」を生きていた, と言えば「いまを生きる」。のっけから「今」でなくて以前の note 投稿の宣伝(笑)。

ハンブルクで撮った写真が 1枚もない!

1983年4月26日に横浜港を発ってユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅に出た拙者、ハンブルク に着くまでに、船中泊や車中泊(列車)の他は当時のソ連のナホトカ、ハバロフスク、イルクーツク、モスクワ、フィンランド・ヘルシンキ、スウェーデン・ストックホルム、ノルウェー・オスロ、デンマーク・コペンハーゲンに滞在していたけれど、当時の旅日記を捲ると、ハンブルク 初日の 5月25日に既に「ハンブルク は今までで、オレにとって最悪の街」なんて書いてある。どうも複数の嫌な経験が(一気に!)重なってそうなってしまったようで、まぁ ハンブルク が本当に「最悪の街」かというと勿論そんなことはないはず。いや、実際そりゃないだろうなぁ(笑)。

ドイツについては その後けっこう沢山の街に滞在して(泊まった街は全て西ドイツの街、東ドイツは東ベルリンに西ドイツの西ベルリンから入って日帰りの旅をしただけ)、トータルで 3週間ほど旅したし、ヨーロッパではギリシャに次ぐ滞在期間の長さだったから(ギリシャの場合はアテネとサントリーニ島の 2箇所だけで 1ヶ月いたけれど)、結局は ドイツでもいい旅をさせてもらったな, ということになったんだけど。それはともかく、

札幌 に住んでた頃, 

旅をしようと決めて,

1983年4月26日に 横浜港 をフェリーで発って,

全部リンクするとキリないから, ナホトカハバロフスク note を飛ばして, 

イルクーツク note, モスクワ note も飛ばして, 兎にも角にも ソ連 な note ♫

ソ連を抜けたら ヨーロッパ ♫ らしくなって,

飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで, 北欧諸国を 回って, 回って, 回って, 回るぅ〜 ♫ https://youtu.be/IeSm4tL6kEk ♫(笑)

フィンラインドヘルシンキ では ピンク・フロイド Echoes ♫(歌詞和訳つき)

イングリッド・バーグマンと ABBA の, スウェーデンストックホルム,

ノルウェーオスロ では「憲法記念日」(独立記念日)の賑わいに遭遇して,

デンマークコペンハーゲン でも盛大なカーニヴァルの日に重なる幸運!

そんなこんなで 1983年5月23日, 西ドイツの港町ハンブルクに着

1983年5月19日から22日まで 3泊4日したデンマーク・コペンハーゲンを 22日の夜行列車で発って、翌5月23日の早朝に当時の 西ドイツ ハンブルク に着。

しかし本 note 投稿の冒頭、それから前章の冒頭に書いた通りで、ハンブルク に一応は 5月25日まで 2泊3日滞在しながら、この街で撮った写真というものが 1枚もない、何となんと ナン と。ナン が美味しい インド ではたくさん写真を撮ったけどなぁ。

例えば, ダラムサラとか。

脱線した(笑)。

ハンブルク は 〜 その 20年以上前, 1960年から 2年ほど, レコード・デビュー前の ビートルズ が 「今」 を生きていた街

.. なのです。

The story of the Savage Young Beatles days in Hamburg from 1960-1962 using interview clips.

ウィキでは, 

因みに ビートルズ は 1962年10月5日 に母国イギリスでデビュー・シングル "Love Me Do" をリリース(全英チャート最高位17位)、

1963年1月11日 には "Please Please Me" をリリースして "Melody Maker" 誌で最高位 1位となり、

その後, イギリスで 1963年11月29日, アメリカ合州国で 1963年12月26日 にリリースした "I Want to Hold Your Hand" がアメリカで初めてチャート 1位を記録すると(1964年2月1日 に Billboard Hot 100 で 1位, イギリス国内のチャートでは初登場 1位だった)、

その後は一気に「世界の」ビートルズ の地位に駆け上がり、

1966年6月26日 の西ドイツ・ハンブルク での, 「世界の」ビートルズ

で、

ソ連に戻ったぜ, "Back in the U.S.S.R." は 1968年11月22日 にリリースされたのだった。拙者は U.S.S.R. に 1983年4月28日から 5月10日までいたのだった, 

ソ連の歴史とともに齧った, Back in the U.S.S.R.

ビートルズの歌の歌詞を訳してみた 〜 "Let It Be", "Nowhere Man" & "Strawberry Fields Forever" ♫

Let It Be

Nowhere Man

Strawberry Fields Forever

結婚式・披露宴で ビートルズ の曲, 使ってた 〜 "All You Need is Love", "Strawberry Fields Forever" & "In My Life" ♫

そういや, "All You Need is Love" のイントロで使われた "La Marseillaise" はフランスの国歌だね、ということで強引に新婚旅行 note までつなげてしまう ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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♫ ♫ ♫

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