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ブルーズ「愛聴」史上最高のアルバム 〜 ロバート・ジュニア・ロックウッド LIVE in Japan

今まで観てきた・聴いてきたブルーズ・ミュージシャンたち

ブルーズを聴くようになって46年(*1)。半世紀近い。実際にライヴを観ることができたのは アルバート・コリンズ、B.B.キング(3回)、憂歌団(回数忘れるほど.. というか回数忘れた!)、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ(観たのは 1990年だけど!)、バディ・ガイ(7回かな?)、ジェイムズ・コットン(ハーモニカ奏者・シンガー)、ココ・テイラー(シンガー)、ウエスト・ロード・ブルース・バンド(観聴きしたのは 1991年)、オーティス・ラッシュ、ジュニア・ウェルズ(ハーモニカ奏者・シンガー)、近藤房之助、ルーファス・トーマス(シンガー、ブルーズというより先にファンクもしくはソウルだけど)、吾妻光良(& The Swinging Boppers)、菊田俊介、エリック・クラプトン(14回観聴きしたうち 1995年の "From the Cradle" tour の時は文字通り "Nothing But the Blues" tour, あの時は今日のこの文脈においても完全「ブルーズ」マン)、ロバート・クレイ、ヒューバート・サムリン、ジミー・ヴォーン、上田正樹(ブルーズというよりソウルかな)、麗蘭(仲井戸 "チャボ" 麗市と土屋公平/蘭丸, でもやっぱブルーズというよりR&Bという感じかな).. 「ブルーズというより..」の人達も少し入れたので、1991年1月11日に昭和女子大学人見記念講堂でライヴを観聴きしたオールマン・ブラザーズ・バンドも加えておきたい(言わずもがな, Duane Allman はとうの昔に「雲の上」だけど)。

エリック・クラプトンとオールマン・ブラザーズ・バンド以外は「ほぼ」かつて(1986年から 20年以上にわたって)日比谷野音で開催されていたジャパン・ブルース・カーニバル(「ブルース司会者」後藤ゆうぞう, カメリアマキ、ありがとう!)のお陰。初夏の野音で聴くブルーズはほんと、気持ちよかった!

さて、残念なことにライヴを観る機会がなかったけれど、レコードや CD やヴィデオなどで聴いてきた・観てきたのは今日取り上げる ロバート・ジュニア・ロックウッド(Robert Jr. Lockwood または Robert Lockwood Jr., 2~3回来日していると思うのだが残念なことに実際にこの眼で直にライヴを観る機会を逸した, しかしレコード・CD, 後年の来日時のヴィデオなどは堪能)、え〜い, ここからアルファベット(固有名詞のカタカナ表記は色々あって面倒くさいのだ), 

Robert Johnson (May 8, 1911 – August 16, 1938: アメリカ人だって彼のライヴを観た人は「数えられそうな」人数, それにいま生きている人で観た人っているのか?), Albert King, Freddie King, Otis Spann (ピアニスト), Muddy Waters, Stevie Ray Vaughan, T-Bone Walker, Bessie Smith (シンガー), Johnny "Guitar" Watson, Lightnin' Hopkins, Elmore James, Howlin' Wolf, Joe Louis Walker ... キリがない名前の羅列 ♫

*1 勿体ぶって注釈としながら、これについては本 note 投稿の付録にて。

ブルーズ「愛聴」史上最高のアルバム 〜 "Robert Jr. Lockwood & The Aces BLUES LIVE!"

我がブルーズ「愛聴」史上最高のブルーズ・アルバムは、1974年11月に芝・郵便貯金ホールと大阪厚生年金会館で開催された「第1回ブルース・フェスティバル」という催しに出演した ロバート・ジュニア・ロックウッドとジ・エイシズ, Robert Jr. Lockwood & The Aces によるライヴの録音。このアルバム(当然 LP レコード)をそれがリリースされた 1975年、14歳か15歳の頃の中学3年の時に買って聴いて以降、このアルバムは常にトップ。以降、これを超えると思ったブルーズ・アルバムはない(この際、後年買って今も当然の如く大事にしているロバート・ジョンソンの歴史的録音を収録した 2枚組の「歴史的」かつ「音楽的」価値は「別件」)。兎にも角にも、Robert Jr. Lockwood & The Aces BLUES LIVE! が、いわゆる、オールタイム・ベスト ♫

人生で初めて買ったブルーズ・アルバムは Junior Wells & Buddy Guy LIVE in Japan (1975) なんだけど(本 note 投稿の付録)、あれは「第2回ブルース・フェスティバル」における彼らのライヴ。あのアルバムも素晴らしいんだけど、次に買った(リリースはおそらくこちらが先だったんだろうと思うが)ブルーズ・アルバム, Robert Jr. Lockwood & The Aces の日本公演(「第1回ブルース・フェスティバル」でのライヴ)の模様を収録し BLUES LIVE! というタイトルが付けられたアルバムが、その後 46年間「愛聴」し続けたブルーズと呼ばれる音楽のアルバムとして、つまり自分のブルーズ「愛聴」史において、今も燦然と輝く最高。オールタイム・ベストのブルーズ・アルバム(あ、さっきも書いたか)。

レコードは今も田舎の実家の居間に「鎮座」するレコード・プレイヤーの脇に置いてあるはずだけど、いま住んでる現在進行形「我が家」ではレコード・プレイヤーを持っておらず、かな〜り昔にこのアルバムの CD を買った(細かいこと言うとその今の「我が家」の居間 .. イマのイマ, つまんないか, とにかく「今の居間」にある CD/MD/ラジオ/カセット・プレイヤーの方はいまCD部分を含む一部機能が壊れていて CD が再生できない.. 号泣!)。(あ、でもクルマの中で聴ける、笑)

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(11~14 の 4曲は CD ヴァージョンのボーナス・トラック。)

ロバート・ジュニア・ロックウッドは ロバート・ロックウッド・ジュニアとも表記されるけれど、おそらく日本では前者の表記の方が多いと思う。母国アメリカ(アメリカ合州国)でも Robert Lockwood Jr., "Robert Junior" Lockwood, Robert Jr. Lockwood といった感じで色々な表記のされ方があるように思うが、アメリカの場合はおそらく Robert Lockwood Jr. が多い。

名前の表記についてはその辺で十分として、ロバート・ジュニア・ロックウッドという人は 1915年3月27日の生まれというから、1930年代という戦前のブルーズの時代からギタリストとして生きた人。アメリカ南部、アーカンソー州の生まれ。アーカンソー州は北はミズーリ州に、東はテネシー州とミシシッピ州に、西はオクラホマ州とテキサス州に、南はルイジアナ州に接し、州の東部にはミシシッピ川が流れ、アーカンソー・デルタのある低地が存在する。英語版ウィキペディアなどだと, 

Robert Lockwood Jr. (March 27, 1915 – November 21, 2006) was an American Delta blues guitarist, who recorded for Chess Records and other Chicago labels in the 1950s and 1960s. He was the only guitarist to have learned to play directly from Robert Johnson.

と書いてあったりして、「デルタ・ブルース」の範疇の人としているのだが、一方で日本版ウィキペディアで「デルタ・ブルース」を引くと、そこではデルタ・ブルースと分けて、「カントリー・ブルース」のブルース・マンの一人として数えていたりする .. まぁジャンルの話は突っ込まないでおこう(ブルーズが大好きで半世紀近くブルーズを聴いてきた「自分史」的にこの辺の話題の「御託」があってもよさそうだけど、それが実はない, 要はあまり気にしていないんだと思う)。ってか、ロバート・ジュニア・ロックウッドのブルーズってジャズのセンスも感じるし、都会的な雰囲気すらあるし、「モダン・ブルース」と言ったって全然構わないよね。まぁジャンル的な呼び名の話はほんと、「その辺」にしよう。そもそも「ブルーズ」(「ブルース」とも書く、面倒くさいね)という一つの音楽ジャンルを「ことわり書き」してこれを書き進めてるくせにナンだけど(ナンはインドのパンだからってここからシタールの話をシタール, いや, シタリ顔してシタリはしない, 何言ってるのか無茶苦茶やんか)。

あ、やっぱ, シタール ♫ 突如登場、ラヴィ・シャンカルの娘たち、アヌーシュカ・シャンカルとノラ・ジョーンズの異母姉妹(順番的には「異母妹姉」)によるシタールとヴォーカルの共演。

結局, 唐突にシタールを出してしまった ♫

さてさて、

ナンなん・ブルース」, いや「ナニナニ・ブルース」の話はさておき、でもこういうことなら気になる。つまり、ロバート・ジュニア・ロックウッドはあの「伝説の人」ロバート・ジョンソン(Robert Johnson: May 8, 1911 – August 16, 1938)が生きた時代に重なる人で、それどころか ... いや、その続きは以下、ロバジョンの 2曲の後で ♫

Crossroad 〜 Robert Johnson

Sweet Home Chicago 〜 Robert Johnson

さて、

ロバート・ジュニア・ロックウッドの話に戻すと、彼は実は「伝説の人」ロバート・ジョンソンと 4歳しか歳が違わない。たった 4歳若いだけ。にもかかわらず、このロバート・ジュニア・ロックウッド、「ロバート・ジョンソンの義理の息子」などと書かれたりすることがある(少なくとも日本語による記述ではよく見る)。

これには一応もっともな理由があって、その辺、またまた安直に英語版ウィキペディアから引いてしまおうと思う。

Lockwood was born in Turkey Scratch, Arkansas, a hamlet west of Helena. He was one of two children born to Robert Lockwood Sr. and Esther Reese Lockwood, later known as Estella Coleman. He started playing the organ in his father's church at the age of eight. His parents divorced, and later the famous bluesman Robert Johnson lived with Lockwood's mother for 10 years off and on.

察するに、ロバート・ジュニア・ロックウッドのお母さんは 10年ほどの長きにわたってロバート・ジョンソンの愛人だったようで(ロバジョンは 27歳で早逝しているわけだからロバジョンがその人生の後半期の多くの時間を共に過ごしたのがロバート・ジュニア・ロックウッドの母親だったということになる, で、其処にロバート・ジュニア・ロックウッドもいたわけだ)。

英語版ウィキペディアの、上に転載した箇所は、以下のように続く。

Lockwood learned from Johnson not only how to play guitar but also timing and stage presence. Because of his personal and professional association with Johnson, he became known as "Robert Junior" Lockwood, a nickname by which he was known among musicians for the rest of his life, although he later frequently professed his dislike for this appellation.

つまり、ロバート・ジュニア・ロックウッド自身はロバート・ジョンソンとの関係から "Robert Junior" と 呼ばれることについて、実は快く思っていなかったということになるが、それがロバート・ジョンソンへのリスペクトを背景とする(畏れ多いといったような)理由からだったのか、あるいはブルーズとか音楽から離れた部分で何か特別な想いがあったからだったのか、それとも 4歳しか違わないのに彼の "Junior" だなんてとか .. その辺りよく分からない(ロバジョンを快く思っていたのか逆に嫌いだったのかすら分からない)。

いずれにしろ、ロバート・ジュニア・ロックウッドがあの「伝説の」ロバート・ジョンソンから直接「学んだ」(直に手を取っての教えを受けたかどうかは別として)唯一のギタリスト、というのは確かなんだろうと思う。

今日この note 投稿で取り上げている "Robert Jr. Lockwood & The Aces, BLUES LIVE!" に収録されている 1974年11月の日本公演でのロバート・ジュニア・ロックウッドによるロバジョン "Sweet Home Chicago" のカヴァーなど聴くと、ロバジョンの歌とギターからは何というか「魔物」的な響きが聞こえてくる一方で、ロバート・ジュニア・ロックウッドのそれからは彼のギターの「流麗な」手捌きが聴き取れる感じで、ムードはだいぶ異なる音楽だという印象なんだけれど。

ではでは、もうこの辺で、件のアルバムの方に移ろうかと。

なお、このとき共演した The Aces は 1950年代から 1970年代にかけて活躍したバンド、最も影響力があったシカゴ・ブルースのバンドの一つということで、「シカゴ・ブルース界最強のリズム・セクション」などと形容されることがあるくらいのバンド。となれば当時として相当に強力な布陣だったことになるんだろう。

とか書いてるうちに田舎に帰って実家の居間でレコード盤に針落としたくなってきたんだけど、このコロナ禍と我が国の無能政府の相互作用が効き続けて昨年の正月以来, 既に 1年4ヶ月以上にわたり帰省ができていないのだった。田舎のお袋はいま 89歳、今年の誕生日が来れば 90歳の大台、親父は 92歳で今年の誕生日に 93歳になるわけで、91歳まで生きたロバート・ジュニア・ロックウッド(Robert Lockwood Jr., Robert Jr. Lockwood: March 27, 1915 – November 21, 2006)と同じくらいの長寿、これから更に長生きしてくれるに違いない!んだろうが、しかしやっぱそろそろ "Sweet Home"(シカゴじゃないけどなぁ, まぁあの歌の「シカゴ」はイリノイ州のあの「シカゴ」ではなさそうだけど、兎にも角にもアメリカではなく静岡県遠州の我が故郷!)に帰省して、親父お袋の顔を見たいもんだな。

燻し銀の味わい、流麗な職人の手捌き、なんと美しいブルーズ ♫ .. この 1974年11月の日本公演の時、ロバート・ジュニア・ロックウッドは 59歳。一方、このレコードを買って聴いた 1975年の時点で中学3年, 14歳か15歳だった拙者、既に一昨年の誕生日には当時のロバート翁の歳に届いてしまった。光陰矢の如し, だよなぁと, こちら「還暦」を経てもいまだ「燻し銀」にならない男はただ呟くのであった。

ロバジョンとは比べないけれど(どちらがいいとかではなくてロバジョンはロバジョン、「比べものにならない」ではなくて「比べるものではない」)、"Sweet Home Chicago" は, 他のどのギタリストのカヴァーよりも素晴らしい。

"Stormy Monday" は, T-Bone Walker のオリジナルよりもロバート・ジュニア・ロックウッドのこのカヴァーの方がいい。断然いい(拙者のリスナーとしてのテイスト、好みの問題ですよ勿論!)。このアルバム全てが逸品。歴史的名盤 ♫

さてさて、ようやく御託は終わり、音楽はこれから。

Side one
1. Sweet Home Chicago 
2. Going Down Slow (3:35​~ )
3. Worried Life Blues (8:39​~ )
4. Anna Lee (11:50​~ )
5. One Room Country Shack (17:48​~ )

Side two
6. Stormy Monday (22:01​~ )
7. Feel All Right Again (27:24​~ )
8. Honky Tonk (31:42​~ )
9. Mean Black Spider (35:43​~ )
10. Little and Low (40:00​~ )

Robert Jr. Lockwood on lead guitar and vocals
The Aces:
Louis Myers on guitar, harmonica, vocals
Dave Myers on bass
Fred Below on drums

*4, 5 guitar & vocals, 8 guitar solo: Louis Myers

付録: 初めて聴いたブルーズ 〜 ジュニア・ウェルズ & バディ・ガイ LIVE in Japan 1975 .. さらに遡って

今日の付録, 計4点なのだ。バディ・ガイも大好きなギタリスト。そうなのだ、ブルーズ・ギタリストで一番好きなのは誰かと訊かれれば、プレイ・スタイルがかな〜り異なるこの二人、ロバート・ジュニア・ロックウッドとバディ・ガイの間で拙者、揺れ動くのだった。実際、かなり迷う。二人が同点同率 1位 ♫

冒頭の章でもリンク貼ってたのに、しつこく。

付録, その第2弾的なおまけ 2点。これは「洋楽」なるものを意識して聴き始めた頃の話。それとそのおまけ。「入れ子」的おまけ構造(という今日だけの造語!)。


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