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エリック・クラプトン、「人生そのものが表現と言っていいアーティスト」の "River of Tears" 〜 歌詞和訳

Me and Eric Clapton 音源てんこ盛り

クラプトン、2004年に "Me and Mr. Johnson" というアルバムをリリースしている(Johnson というのはもちろん Robert Johnson のこと)。そのアルバム・タイトルに肖って(「あやかって」ってこの漢字なんだ!)、世に決して少なくない超絶技巧のテクニックのギタリストとは全然タイプが異なるクラプトンのギターが好きな筆者による、超絶大胆な章見出し(笑)。

そうか、完全に「肖る」のなら "Me and Mr. Clapton" なんだろうけど、クラプトンのあのアルバム・タイトルにはブルーズという音楽からまるで「恩寵」なるものを受けてきたかのようなクラプトンのロバート・ジョンソンへのリスペクトが込められているような気がして、そのリスペクトにまで肖ってしまう「かのような」不遜なことまでは流石にできない。筆者は流石ならぬ転石、ただのローリング・ストーン(ただの言葉遊び)。クラプトンのリスペクトには遊びがない。

*上の音源, note 投稿時のものが消えていたので 貼り直した(2023.5.11, YouTube 上ゆえ, また消えるかもだけど)。

「音楽がなければ、人生はただの間違いだろう」(*1)とはニーチェの言葉だけれど、しかし別に先にニーチェが言わずとも俺だってそのくらい言ったかもよと言いたくなるくらいに音楽なしでは生きていけない人間なのだが、しかし音楽さえあれば生きていけるなどということもないのだが(食い物のことを言っているのではなくて *2)、兎にも角にも、「大」の付く音楽好き、ジャンルも国境も越えて音楽は何でも聴くが(自分がいいと思う音楽は!当たり前)、昨年「還暦」を迎えた筆者がこれまでの人生で合計いちばん長い時間にわたって聴いてきたのは、サイモンとガーファンクル時代を含むポール・サイモンの音楽と、エリック・クラプトンの音楽だと思う。ポール・サイモンについては、彼のライヴをこの眼で直に観て生聴きしたのは、妻と行った 1991年10月の東京ドーム公演、妻子と行った 2009年7月のサイモンとガーファンクルの東京ドーム公演の 2回だけだが、クラプトンとなると、その回数はそこそこ多い。

クラプトンが、日本においては少なくとも一部で依然として「ギターの神様」扱いされ、日本だけで通じる「ロック 3大ギタリスト」の一人だった(残りも言わずもがなだが ジェフ・ベックとジミー・ペイジ)時代、1975年の2度目の来日公演の際にその「神様」がどういうわけか筆者が住んでいた田舎町からそう遠くない静岡市にまでやって来て(あの年のツアーの 7回のライヴのうちの 1回が静岡市駿府会館だったのはいまだに謎だ、笑)、当時 中3だった筆者は幸運にもそのライヴを観ることができた。

1975年10月29日、その頃はライヴ会場の警備による規制などは後年と比べて非常に緩く、1曲目の "Layla" のタリラリラリラ〜 ♫ が始まると、会場最後部の席に陣取った筆者も一緒に行った友人も周囲の席にいたファンたちも、我々よりも前方の席にいた観客たちも、とにかく一人残らず全てと言っていい、あっという間にステージ下に向かって殺到してしまった。危ないと言えば危ないんだろうが、それで事故など起きず、そういうかたちでロック・コンサートが成り立っていたのは幸運だったし、そんな幸運と興奮と結果としての安全が全て揃っていたのは、まぁ良き時代だったということなのかもしれない。

筆者も当時でっかいラジカセを持って行って席の下に置いて録音したのだが(そんなバレバレのデカイ録音機材を持参してライヴ会場に入れたこと自体、いまや信じ難いほどの牧歌的な規制の緩さ!)、あの貴重なカセット・テープは何処に行ってしまったんだろうなぁ。アホだった、ちゃんと永久保存しなかったなんて。

以下のは YouTube で見つけた、なんと当時の、つまり 1975年10月29日の静岡市駿府会館(今は「静岡市体育館」になってるらしい)でのエリック・クラプトンのライヴ、クラプトン登場と 1曲目の "Layla",

当日の筆者のように、会場にラジカセを持ち込んで録音した人の、生カセット音源のアップのようで、まぁもちろん録音音質は全然よくないんだけれど、少なくとも当日そこにいてこれを聴いていた当時15歳だった筆者には、めっちゃくちゃ貴重な音源 ♫

キーボード・プレイヤーがいるバンド・メンバーではあったが、聴けば分かる通り、"Layla" のスタジオ・ヴァージョンにおいて極めて印象的な後半のピアノ・コーダ部分がない。これはよく記憶している。何故だったのかな、後年になって何度も何度も足を運んで観聴きしたクラプトンのライヴでの "Layla" (アコギ版でないやつ、もちろん)ではいつも当たり前のように後半ピアノ・コーダのパフォーマンスが付いていたんだが。 .. まぁそれはさておき、とにかく、興奮の一夜だった、45年以上前の静岡市駿府会館の夜。

さて、

そもそも 1960年代後半に本国イギリスにおいて「ギターの神様」扱いされていたクラプトン、そんな元「神様」の初来日公演は 1974年になってようやく実現する。

しかし、上に書いたように、筆者が幸運にも観聴きすることができたのは、翌1975年の2度目の来日公演の際のライヴ。

3回目の来日公演は 1977年、筆者は高校2年、下手くそながらエレキ片手にバンドなんぞというものをやっていたが(1978年の高3の学園祭で畏れ多くも "White Room" や "Presence of the Lord", "Layla" や "Little Wing" をやった、筆者がヴォーカルとった "Presence of the Lord" のそのヴォーカルはまぁまぁだったと思うが、どの曲も筆者のギターは下手くそだった、ついでに書かせてもらうと筆者の 3歳年上の実兄は同様に高校時代にバンドをやっていて似たような曲を演奏、というか弟である筆者が影響を受けたんだが、その兄貴はその後プロのミュージシャン! 括弧長いね、笑)、その年のクラプトンは筆者の地元静岡県に来てくれることなどなく、筆者は行けてない。

4回目の来日は 1979年、筆者はその年の春に高校を卒業、大学に入って、札幌に住んでいた。最終日のライヴが札幌の会場だったようだが(自分では憶えてないので「ようだが」)、行ってない。なんでかな? 全くの謎。

5回目は 1981年。筆者は大学3年。クラプトン 、札幌に来なかった。ライヴ、観れてない。

次は 1985年、そしてその次の 1987年はオープニング・アクトがロバート・クレイ・バンド。ロバート・クレイは後年の "Old Love" の共作者でもある。

"Old Love" は 1989年リリースのアルバム "Journeyman" に収められた曲で、クラプトンが生涯の友ジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドを愛してしまい、二人が離婚したあと自らも結婚したそのパティのことを結局は自分も彼女と離婚してしまった後になって歌った、何ともはや、な歌。歌詞は当然クラプトン一人にしか書けないが、曲はロバート・クレイとの共作。以下は 1990年、デイヴィッド・サンボーンが司会進行する番組に出た時の二人の共演。

さて、話を戻すと、

1985年も1987年も筆者は横浜に住んでいて行けたはずなのに、それぞれ、来日公演のライヴを観に行ってない。なんでかな?

さらに、1988年の来日公演を観ていないのが、いま振り返って、自分にはもっともっと驚き。なんたって、クラプトンをメインにしつつ、エルトン・ジョンとダイアーストレイツのマーク・ノップラーを引き連れて来日している。なんとまぁ豪華な!

ただ、この年にライヴに行ってないその理由は分かる。この年のライヴは 10月31日 名古屋レインボーホール、11月2日 東京ドーム、11月4日 日本武道館、11月5日 大阪スタヂアムの計4回。横浜に住んでいた筆者は当時、11月1~3日の3日間行なわれていた静岡県の生まれ故郷の秋祭りに馳せ参じるべく、同年3月13日に結婚した妻を伴って帰省していた。田舎町の秋祭りに参加していたのだ。その昔は「ケンカ祭り」と呼ばれて周辺地域ではかなり有名な祭りだった故郷の祭事、3日も実家に泊まり、4日のうちに横浜に戻ったんだと思うが、大好きなクラプトンのライヴに行くだけの体力も残ってないだろうと初めから予想して諦め、チケット取りもしなかったんだと思う。

その後、1990年の来日公演は妻とともに横浜アリーナで観て、翌1991年のジョージ・ハリスンと一緒に来日した時のライヴ(正確に言うとクラプトンがジョージを誘って実現した来日公演)、なななんと、な、な、な、なななんと! チケット取りもせず、ということは結果として行ってない。完全にアホだった。

ジョージ・ハリスンはビートルズの中でもジョン・レノンに次いで好きで、彼の曲で好きな歌は沢山あるのにもかかわらず、筆者がジョージの音楽をもっと好きになるのは彼が亡くなった後のことで、当時そこまで良さを感じられてなかった。

大好きなクラプトンの来日公演だが、クラプトンの性格からして今回は親友ジョージ・ハリスンを引き立てる為に自分のバンドを使いつつ自らはけっこう目立たないようにするんだろうなと勝手に想像して(実際おおむねそれに近い感じではあったようだが)、じゃぁまぁいいやと思って行こうともしなかった。いま思えばもちろん、あの時の筆者の判断は浅はかな、アホそのもののそれだった(嘆、笑)

ビートルズ時代のジョージ・ハリスンの名曲、稀代の名曲 "While My Guitar Gently Weeps", あのホワイト・アルバムに収録されたスタジオ・ヴァージョンのリード・ギターがジョージでなくてクラプトンであるのは、あまりに有名過ぎて書くのも憚るくらい。

下はクラプトンがリード・ギターを弾いたビートルズ「ホワイト・アルバム」の "While My Guitar Gently Weeps", その下は、1990年の来日時のジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの共演による "While My Guitar Gently Weeps" ♫

While My Guitar Gently Weeps 〜 from the Beatles' 1968 double album "The Beatles" (also known as "the White Album"), 上に「書くのも憚る」と書いたくせにまた書くけど(笑)、実際のところ、どう聴いても Eric Clapton on lead guitar,  そうなんだけど、正式にクレジットはされなかった、その事情は筆者、通じてない。そこって意外と(?)筆者はあまり興味ないんだけど、クラプトンはたまの例外を除いて(例外だったケースがあるにはある)「俺が、俺が」というタイプのアーティストではないので、自分からクレジットを遠慮したなんてことすら十分あり得ると思う。 

While My Guitar Gently Weeps 〜 George Harrison with Eric Clapton & his band, Live at Tokyo Dome Stadium, December 1991

さて、話を戻して、

1993年10月のクラプトン来日公演の時は、前年1992年9月に生まれた息子がまだ 1歳と1ヶ月程度。コンサートには流石に連れていけない。夫婦で一緒に行くこともできないので、仕事の都合をつけながら、妻が武道館でのライヴを観に行き、筆者は横浜アリーナでのライヴを観て、それぞれが交代で息子の夕食ほかの世話をした。

1995年10月は、ブルーズ・カヴァー・オンリーのアルバム "From the Cradle" リリース後のツアー。妻、そして当時 3歳の息子とともに武道館でライヴを観た。最高のライヴだった。後年、未就学児童は大抵のコンサート会場に入れなくなるのだが、当時は親の膝の上に乗せて一緒に観るということなら可能だった。つまり、夫婦2人のチケット代で、息子も一緒に楽しむことができた。息子はロックとブルーズを子守唄代わりにして育ったような人間。3歳にして既にロックやブルーズを聴いて飽きるような音楽脳ではなく、全く問題なかった。

その後、1997年、1999年、2001年とやはり妻子とともに 3人でライヴ「観戦」、

2001年のツアーで我々が観たのは 11月30日の武道館ライヴだが、これはそれから 4日後、2001年12月4日の武道館ライヴ。

Eric Clapton – guitar / vocals
Andy Fairweather Low – guitar / vocals
David Sancious – keyboards / guitar / vocals
Greg Phillinganes – keyboards
Nathan East – bass / vocals
Steve Gadd – drums

Key To The Highway 0:38​
Reptile 3:41​
Got You On My Mind 10:25​
Tears In Heaven 14:21​
Layla (acoustic) 18:51​
Bell Bottom Blues 23:33​
Change The World 28:37​
River Of Tears 35:15​
Goin' Down Slow 44:04​
She's Gone 49:28​
I Want A Little Girl 57:01​
Badge 1:01:36​
Hoochie Coochie Man 1:07:42​
Five Long Years 1:12:39​
Cocaine 1:20:57​
Wonderful Tonight 1:25:44​
Layla (electric) 1:32:58​
Sunshine Of Your Love 1:43:05​
Somewhere Over The Rainbow 1:50:00​

その後、2003年、2006年も、それぞれ、妻子とともに 3人で観た。

2006年は さいたまスーパーアリーナで観たのだが、同年のツアーはデレク・トラックスとドイル・ブラムホールⅡ を伴ったトリプル・リードギターのゴージャスな陣容。"Motherless Children" の豪華スライド 3人揃い踏みが強く印象に残っている。

これは翌2007年のサンディエゴでのものだが、こういう感じ。

さて、クラプトンの次の来日公演、

2009年は、クラプトン単独ライヴとともに、同時期に来日したジェフ・ベックとのジョイント・ライヴが話題になった年。

筆者は妻子とともに 2月21日に さいたまスーパーアリーナでジェフ・ベックとのジョイントを観て、2月27日には武道館でクラプトンの単独ライヴを観た。

筆者が観た 2009年2月21日 さいたまスーパーアリーナ でのセットリストは以下の通り。

Jeff Beck
1. The Pump
2. You Never Know
3. Cause We've Ended as Lovers
4. Stratus
5. Angel
6. Led Boots
7. Goodbye Pork Pie Hat / Brush with The Blues
8. Tal's Solo / Freeway Jam
9. Blue Wind
10. A Day In The Life (ビートルズの名曲っすね)
-enc-
11. Peter Gunn Theme (この選曲はやや意外、でもカッコ良かったなぁ!)

Eric Clapton
(unplugged)
1. Drifitn
2. Layla
3. Motherless Child
4. Running On Faith
(plugged)
5. Tell The Truth
6. Little Queen Of Spades
7. Before You Accuse Me
8. Cocaine
9. Crossroads

Eric Clapton & his band with Jeff Beck
1. You Need Love (Muddy Waters)

*これは 2007年 Jeff Beck LIVE at Ronnie Scott's Jazz Club in London に Eric Clapton が客演した時のもの。

2. Listen Here (Eddie Harris) / Compared To What (Les McCann & Eddie Harris)
3. Here But I'm Gone (Curtis Mayfield)
4. Outside Woman Blues (Blind Joe Reynolds) 

以下は、2009年2月22日 さいたまスーパーアリーナ、つまり筆者が観た日の翌日のライヴでの映像。

5. Little Brown Bird (Muddy Waters)
6. Wee Wee Baby (Jimmy Reed)
-enc-
7. I Want to Take You Higher (Sly & the Family Stone)

*筆者が観た 2009年2月21日 さいたまスーパーアリーナ での演奏。

うーむ、もう 1回観たい・聴きたい(笑)。

さて、2011年は、スティーヴ・ウインウッドとのジョイント。これも妻子とともに、3人で観た・聴いた。

当日 素晴らしいパフォーマンスを観聴きできたけれど、上のは画質や録音音質に関してはイマイチなので、

以下に、2人の共演の録音状態がいいやつを、同じ 2曲で(共に 2007年クラプトン主催クロスロード・ギター・フェスティヴァルから)。

"Presence of the Lord" ♫

"Can't Find My Way Home" ♫ (plugged)

I myself CAN find my way home, というわけで、さて、筆者のクラプトン来日公演「観戦」記に戻って、

2014年はやはり妻子とともに、横浜アリーナでのライヴを観て、

次の 2016年は一人で武道館に出かけ、そしてこれが、残念ながら最後、筆者にとっては最後の生クラプトンになったんだろうな。

現時点での最後のクラプトン来日公演は 2019年4月13日・15日・17日・18日・20日の武道館での 5回のライヴ。

いつも通り、当たり前のようにチケットは買っておいたのだが、チケット購入後、筆者にとってクラプトンよりも、どんな音楽よりも、もっともっと、もっと大事な用件が入って、このチケットは使わずじまいとなった。

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1945年3月30日生まれのクラプトンは来月の誕生日で 76歳になるわけで、流石にもう来日公演はないだろうと思う。

実を言うと 〜 Tell the Truth ♫

「大」がつく「トンカツ好き」だというクラプトン、いつかこの世を去る前に「俺はあの日本の店のトンカツをもう一回食わないと、死んでも死にきれない」と言って、グルメ来日だけならあるかもしれない。

実を言うと 〜 Tell the Truth ♫

クラプトンはトンカツ食うためにもう一度日本に来るかも、というのはもちろん冗談。でもクラプトンがトンカツ大好きだってことは事実。

本章、ここから先はおまけ(本章の最後に脚注を置くけれどそれも含めて次章の手前まではおまけ) 〜 トンカツは確かに美味いね(おまけのウィキ)。

*1 「音楽」そのものは食えないが、メシの次に人間にエネルギーを与えてくれるものが「音楽」かもしれない。

*2 もっとも、いつもいつも「音楽」が助けてくれるほど人生甘くないのだが。

*3 .. 音楽と言えば、Every song tells a story ... ありゃ? 違った、これは Every picture tells a story, しかもクラプトンでなくロッド・スチュワートの "Every Picture Tells a Story" の筆者による和訳歌詞つき。

わざとらし過ぎる展開、本章・本文中に *3 などなかったと思う(笑)。

「人生そのものが表現と言っていいアーティスト」、エリック・クラプトン

鉤括弧を付けたのは、これは筆者の言葉ではないから。言った(書いた)のは渋谷陽一。呼び捨てというと荒っぽいが単にクラプトンをクラプトンと表記することと同じ。面識がない著名人に敬称をつけないことに他意はない。相手は当然の如く筆者のことなど記憶になくとも筆者は当然憶えている、会って喋ってサインをもらったことがある著名人となると鈴木茂さん(気さくだった)、コリーヌ・ベイリー・レイさん(素敵でかつ可愛いらしい人だった)。

渋谷陽一にはお世話になった。学生時代、ラジオから流れる「こんばんは、渋谷陽一です」(サウンド・ストリート、多くの同世代人が分かるはず)。その後の "rockin'on", "SIGHT", そういや "CUT" も買って読んだことがある。あれって "CUT" だったり "Cut" になったりしてるのか? まぁどうでもいいか、ここでは。そもそもクラプトンの話なのに、渋谷陽一に文字数使い過ぎ。

脱線ついで。音楽について語ったり書いたりする人では、筆者にはバラカンさんが一番いいかな。人がどうのというより、要するに音楽について語ったり書いたりしていることに関して、その内容やアティテュードとかセンスがということなんだろうけど、いちばん筆者の性に合っているのはバラカンさんのそれ。バラカンさん、ピーター・バラカンさん。

うちでカミさん(筆者の神、つまり嫁さん)と話していて彼のことを話題にする時はいつも「バラカンさん」。当然の如く筆者のことなど記憶になくとも筆者は当然憶えている、会って喋ってサインをもらったことがある著名人だからかな、いつも「さん」を付けている(筆者が妻子と一緒に観に行った 2009年7月のサイモンとガーファンクルの東京ドームでのコンサートの際、少し前の席に夫妻で来ていたバラカンさんを見つけ開演前に話しかけたんだけど快く応じてくれ、終演後に席を立ってからは筆者の息子が話しかけやはり気さくな感じで応じてくれた、いい人だったなぁ、長い括弧だなぁ)。

さて、話を本題に戻すと、

クラプトンは確かに、渋谷陽一がかつて書いたように("SIGHT" 2001年秋季号)、「人生そのものが表現と言っていいアーティスト」なんだと思う。

父親とは会ったこともなく母親にも置いていかれ祖父母に育てられたその生い立ち、ギタリストとしてのタイプはかなり異なるにしろ外野からは一時代・同時代の盟友だったとも見えるジミ・ヘンドリクスの早逝、薬物依存症による長いブランク、更にはアルコール依存症も経験し、また、クラプトンが "While My Guitar Gently Weeps" でリード・ギターを弾いたり "Badge" を共作したりとミュージシャンとしても非常に近く且つ私生活でも親友だったと言えたジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドを愛してしまい彼らが離婚した後には自らがパティと結婚そしてやはり離婚、時代を戻してデレク・アンド・ザ・ドミノスの名作ダブル・アルバム "Layla and Other Assorted Love Songs" (1970年11月9日リリース)に収録の大半の曲でレコーディングに参加し、タイトル曲 "Layla" でもパワフルかつ流麗なスライド・ギターを聴かせた当時オールマン・ブラザーズ・バンドのギタリスト、デュアン・オールマン(デュエインが実際の発音に近いのかな)の翌1971年10月29日のバイク事故死、さらにクラプトンがブルーズ・フェスティヴァルでバディ・ガイ、ロバート・クレイ、ジミー・ヴォーンらとともに共演したスティーヴィー・レイ・ヴォーンが次のライヴ会場に移動する為に乗ったヘリコプターの墜落によりクラプトンのスタッフ3人を含む乗員と共に他界(共演した翌日、1990年8月27日)、翌1991年3月には自身の当時4歳の息子がニューヨークのマンションの53階の窓から落ちて死去。さらに 2001年11月29日、生涯の友だったジョージ・ハリスンの死。その時、クラプトンは来日ツアー中。筆者は妻子とともにたまたま翌11月30日の武道館でのライヴを観に行っていて、ジョージ・ハリスンの死は帰宅してから知ったのだが、彼が亡くなったのは日本時間にしたら同日11月30日。時間にしたら、その日のクラプトン の武道館公演が始まる数時間前だった。翌12月1日の報道で確認したが、クラプトンは訃報を知ったうえでコンサート会場に向かったということだった。

というわけで、以下のリンク先は、筆者による当日のクラプトンのライヴ・リポート。ただし、2001年夏に本を買って独学した HTMLの基礎知識だけで立ち上げた筆者のホームページ上にあるもので、ホームページは以降いっさい仕様を変えておらず、PC で閲覧する場合はほとんどのブラウザで問題ないようだが、スマホだと OS 次第で文字化けする。

(4日後の 2001年12月4日の武道館ライヴの模様、その映像と音について、前章に YouTube リンクを載せてある。)

結局、あの日 2001年11月30日の武道館でのクラプトンのライヴで聴いた、ジョージ・ハリスンとの共作 "Badge", ジョージの当時の妻パティを愛してしまって悩み苦しんだクラプトンが書いた "Layla" (作詞はクラプトン、作曲は前半部分がクラプトンで後半のピアノ・コーダは当時のデレク・アンド・ザ・ドミノスのドラマーであったジム・ゴードンの作というのが長年の定説だったがどうやら実際のところはゴードンがそのころ付き合っていたリタ・クーリッジだったらしい)、そしてスティーヴィー・レイ・ヴォーンや自身の息子が亡くなった後に作った曲だがその歌詞からすれば "Tears in Heaven" など ... それらの曲は、後になってますます沁みてくることになった。

上のリンク先にある当時の筆者の日記に、こんなことを書いていた。

クラプトンにとってジョージがどんなにかけがえの無い存在だったのか、ファンであれば、具体的な事実の数々は知っている。日本では夕方のニュースで配信されたようだが、クラプトンはそれを知ってから武道館に向かったのだろうか。 ・・・何とも適当な言葉がみつからない。

プロに徹したパフォーマンスという言い方もあるようだけど、しかしそういう表現では正確に言い尽くせないのではないかと思う。もともとクラプトンはそういう時にさっと気の利いたコメントを出すタイプではないし、即座に、急ごしらえの追悼の演奏をやるような(それが悪いということではない)タイプでもないと思う。クラプトンの心の奥深い部分で何があったのか、想像は出来ない。おそらくは、時間をかけて、クラプトンの創作活動に影響を与えていくのではないかと思うけれども・・・。

この数年の間のクラプトンは以前と違うスケールを感じさせるんだけど、しかし、それでも彼は、今度も残される側の人間として十字架を背負うことになったのだろうか。

(翌12月1日の報道で確認したが、やはりクラプトンは訃報を知ったうえでコンサート会場に向かったようだ。) 

ところで、

周囲の人の訃報や不幸ということで言えば、上に書いたこと以外でも色々あるなぁとあらためて感じ入る。

例えば、非常に短い活動期間ながら "Layla" ほか数々の名曲を世に残したデレク・アンド・ザ・ドミノス, その唯一のスタジオ・アルバムのレコーディングに参加したオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマンの死については上でも触れたが、ドミノスのドラマーであったジム・ゴードンはその後、ドラッグ依存症や精神的な病に冒されるなか母親殺害の罪で投獄され(刑務所の「精神病院」)、一方、ベーシストだったカール・レイドル、彼はクラプトンよりも3歳ほど年上なのだが、ドミノスのメンバーとしてだけでなく、ソロ・アルバム "Eric Clapton" (1970), "461 Ocean Boulevard" (1974), "E. C. Was Here" (live album, 1975), "There's One in Every Crowd" (1975), "No Reason to Cry" (1976), "Slowhand" (1977), "Backless" (1978) と非常に多くのクラプトンのアルバムのレコーディングやツアーに参加した人で、しかしながら、1980年5月30日に 37歳の若さで他界している。

ここまでなんの文学的修辞もなく書き連ねてきたが、クラプトン自身とクラプトンの身の回りに起きた出来事は、"Layla and Other Assorted Love Songs" の収録曲やそのほかパティとの関係で言えば "Wonderful Tonight", "Old Love" といった曲だけでなく、息子コナーの死を受けとめられないままに家に閉じこもってその後にできた "Tears in Heaven" といった曲、そうしたスタジオ・レコーディングの曲や曲作りだけでなく、ライヴのパフォーマンスなどにおいても、大きな影響を与えてきたのだろうと思う。ネガティヴな現象もあったことを書けば、若い頃にはアル中あるいはドラッグ中毒のためにヘロヘロの状態のままステージに立って演奏したライヴなどもあったわけで。

本章の冒頭で記したように、クラプトンを「人生そのものが表現と言っていいアーティスト」と評したのは 渋谷陽一("SIGHT", 2001年秋季号)。

以下、これは渋谷陽一が言った言葉でなくて、筆者の書くところだけれど、

そんなクラプトンの人生、彼のその人生がどれほど波乱に富んだものかは熱心なファンのよく知るところだが、そのクラプトンが表現と同義である自らの人生に、初めて、ある意味で距離を置きつつ真正面から向き合ったのが、1998年3月10日リリースのアルバム "PILGRIM" であって、そのアルバムは、クラプトンがその「人生そのもの」と言っていい「表現」の一つの到達点を示したものだった。

今日のこの note 投稿で筆者による和訳歌詞とともに取り上げるのが、そんなクラプトンの、長いキャリアの中でも極めて重要な位置に置かれることになった "PILGRIM" に収録されていた "River of Tears" ♫ 

だから、クラプトンの人生って 〜 "Standing at the crossroads, trying to read the signs" ♫

何とまぁ、本題 "River of Tears" に入る前に、前章で一気にクラプトンの「波乱」の人生をなぞってみたので、ここでは一昨日、2月25日付の note 投稿に掲載したこの曲と筆者による和訳歌詞、そして "crossroads" と記すとつい合わせて載せたくなるクリーム時代の "Crossroads", とくればその原曲 "Cross Road Blues" by Robert Johnson (May 8, 1911 – August 16, 1938) をまたまたしつこく ♫

"Let It Grow" written by Eric Clapton 〜 from "461 Ocean Boulevard", released in July 1974

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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十字路に立って標識を読んでみる
答をみつけるにはどっちに行くべきか、教えてくれるだろうか
だけど私にも、いつだってわかっていることがある
あなたの愛を植えよう、愛を育てよう

愛を育てよう、愛を育てよう
花を咲かせ、風になびかせよう
晴れの日も、雨が降っても、雪が降っても
愛らしく、美しく、愛を育てよう

私の心から出て行く理由を探してみる
頼りに出来る友達を、懸命になって探しているのに
与えるものは何も残っていない
愛を植えよう、愛を育てよう

愛を育てよう、愛を育てよう
花を咲かせ、風になびかせよう
晴れの日も、雨が降っても、雪が降っても
愛らしく、美しく、愛を育てよう

時間が短くなっていくけれど、あなたにはすべきことが沢山ある
心から願えば、きっと必要なものを手に入れられる
あとはあなた次第なんだ
愛を植えよう、愛を育てよう

愛を育てよう、愛を育てよう
花を咲かせ、風になびかせよう
晴れの日も、雨が降っても、雪が降っても
愛らしく、美しく、愛を育てよう

愛を育てよう、愛を育てよう
花を咲かせ、風になびかせよう
晴れの日も、雨が降っても、雪が降っても
愛らしく、美しく、愛を育てよう

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Crossroads (Robert Johnson, arr. Eric Clapton) 〜 Cream LIVE at The Fillmore, San Francisco, CA on March 10, 1968: from Cream's third album "Wheels of Fire" released on August 9, 1968

*この歌の歌詞の掲載に関しては, JASRAC から筆者に対し「著作権侵害」の指摘は為されていない。この楽曲の歌詞の著作権管理を委任されていないのか, あるいは古い時代の歌の歌詞で著作権フリーなのか, 事情は不明。あらためて指摘を受けたら削除するが, とりあえずは掲載のままとする(2022.9.1 加筆/編集)。

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I went down to the crossroads, fell down on my knees.
Down to the crossroads, fell down on my knees.
Asked the Lord above for mercy, "Save me if you please."

I went down to the crossroads, tried to flag a ride.
Down to the crossroads, tried to flag a ride.
Nobody seemed to know me, everybody passed me by.

Well I'm going down to Rosedale, take my rider by my side.
Going down to Rosedale, take my rider by my side.
You can still barrelhouse, baby, on the riverside.

Going down to Rosedale, take my rider by my side.
Going down to Rosedale, take my rider by my side.
You can still barrelhouse, baby, on the riverside.

You can run, you can run, tell my friend-boy, Willie Brown.
Run, you can run, tell my friend-boy, Willie Brown.
And I'm staying at the crossroads, believe I'm sinking down.

...............................

Cross Road Blues 〜 Robert Johnson (May 8, 1911 – August 16, 1938)

*この歌の歌詞の掲載に関しては, JASRAC から筆者に対し「著作権侵害」の指摘は為されていない。この楽曲の歌詞の著作権管理を委任されていないのか, あるいは古い時代の歌の歌詞で著作権フリーなのか, 事情は不明。あらためて指摘を受けたら削除するが, とりあえずは掲載のままとする(2022.9.1 加筆/編集)。

..............................

I went to the crossroad
fell down on my knees
I went to the crossroad
fell down on my knees
Asked the lord above "Have mercy now
save poor Bob if you please"

Yeeooo, standin at the crossroad
tried to flag a ride
ooo ooo eee
I tried to flag a ride
Didn't nobody seem to know me babe
everybody pass me by

Standin at the crossroad babe
risin sun goin down
Standin at the crossroad babe
eee eee eee, risin sun goin down
I believe to my soul now,
Poor Bob is sinkin down

You can run, you can run
tell my friend Willie Brown
You can run, you can run
tell my friend Willie Brown
(th)'at I got the croosroad blues this mornin Lord
babe, I'm sinkin down

And I went to the crossraod momma
I looked east and west
I went to the crossraod baby
I looked east and west
Lord, I didn't have no sweet woman
ooh-well babe, in my distress

River of Tears (Eric Clapton) 〜 歌詞和訳

この歌の歌詞は、2001年9月29日に訳した。"River" は「河」でよかったのか、あるいは「川」がよかったのか、微妙。「河」は何となくゆったりとしたスピードで流れる「大河」を感じさせるが(一方で「涙の河」と書くとその文字からだけの連想でつい筆者などは宮本輝の原作で小栗康平が映画化した「泥の河」を思い出してしまうところもあるが)、「川」はよりその流れを感じさせる漢字であり言葉に想える。

クラプトンの人生のそれは、大抵の人のそれよりも、ジェットコースターのように速いスピードの流れだった時が多かったのではと思うが、しかし当然ながら、またある時は大河の流れに近いものだったりと、色々だったのだろう。そんなことを想像しながら。

"River of Tears" (Eric Clapton/Simon Climie) 〜 from "Pilgrim", the thirteenth solo studio album by Eric Clapton, released on March 10, 1998

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

..............................

その河まで3マイル
私を運び去ってしまう河
埃だらけのその通りまで2マイル
今日あなたを見た場所

私のひとりぼっちの部屋まで4マイル
そこは私がひっそりと身を隠す場所
ダウンタウンのバーまで 0.5 マイル
そこは私が恥辱から逃れた場所

神よ、私はどれだけ走り続けなければならないのか
7時間? 7日間? それとも7年間?
あなたがいなくなってしまってから
私に判るのはただ一つだけ
私はまるで河で溺れているみたいだ
そうさ、涙の河で溺れている
河で溺れている
まるで溺れているみたいなものさ
河で溺れているんだ

あと3日のうちに私はこの街を出て行くだろう
足跡すら残さず消え去るつもりだ
そして1年後、おそらくどこかに落ち着くことになる
私のことなど誰も知らない場所に

あなたのことをもう一度抱きしめることが出来れば
この苦しみを和らげることが出来るはずなのに
だけど行かなくちゃ
私にはもう時間が残されていないんだ
また走り去るほかないのさ

それでも私は、今もある考えにとらわれている
いつか私はここに戻る方法をみつけることになる
あなたは溺れている私を救い出してくれるだろう
河で溺れている
涙の河で溺れているんだ
河で溺れているんだ
まるで溺れているみたいだ
一人でもがいても逃げられない
神よ、この苦しみはあとどれだけ続くのか

私は魂の居場所を探している
私は涙の河で溺れている

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筆者の和訳歌詞は以下のリンク先。ただし、筆者のホームページは 2001年夏に立ち上げて以降 HTML 基礎知識のみによるその仕様を一切変えておらず、PC で閲覧するブラウザなら問題ないと思うが、現在スマホからアクセスすると OS 次第で文字化けする。

River of Tears (Eric Clapton) 〜 歌詞和訳, もうひとつのヴィデオで

"River of Tears" (Eric Clapton/Simon Climie) 〜 from "Pilgrim", the thirteenth solo studio album by Eric Clapton, released on March 10, 1998

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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その河まで3マイル
私を運び去ってしまう河
埃だらけのその通りまで2マイル
今日あなたを見た場所

私のひとりぼっちの部屋まで4マイル
そこは私がひっそりと身を隠す場所
ダウンタウンのバーまで 0.5 マイル
そこは私が恥辱から逃れた場所

神よ、私はどれだけ走り続けなければならないのか
7時間? 7日間? それとも7年間?
あなたがいなくなってしまってから
私に判るのはただ一つだけ
私はまるで河で溺れているみたいだ
そうさ、涙の河で溺れている
河で溺れている
まるで溺れているみたいなものさ
河で溺れているんだ

あと3日のうちに私はこの街を出て行くだろう
足跡すら残さず消え去るつもりだ
そして1年後、おそらくどこかに落ち着くことになる
私のことなど誰も知らない場所に

あなたのことをもう一度抱きしめることが出来れば
この苦しみを和らげることが出来るはずなのに
だけど行かなくちゃ
私にはもう時間が残されていないんだ
また走り去るほかないのさ

それでも私は、今もある考えにとらわれている
いつか私はここに戻る方法をみつけることになる
あなたは溺れている私を救い出してくれるだろう
河で溺れている
涙の河で溺れているんだ
河で溺れているんだ
まるで溺れているみたいだ
一人でもがいても逃げられない
神よ、この苦しみはあとどれだけ続くのか

私は魂の居場所を探している
私は涙の河で溺れている

River of Tears (Eric Clapton) 〜 歌詞和訳, "PILGRIM" アルバム・カヴァーを付けて

"River of Tears" (Eric Clapton/Simon Climie) 〜 from "Pilgrim", the thirteenth solo studio album by Eric Clapton, released on March 10, 1998

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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その河まで3マイル
私を運び去ってしまう河
埃だらけのその通りまで2マイル
今日あなたを見た場所

私のひとりぼっちの部屋まで4マイル
そこは私がひっそりと身を隠す場所
ダウンタウンのバーまで 0.5 マイル
そこは私が恥辱から逃れた場所

神よ、私はどれだけ走り続けなければならないのか
7時間? 7日間? それとも7年間?
あなたがいなくなってしまってから
私に判るのはただ一つだけ
私はまるで河で溺れているみたいだ
そうさ、涙の河で溺れている
河で溺れている
まるで溺れているみたいなものさ
河で溺れているんだ

あと3日のうちに私はこの街を出て行くだろう
足跡すら残さず消え去るつもりだ
そして1年後、おそらくどこかに落ち着くことになる
私のことなど誰も知らない場所に

あなたのことをもう一度抱きしめることが出来れば
この苦しみを和らげることが出来るはずなのに
だけど行かなくちゃ
私にはもう時間が残されていないんだ
また走り去るほかないのさ

それでも私は、今もある考えにとらわれている
いつか私はここに戻る方法をみつけることになる
あなたは溺れている私を救い出してくれるだろう
河で溺れている
涙の河で溺れているんだ
河で溺れているんだ
まるで溺れているみたいだ
一人でもがいても逃げられない
神よ、この苦しみはあとどれだけ続くのか

私は魂の居場所を探している
私は涙の河で溺れている

PILGRIM 〜 収録アルバム、レヴューもどき

今日の note 投稿で取り上げた "River of Tears" の歌詞を和訳した日、2001年9月29日に書いて、その和訳歌詞と同様にその前の月に立ち上げた筆者のホームページに掲載した、同曲収録アルバム "PILGRIM" に関する筆者による私的「レヴュー」もどき。

同アルバム 1曲目、この "My Father's Eyes" の下に。

上に書いたように、以下は、2001年9月29日に書き(HTML 打ち!)、その日、前月2001年8月19日に立ち上げた筆者のホームページ上に掲載した、筆者による私的「レビュー」もどき(その自分の文章を20年近く経ってそのまま転載)。

画像2

PILGRIM

1. My Father's Eyes
2. River Of Tears
3. Pilgrim
4. Broken Hearted
5. One Chance 
6. Circus
7. Going Down Slow
8. Fall Like Rain
9. Born In Time
10. Sick And Tired
11. Needs His Woman
12. She's Gone
13. You Were There
14. Inside Of Me
15. Theme From A Movie That Never Happened (orchestral) (bonus track for Japan)

1998年に発表された、クラプトンの自叙伝的色彩の濃いアルバム。内容はまさにクラプトンのセルフ・ポートレイトもしくはオートバイオグラフィと言っていいものであるが、本人が意識したかどうかに関わらず、UNPLUGGED と FROM THE CRADLE の、アルバムの出来及びセールス両面の大成功を経たからこそ、手掛けることの出来たアルバム・コンセプトだったと言えるかもしれない。狭義の(?)オリジナル・アルバムという意味では、JOURNEYMAN ('89年) 以来約 9年ぶりの作品である。

クラプトン自身と、覆面プロジェクト T.D.F. (RETAIL THERAPY '97年) の時のパートナー、サイモン・クライミーがプロデュースし、クラプトンのブルースに根ざしたサウンドに、現代的な感覚の装飾を施して仕上げられた音になっている(少なくとも表面的にはクラプトンの音としては異色に聴こえる)。

一方で、My Father's Eyes や River Of Tears を始めとして、ほとんど全ての曲の歌詞をクラプトン一人で書き上げたことも、本作について特筆すべき点の一つだろう。例外は二つ、7 はブルースの古典のカヴァー、9 はボブ・ディランのカヴァーだが、これらも実はその歌詞の内容から、アルバム・コンセプトに沿って選曲されたということらしい。

渋谷陽一が季刊誌 SIGHT の 2001年秋季号で、クラプトンを「人生そのものが表現と言っていいアーティスト」と評しているが(彼の人生がどれほど波乱に富んだものかは熱心なファンのよく知るところだが、ここでは詳述しない)、そのクラプトンが表現と同義である自らの人生に、初めて、ある意味で距離を置きつつ真正面から向き合ったのが本作であり、ここでクラプトンはその表現の一つの到達点を示したわけで、本作は彼の長いキャリアの中でも極めて重要な位置に置かれることになるに違いない。

なお、余談だが、この CD のカヴァー・デザインが貞本義行という日本人によって(クラプトンの依頼を受けて)制作されたということも、発表当時わりと大きな話題になっていたが、私自身はこのデザイン、あまり好きではない。これは個人の好みにもよるんだろうが、ファンの一人に過ぎない私個人としては、クラプトンという人とこのデザインの趣味は、どうにもミスマッチのような気がしてならないんだけどなぁ・・・。

(2001年9月29日、記)

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上掲の通りで、余談として、アルバムのカヴァー・デザインは個人的にはあまり好きでない、クラプトンという人とこのデザインの趣味はどうにもミスマッチ、云々、書いているのだが、今日の note 投稿ではタイトル上のイメージに使ってしまった。最初は "River of Tears" に合わせた他の画像を使ってみたのだが、まぁあれの方が目立つかと思い・・・。

筆者も昨年ついに「還暦」を迎え、大人になったのかもしれない(笑)。

上記のアルバム私的「レヴュー」もどきは、以下のリンク先。ただし、これまで何度も書いているように(しつこい、笑)、筆者のホームページは 2001年夏に立ち上げて以降 HTML 基礎知識のみによるその仕様を一切変えておらず、PC で閲覧するブラウザなら問題ないと思うが、現在スマホからアクセスすると OS 次第で文字化けする。

付録 1: PILGRIM と言えば Pilgrim Fathers, Pilgrim Fathers と言えば Mayflower, Mayflower と言えば "Oh, we come on the ship they call the Mayflower" ♫ 〜 "American Tune" (Paul Simon)

というわけで、ポール・サイモンの名曲「アメリカの歌」、その背景、メロディと筆者による歌詞和訳。

英単語からの連想ゲームで音楽的接点がそれほどあるとも思えない二人を繋ぐのには違和感を覚える向きもあろうかと思うが、音楽というのは元々とても個人的な体験でもあって、本 note 投稿の最初の章「Me and Eric Clapton 音源てんこ盛り」の最初の「音源」の下辺りに書いたように、「筆者がこれまでの人生で合計いちばん長い時間にわたって聴いてきたのは、サイモンとガーファンクル時代を含むポール・サイモンの音楽と、エリック・クラプトンの音楽」なので、こうしてここでポール・サイモンに繋げてしまうことには、個人的には全く違和感がない。それでいいのだ ♫ と昔、バカボンのパパがよく言っていた通りなのだ。

付録 2: 一家三人でやったのは、畏れ多くもクラプトンの "Unplugged" カヴァー・ヴァージョンを真似たカヴァー「もどき」

当時 41歳の筆者が当時 29歳(だったような気がする!)の妻、当時 9歳だった息子と演奏した "San Francisco Bay Blues", "Nobody Knows You When You're Down and Out" は、Eric Clapton's 1992 MTV Unplugged Live version のカヴァー「もどき」、後者は筆者による和訳歌詞つき!

付録 3: "River of Tears" は 「人生のポケット」 について歌っている歌なのではないかと思えてきた 〜 but plant your love and let it grow ♫

.. 後者の方はクラプトンの別の歌、"Let It Grow" の歌詞の一節を借用してるんだけどなぁ(笑)。

でも実際、20年近く前に自分で和訳した "River of Tears" の歌詞をあらためて味わっているうちに、この歌ってまるで「人生のポケット」に嵌まり込んだ人間の歌なのかなと思えてきたのだ。

で、もう一つの歌、"Let It Grow" の方にはそういうある種の「暗さ」みたいなものはさして感じられないものの、"Let It Grow" は "Let It Grow" で、後年作られた "River of Tears" の後に歌ってもいいようなことが歌われているような気もする。まぁ "Let It Grow" については筆者の note 投稿のタイトル上の写真が、「人生のポケット」の方と「花」繋がりってこともあるんだけど。つまりその、たぶん、おそらく、我田引水、牽強付会「の・ようなもの」(笑)。

というわけで、「人生のポケットから出る方法はどこかにある」


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