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タージ・マハル 〜 1983年12月23日

前説

37年前の今日、タージ・マハルを訪れた。筆者の頭の中ではずっと「タジ・マハール」で、書く時も「タジ・マハール」だったんだけれど、おそらくは昔はカタカナ表記では普通はそれだった、その名残りということかな。今年 911 に還暦を迎えた筆者(筆者つまり拙者は1960年911生まれなのだが、シリアの独裁者・現大統領のバッシャール・アサドは1965年911に生まれていて、1973年911にはアメリカ合州国CIAの画策による例の如くのチリの民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデの政府に対するクーデターがあってアジェンデがその日死んでいて、2001年911にはアメリカ人が自国が起こしたチリの悲劇の911は知らずともこっちの911だけは絶対忘れませんと言いそうなアメリカ同時多発テロが起きていて、まぁ要するに近代史的にはロクなことがない、筆者の誕生日以外は、爆、自爆テロじゃなくて自分で「爆笑」の「爆」、そんな筆者つまり拙者は37年前の1983年の911はシリアのパルミラにおりました、それについては本 note 投稿の付録にて)、嗚呼「嗚呼!!花の応援団」、長い括弧書きだった、長い( )書きに「」一つおまけ、いや「」は計二つおまけ、まぁ「兎にも角にも」何故ウサギにもツノなのかなんてことを考えながら兎に角とにかく今年ついに還暦になってしまったので、昔の日本語の表記はこんなだったが今は違うみたいだ、なんてのはザラにある。何なんだこの前説は、ナンなんだ、インドのパンのナンって美味しいよね、

というわけで、インドで見たいものベスト5を挙げれば、ナンとナンと何と何と大抵の人がその中に入れることになるタジ・マハール、ってか、タージ・マハル。

タージ・マハル で撮った写真8枚

まぁ当時スマホがあれば 800枚撮っていたかもしれないけれど(笑)、とにかく、タージ・マハルの美しさは正真正銘。日本でも海外でも「美しい」と聞いていたのにそれに紹介されていた写真では綺麗だと思っていたのに実際にその観光地に行ってみたら、あれ、ちょっと抱いていたイメージと違うな、というのはあると思うけれども、タージ・マハルはこれはもうほんと、嘘が全くない、正真正銘、リアルな、本当の(しつこいか、笑)、「美しさ」。

タージ・マハルを観たことがない人が頭の中でイメージを膨らませて「うーむ、この世のものとは思えない美しさ」なんだろうなと期待して行っても、決してその期待を裏切らないし、そんなイメージを持って行ったとしても圧倒される可能性が高いし、逆に「まぁ行けばそれほどでもないんだろうな」ぐらいで行ってしまうと、あまりの美しさに卒倒してしまうんじゃないかと思う、そういうレベルの「美しさ」。

さっきから「美しさ」「美しさ」と連発しているけれど、他に何を言いますか、ってなもんで、実際あの「美しさ」を見てしまうと、ヘタに硬めの言葉で「華麗」だの「荘厳」だの美辞麗句を並べても虚しくなりそうで ... 

でもあれから37年経っている。今もちゃんと「美しさ」は保たれているかなという疑念が 0.00001秒 だけ頭をよぎったけれど、竣工後330年経ってアレだったんだから、今も当然ダイジョーブでしょう。

これは筆者がタージ・マハルを訪れる前の年、1982年のダイジョーブ、「だいじょうぶ マイ・フレンド」。

御託と懐かしの「だいじょうぶ マイ・フレンド」(しかし広田玲央名の歌のヘタさ加減は見事というしかない、何はともあれ加藤和彦は本当に偉大な音楽家だった)はこのくらいにして、そろそろ37年前の今日撮った写真を。

でもその前にさらっと書いておくと、筆者は1983年から翌1984年にかけてバックパッカーして、ロシア、あ、当時のソ連、それからヨーロッパ(西ドイツ、西ベルリン、それから東ドイツの東ベルリン、他にも今はその人も当時のその国も亡きチトーのユーゴスラビアにも行った、嗚呼!!「嗚呼!!花の応援団」懐かしい)、そして1ヶ月いたギリシャを出た後は中東へ、トルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、その後はトルコに戻り、後は東へ西へ、

じゃなかった東へ東へ、イラン、パキスタン、パキスタンは昔はインドの一部だったけれどあの国はイスラーム圏であるために中東地域のイメージもあるな、正確には西アジア? .. パキスタンの後は地域的には南アジアと言うんだろうか、インドを 1ヶ月半かけて旅し、後は東南アジアはタイだけ、東アジアは韓国だけ行って、それでおしまい。やっぱ御託が終わらなかった。

さて、タージ・マハルはあまりに有名だし、タージ・マハルについての御託を今更ここに書かなくてもいいかなと。安直にウィキペディアから引っぱってしまうと、インド北部アーグラ(筆者はこれも「アグラ」と言ったり書いたりしてきたけれどアーグラが原語の発音に近いんだろう)にある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのために建設した総大理石の墓廟。インド・イスラーム文化の代表的建築。1632年着工、1653年竣工(とされる)。マハルは愛妃の名前なのだった。

タージ・マハルについてはそもそも筆者、ウィキペディアに書いてあることを超えるほどに知らない。まぁ大概のことはそうか(笑)。でも時々ウィキペディアに書いてあることの間違いを見つけたりする。脱線。

一体いつになったら写真を載せるのかと自分で呆れてきたところで、さて、載せるけれど、1枚目は猿。2枚目は仲睦まじい猿の夫婦。タージ・マハルの直ぐ近くで撮ったのだ。

タージ・マハルはもちろん、実物を見るのが一番。どんなプロの写真家の写真だって、実物には到底敵わない。だから、37年前の今日筆者が撮った写真が、実物の美しさ「そのまま」をその通りに表現できているはずがない。

それ言ったら、身も蓋も無い。

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写真はあと3枚。このヴィデオの下に掲載。タージ・マハル擬似体験。あくまで「擬似」体験の 4分弱ヴィデオ。


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BGM はこれでしょう 〜 Part 1

ラヴィ・シャンカルは言わずと知れたインドのミュージシャン、シタールの達人。因みにノラ・ジョーンズとアヌーシュカ・シャンカルは母親は違うけれど、共にラヴィ・シャンカルの娘。ノラはお姉さん、妹のアヌーシュカ・シャンカルは父親と同じくシタール奏者。

BGM はこれでしょう 〜 Part 2 (笑)

見出し的には(笑)を付けたけど、こちらはその名も Taj Mahal, ただし、スペルは同じながらカタカナ表記では大抵、タジ・マハールと書かれている。日本語の中のカタカナによる外来語表記は当然ながらと言うべきか、原語の発音からしたらおかしなものが少なくないわけだけれど、でもこの人はニューヨーク、ハーレム生まれのブルーズ・ミュージシャン、Taj Mahal を英語読みすれば発音は「タジ・マハール」に近いのかな。

ステージ・ネームが同じ Taj Mahal の縁で、タジ・マハール、「女王蜂、血の日曜日のセッション」、直訳 ♫ 🎸 

「血の日曜日」, Bloody Sunday とは、1972年1月30日に北アイルランドのロンドンデリーで起きた、約1万人の市民がデモ行進していた中でうち27人がイギリス陸軍落下傘連隊に銃撃された事件(14人が殺され、13人は負傷)の呼称でもある。

*あのですね、Bloody Sunday Sessions is a web-based video series of stripped down musical performances occurring in the back of the iconic New Orleans' mule-drawn carriages, 念の為ここでの Bloody Sunday について、真面目におことわりしておきます!♫

Bonus track

BGM はこれでしょう 〜 Part 1 で取り上げたラヴィ・シャンカルの娘たち(母親は別だけど)、アヌーシュカ・シャンカルとノラ・ジョーンズの共演。

付録 〜 Part 1

前章のアヌーシュカ・シャンカルとノラ・ジョーンズの共演は、この投稿の締め括りの音楽でもあったのだ。

本 note 投稿で取り上げたタージ・マハルのあるアーグラにはデリーから行ったんだけれど、デリーの前はダラムサラ(上)、その前はアムリトサルにいた。

付録 〜 Part 2

本 note 投稿、タージ・マハルと銘打ったけれど、投稿テキストの其処彼処には、イスラーム、キリスト教(BGM はこれでしょう 〜 Part 2 での音楽ではなくテキスト脱線した方の「血の日曜日」はキリスト教に関係ある)、仏教やシク教(前章、付録 〜 Part 1)と、「宗教」の断片が散りばめられている。そういや BGM はこれでしょう 〜 Part 1 で取り上げたラヴィ・シャンカルの音楽はジャンルとしてはヒンドゥースターニー音楽で、それは北インドにおけるイスラーム王朝の宮廷で発展した古典音楽ということだけれど、ラヴィ・シャンカル自身はムスリムでなくてヒンドゥー教徒なのかな。インドの宗教と言えば、ムスリムもかなり多いものの、多数派の宗教はヒンドゥー教なわけだけれど。と、無理矢理、ヒンドゥー教にも触れてみた。

無理矢理だなぁ。そもそも宗教って「無理矢理」、あるいは「無理強い」とまで言わなくても、「強制」制が伴うよね。いや、「選択」です、という人は少なくないだろうけど、単に例えばイスラーム圏の一部では嫌で着けたくない女性もヒジャブ強制されて外出時にそれしないで投獄される国まである、ってなことだけでなく、そもそもキリスト教徒の親のもとで生まれ育った子は大抵とりあえずクリスチャンになるし、ムスリムの場合も普通は、親がイスラームを信仰しているのなら子どもも生まれた時からムスリムってもう「決まり」。それって「強制」の「権化」(は元々は仏教用語だけど、笑)「の・ようなもの」(は秋吉久美子主演、森田芳光監督、筆者つまり拙者がタージ・マハルを訪れた年の前々年1981年の日本映画だけど、笑)だよね。それは事実上「洗脳」、控えめに言って「ほぼ洗脳」。

そういうわけで 、無神論者の筆者が「宗教」についてちょっと NO したやつ、あ、タイプミス(笑)、note 投稿したやつへのリンク(これは具体的には主としてイスラーム関連の事例だったけど)。

付録 〜 Part 3

本 note 投稿の「前説」で、「37年前の1983年の911はシリアのパルミラにおりました、それについては本 note 投稿の付録にて」と書いていたではあ〜りませんか(笑)。 


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