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デフレ と 堕落論 と ツァラトゥストラ の相関

ちょっとピンぼけ

残念ながら, 本 note のタイトル写真, 右のフリードリヒ・ニーチェ(1844年10月15日 - 1900年8月25日)よりも, 左の坂口安吾(1906年10月20日 - 1955年2月17日)の方が ..

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表紙だけネットから拝借, 若い頃に読んだロバート・キャパの「ちょっとピンぼけ」(原題は "Slightly Out of Focus"), 俺が読んだ版は違う表紙だった。というか, あの本は面白い本だったけれど(と言っても, どんな内容だったか, 細かいところはもう忘れた!), 1983-84年の「海外放浪もどき」貧乏旅行中 ..

.. に知り合った男に 1990年代に貸したままで, そのまんま(「そのまんま東」はつまんねぇ, 脱線!)返ってきてない気が .. 返してくれ(笑)。

実を言うと, もはや誰に貸したのかについても記憶が曖昧になっているのだが, 何となく上記の通りのような気がする。だとすれば, おそらくは本 note 最終章に出てくる H島 ということになるのだが, もう一度書いておくと, はっきりした記憶がない。ま, いっか。

というわけで, 本 note のタイトルとはほぼ関係ない前書きは, これにて了。

いや, 関係あるかも。俺がむかし書いたあれはけっこう「与太話」(この文脈では出鱈目な話という意味ではなく, ばか話といった程度のニュアンスです)性が強い, もしくは「ちょっとピンぼけ」な中身かもしれないからなぁ .. と, 「牽強付会」。この四文字の使い方も「ちょっとピンぼけ」。

ぶっ飛び話の前に, 真面目な話 〜 西部邁が説く解り易い自由論を, 坂口安吾の「堕落論」につなげてみる

今日のこの note とはあまり関係ないけれど, 少なくとも「坂口安吾」は重なる。これは, 真面目な話。

今日取り上げる内容も別に不真面目というわけではないのだけれど, しかし何だか話が 〜 飛びます, 飛びます

坂上二郎(1934年4月16日 - 2011年3月10日), 二郎さん, あなたは偉大だった。合掌。

ではでは,

デフレ と 堕落論 と ツァラトゥストラ の相関 〜 2004年3月13日

まずは, 便宜上, 本 note 第2章 ぶっ飛び話の前に, 真面目な話 〜 西部邁が説く解り易い自由論を, 坂口安吾の「堕落論」につなげてみる にリンクを貼った 前回 note の本論(第3章) 西部邁が説く解り易い自由論を, 坂口安吾の「堕落論」につなげてみる 〜 2004年 3月20日 の冒頭から転載。

2001年夏, 「完成までたったの 3日間 ゼロからのホームページ作り」という本を買って, 流石に「3日間」は無理だったが(専念すれば十分可能だったと思う), 数日のうちに自前のホームページを立ち上げた。
数年いや十年?兎に角だいぶ以前から更新しておらず, かつ当時「ホームページビルダー」のようなソフトは一切使わないで原始的な Html だけで運営していたウェブサイトの, その仕様をその後も全く変えていない。そういうわけで, パソコンで使うブラウザなら大抵閲覧可能だと思うけれど, スマホなどからアクセスすると, OS次第で文字化けする。
ともあれ, その自前のホームページには当時, 日記めいたものを載せたり, 音楽評的なものや, 好きな英語の歌の歌詞を自分で和訳したもの, 映画評のようなもの, 社会・政治時評の・ようなもの, などを載せたりしていた。
あ, 違う, あれは映画だ(笑)。

そこまで転載するか(笑)。

何はともあれ(再笑), その昔のホームページ上に 2004年3月13日付でアップしていた「ばか話」..

(上に記した通り「パソコンで使うブラウザなら大抵閲覧可能だと思うけれど, スマホなどからアクセスすると, OS次第で文字化けする」)

.. を, 以下にそのまま 転載する。

デフレ と 堕落論 と ツァラトゥストラ の相関
デフレって何? そいつぁ経済学の本でも読んで。
堕落論? それは坂口安吾が書いたお話(小説じゃないよ)。
僕が持ってるのはボロいカバーの角川文庫だけど、左の写真は同じ角川でも違うね、カバーが。
ま、カバーより中身なんだが、左のはどっかから引っぱってきました。
単に、僕はデジカメ持ってるけどスキャナー持ってなくて面倒で。

写真は別にここに載せなてくもいいのでカット。デジカメは何処に行った? たぶん押し入れ。その後, 写真のスキャンは, プリンターに付いてる機能を利用してやってます。

ツァラトゥストラは、ニーチェが書いたお話ですね。
ツァラトゥストラのことは ここでも触れたけど、
こっち では 映画、2001: A SPACE ODYSSEY を論じる(笑)なかで触れております。

note ではこれ。

さらに, 関係する note として,

ああ, 話が 飛びます, 飛びます,

さて, 

ようやくのこと, 

・・・ さて、以下は、本日、友人H島宛てに書いたメールの「ほぼ」写しであります。
・・・
そういや、俺も経済学部卒だった。
俺なんか高校時代は数学がピカ1で(ほんとはピカ2が高校の最高位)(嫌味というより、大昔の、今と直接関係ない話である分、正真正銘馬鹿話)、
授業料なんか出せない親の猛反対を押し切って早大理工にいって(単にイメージだけに憧れたのが青少年の浅はかさ!)
数学者にでもなろうと思ってたのに、
何故か高3の2学期から文系志望になり(あんときゃ最初は法学辺り志望したはずだが動機も忘れた、笑)、
懐かしの共通一次願書締め切り直前に願書提出、突然7科目勉強始めたかと思うと、
行動科学と教育と経済しかないH大文Ⅱを受験、3年からの専攻は行動科学志望で不人気につき一番簡単だったのに、直前に突然経済に変更、
行ってみたら予想通り本当につまんねー話ばかり、げんなりして行動科学科の文化人類学の教授に相談、
我慢して来年編入試験受けなさいと言われその気でいたら、
翌年は行動科学バブル?で何故か2年からの正規進学希望が殺到、他学部からの編入試験は中止。

この辺のことは, 以下 note

の, 「一言で言うと北大の学生だったからだけど、なぜ北大だったのかという自分と一部近親者(①血筋の近い親族, ②きわめて親しい関係にあること, その何れかもしくは両方を満たす人)以外の殆どの人に興味を持たれそうもないことを、しかし自分史の一部なのでここにさらっとでも書いておきたい気がしたのだが、やっぱりごちゃごちゃした事情を纏めて書くのが面倒くさくて断念。昔々のジュラ紀の世界が広がり(さあ 不思議な夢と遠い昔が好きなら, さあ そのスヰッチを遠い昔に廻せば, ジュラ期の世界が拡がり, はるかな化石の時代よ) ♫」で始まる 第1章 札幌にいた理由 〜 タイムマシンにおねがい ♫ に, 結局ごちゃごちゃっと纏めて記してある。「一部近親者(①血筋の近い親族, ②きわめて親しい関係にあること, その何れかもしくは両方を満たす人)以外の殆どの人に興味を持たれそうもない」と思うけど(笑)。

話を戻します!

そうして俺は漂流を続けてイスタンブールでH島と遭い、今日に至るのであった。
行動科学じゃなくても、教育でもよかったよ、俺は。何やってんだか分らん、俺は。
そこいくと俺の兄貴なんか立派だ(笑)。
工学部に入ったものの、勉強は一切せず(補足:少ししたと思います、そもそも勉強しなかったのは弟も同じ、笑)、
ブルーノートからジャズ理論まで猛勉強、ギタリスト他流試合数知れず、賞の数知れず、
兄貴が大学卒業したかどうかは、我が実家ではほとんどタブーの世界である(笑)。
俺の記憶ではもう20年近く前、たった1回しか話題に上ってない。
それも、親父もお袋も弟の俺も、そして本人までただ笑ってしまい、誰も真実を確かめようとしなかったのである。
本人は民主党のバカ古賀潤一郎くんとは違って知ってるはずだが、マスコミの調査も入らんし、家族には分らん。
しかし今や生業ミュージシャン、去年なんかギター弾きの憧れ?の雑誌ギター・マガジンでも紹介記事が出たよ。
うーん、いつのまにか身内自慢の迷路に入り込んでしまった。悲しいものよのぉ。
> 「構造改革論者」というのは、実はモラリズムに彩られており、悪い奴、怠け者が
> いるから不景気になった。日本型の前現代的な経済システムは、だからそこを正そうというようなところがあって、
> これが庶民には割合受ける。支持される。
構造改革論者は、護送船団方式はやめよう、そういう産業は国際競争力が育たないってことをしきりに言ってたんだが、
たしかにこういうのは、怠け者がいるのに船団組んで真面目な(働き過ぎの)奴と共に進むのはおかしい、
みんなで沈没して働き者まで損するのはおかしいみたいになって、
そのうち規制緩和だ、実力主義だ、業績給だ、能力給だ・・・となってくる。
他人事の話題であるうちは、これが庶民に受けるんだな。
> バブルも弾けるまでは、原理的には(それが)バブルかどうか分からないという。
バブルは旧大蔵省は知ってたが、弾けるときの弾けさせ方を大失敗したって話もあるぞ。
まぁ大衆がバブルを知らなかったのはたしかだ。弾け始めたら急に喧しくなったが。
> とにかく先行き不安でとにかく万能な現金をもっときたいということになれば、
> これがかっこいい経済学言葉の「流動性の罠」ということらしい。
なんかデフレ・スパイラルと似たようなもんだな。大雑把でいいや。
デフレが起きても名目賃金はそう比例的に調整できない。
先行き不安がまずあってせいぜいベースアップなしとか定昇ストップ、能力給制度などの総人件費対策程度。
H島の画期的提案、みんなで給料下げようってのはなかなか庶民が採用してくれない。エライさんも嫌がる。
デフレが起きても名目金利はそうそう調整できない。金利は落ちる、落ちる。
金利が落ちきってデフレが定常化する。つまり、金利が落ちきってデフレになれば、ところがどっこい、実質金利は高まってしまう。
こうなりゃ需要はますます落ち込んだままだ。
俺の理解では、もうどうしようもない。えらい経済学者には理論上の対策があるんだろうが、経済理論の実践が上手くいったことなどあるのか。
経済は大衆のものであるだけに、結局最大公約数的な落としどころに落ちて、大して効果なしって話。
先行きとか老後の問題とか年金の問題とか、要はそっちを何とかしないとダメだって気がする。
年金でしょーもない保養施設を全国に作って結局大赤字でつぶし、年金を運用して大失敗して大赤にし。ちょっと厚生労動省の失態はひど過ぎるんでねーかい。
ここでこの話、終わり。俺は昨日は大残業になってしまい、家に着いたのが1時前ぐらい。
帰りの電車の中で、いつもバッグに安吾の「堕落論」が入ってることを思い出し、また読み返した。

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―― うーむ、何度読んでも俺は惹かれるぞ、この啖呵の斬り方。 (冒頭の次は、一気に最後の部分を以下に引用)

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―― これで「堕落論」は終わるが、こうしてみると冒頭と最後で共に「上皮」という言葉を使ってるな。安吾は本当にアジが上手い。

魚のアジも美味いね .. おやじギャグで脱線! 

話を戻す。

武士道は倫理のたまものでなく、逆に人間は放っておくと淪落することを知っているからあみだしたもので、その中身は愚にもつかず
非人間的、反人性的だが、人間を洞察する真理においては人間的であるという逆説。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
こんなこと言う辺り、俺はツァラトゥストラを思い出すぞ。
誰かもうとっくに堕落論とツァラトゥストラの重なりを指摘してるのかな。
俺は前からそう思ってるんだが、ま、そんなことエライさんがとっくに指摘したりいや違うとか言ってたりするかもな。
ま、いいか。
デフレは経済が堕ちるということか。しかし、結局経済学は経済が堕ちきる術など知らないし、
人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。大抵どこかで何とかしてしまうのだが、堕ちる道を堕ちきることによって、
自分自身を発見し、救うということができるのかどうか。
安吾流に言えば、経済による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
しかし、結局、構造改革だ、規制緩和だ、実力主義だ、愚にもつかないことを考える。果てはグローバリズムだ、
しかしこれはこれでますます人間、というより人類が堕ちていくことになるのかな。それがいいとは思わんが。
この堕ち方で自分自身を発見することができても、もはや人類手遅れになっちまうかもしれんもんな。
グローバリズムなんてほんと、愚にもつかない物である。
戦後の日本、っつったってもう60年になんなんとしているが、結局、自分自身を発見し、救うことはなかったし、
「自分自身の」武士道、「自分自身の」天皇をあみだすこともなかった。
日本の天皇なんてそのまんまだ、戦前も戦後もずっと本質は変わってないと思うよ。
武士道なんて言い出したら、最近はイラク派兵の陸自の大将(1佐だか何だか忘れたが)から、防衛庁だか自衛隊だかの
エライさんまで、昔馴染みの武士道そのまんまに使い出してるじゃないか。
彼らが言ってるのはもちろん「自分自身の」武士道なんかじゃなくて、日本古来の武士道のことさね。
彼らのせいじゃなくて、日本人、もしくは人間の非力を言うべきかもしれんが。
「堕落論」はずっと通用すると思うね、悲しいことかもしれんが。
はて、自分はどう自分自身を発見し、どう救うことができるか。そいつが問題だ。
どっかにハウ・ツー本でもないか(笑)。そりゃ有り得ないな。
堕ちることを堕ちきるってのはとても言えない。
生きることを生ききる、そのなかで何とかしたいと、俺は漠然と思っているぐらい。
それでも、生きることは是だ。俺は生きるよ。
何だかいっぱい書いたな、例によって。
デフレと堕落論とツァラトゥストラの牽強付会(笑)は一人で悦に入ってるから、明日あたりホームページに載せてしまおう。
安吾の遺族から著作権侵害で訴えられたりもせんだろう(笑)。
今日は載せない。 だいじな結婚記念日に、「堕落論」の話なんか載せられますかいな。
(今日載せちまいました。いいんだ。等身大の自分と妻子が家族をつくっているんだから、それでいいのだ、バカボンのパパなのだ。)
H島、健康的だな。朝ちゃんと起きてて。俺も明日か次週はそうしたい。
今日は昼近くなって起きてきたよ。今から昼飯食うぞ。
今日は俺んちは結婚記念日。16年だ。
今は息子が野球に行ってるし、妻も朝から野球応援と手伝いに行ってるが、今晩はどっかで記念日のディナーというやつである。
ディナーなんて知らねぇ。外で夕飯を食う。寿司か共和制のフランスか、フィレンツェも全然違うナポリも良かったイタリアか、
いや、料理の話。はたまた居酒屋か。何も決めてない。
俺には、妻と息子との語らいは最高のひとときなのである。まぁ今晩はのんびり飯を楽しもうと思う。 

いわゆる「同学年」の H島(彼は九州出身で俺は静岡県出身)とは, 1983年, お互い23歳になる年に, イスタンブールの安宿で同宿となり, それが切っ掛けでその後, 友人になった人物で(イスタンで会った時に親しくなったというより, 帰国してから親交を深めた人物), 長い間 友人関係だったのだが, 2016年の春あたりから疎遠になった。そもそも友人の数が多いとは決して言えない俺だが(要するに親友と言えるほどの友人の数は少ない, 多けりゃいいってもんじゃなし, 本人は気にしていないのだが), 長く続く友人関係になった人間と後で疎遠になった例というのは, おそらくは他には殆どない。6年前の春頃, それぞれの人生の波長, 位相のようなものが重ならなくなってしまった, ということだろう。そういうことが起きても, 何ら不思議はない。たまたま起きたのか必然だったのか。しかしそれは起き得ることなので, まぁ構わないと思っている。

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