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Paul Simon "Kathy's Song" (拙訳)

ハッシュタグ付ける時の件数からすると note では歌詞翻訳に関心ある人はそれほど多くないかもしれないと思いつつ、今回も歌詞日本語訳の投稿。上の写真は昨年10月28日に妻と筑波山に登った時に撮った、筑波山の女体山山頂に座っている妻です。表題に掲げた歌の歌詞の拙訳は、妻に捧げたようなものなので(笑)。(笑)と付記しましたが、実際には訳者本人は(笑)じゃなくて(真剣)です。

自分の 59歳の誕生日である本年 9月11 日に note に新規登録、これまで 2001年 911 アメリカ同時多発テロ、パレスチナ/イスラエル問題に絡んでのボブ・ディラン批判、36年前の1983年秋にパレスチナとイスラエルを旅した時のことなどについて投稿、そして前々回は「豊かとか貧しいとか幸せとか不幸とかについて」と題した投稿をして、前回はその投稿に繋いだかたちで、Paul Simon の名曲 "Still Crazy After All These Years" の拙訳を載せました。今後もパレスチナ問題やディラン批判は投稿するつもりですが、今日の 12本目のテキスト投稿は、前回からの流れで、Paul Simon 作の名曲 "Kathy's Song" の拙訳です。

この曲は、1966年リリースの "Sounds of Silence" というタイトルのアルバムに収められた  Simon & Garfunkel 名義のものが、世に広く知られているヴァージョンですが、実は最初にリリースされたヴァージョンは、Paul Simon が 1965年6, 7月にロンドンでスタジオ録音した、ギター 1本と彼のヴォーカルによるソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" に収録されたものの方です。

同アルバムは、Simon & Garfunkel の 1964年のデビューアルバム "Wednesday Morning, 3 A.M." が思うように売れず、その後、彼がイギリスに渡って同国のラジオ番組に出演して歌ったりしていた時期に録音・制作され、1965年8月にイギリスで発売、その他、リリースの期日については私は未確認ですが、一部ヨーロッパ諸国やオーストラリア、日本等でも発売されました。しかし Paul Simon 本人の意向で 1969年になって回収され、彼の母国アメリカでは発売されませんでした(随分と後年になって CD化されたものはアメリカでもリリースされています)。

日本では、本人には無許可だったようですが、イギリスでの回収の年に当たる 1969年に発売されたようです。私は同じく音楽好きの 3歳年上の兄が小遣いを貯めて買ったそのアルバム(日本では "Simon Before Garfunkel" というタイトルも付いていて私自身は当初そう呼んでいたと思います)を 1971年頃、学齢で表わすと小学校 5年の頃に初めて聴いていて、そのアルバムに収録された曲について言うと、Paul Simon が途中叫ぶようにして歌う箇所がある、Simon & Garfunkel の 1964年のオリジナル・ヴァージョンや後にエレキ・ギターなどを加えられて大ヒットしたロック風のヴァージョンとは一味も二味も違う "The Sound of Silence" を始め大好きな曲ばかりで、当時の 10歳もしくは 11歳の頃からずっと大のお気に入りのアルバムの一つです。そのアルバムの些か数奇な運命は非常に面白く、いつか機会があったらそれについても投稿したいと思いますが、今日はとにかく、そのアルバムに収録された "Kathy's Song" の拙訳を載せます。

Kathy というのは Paul Simon の当時の恋人 Kathleen Chitty のことで(確かウェールズ出身のイギリス人だったと思いますが、「健在」の Kathleen Chitty についての英字紙の記事を以前読んだことがあります)、彼女は Simon & Garfunkel のやはり名曲 "America" の中で、"'Kathy,' I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh," "'Kathy, I'm lost,' I said, though I knew she was sleeping" と歌われている Kathy その人なのですが("America" も過去にその歌詞を翻訳しているので、いずれ note に投稿しようと思っています)、今日取り上げる "Kathy's Song" では、ある意味面白いことに、歌のタイトルに Kathy の名が使われながら、"America" とは違って、その歌詞の中では Kathy の名が一度も登場しません。

さて、今回は前置きが矢鱈と長くなりましたが、以下にその歌と歌詞、私の日本語訳を載せたいと思います。なお、Kathy はこの YouTube のクリップのイメージの中で Paul Simon と一緒にいる女性で、このイメージ自体はアルバム "The Paul Simon Songbook" の LP の スリーヴ(ジャケット)に使われていた写真で、さらに言うと、「海賊版的に」発売された当時の日本盤 LP のジャケットの中では、この写真が反転され右が Paul, 左が Kathy になってしまっているものが使われていました。

以下は、Paul Simon のオリジナルの歌詞と、私が今から 16年前、2003年 2月23日に訳した日本語による歌詞です。一部、「意訳」というより厳密には「誤訳」と見做されていい箇所もありますが、そこはまぁ訳した当時の心情を察して(そんなの無理か、笑)「ご愛嬌」ということで。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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Kathy's Song キャシーの歌

ぼくは霧雨の雨音を聞いている
過去の記憶をよみがえらせる音
静かに暖かく降りつづける音
ぼくの心の屋根と壁をたたく音

ぼくは心の隠れ家から
瞳の窓の向こうを眺め
雨にぬれた通りの彼方を見つめる
ぼくの心のふるさとイングランドを

ぼくの心は混乱し拡散する
想いは何マイルも遠くへ向かう
そして君が眠っている時には眠りを共にし
君が君の1日を始める時には君にくちづけする

ぼくが書いていた歌は見向きもされず
なぜ時間を費やすのかさえわからない
ぼくは歌を書いていたことすら信じられない
無理に引き裂かれて韻を踏まされた言葉と共に

(ここはいま慌てて直すとしたら)
ぼくが書いていた歌は見向きもされず
なぜ時間を費やすのかさえわからない
ぼく自身が信じられないような歌を書くためにね
無理に引き裂かれて 韻を踏まされた言葉を使いながら

そうなんだ 僕はついに疑うようになってしまったのさ
みんな一度は本当のことだと心に抱いていたのに
ぼくは今 何の確信もなく一人で立っている
ぼくの知っている唯一の真実は君だけなんだ

そしてぼくは雨の雫を見ている
縫うように降りかかり疲れて消えていく雫を
ぼくもこの雨のようなものなんだって思う
それでもぼくは 真実の恵みがあればやって行けるのさ

♫ ♫ ♫

さて、この後に、拙訳に関する自分なりの解説を書こうと思っていたのですが、ここまでで随分と時間をかけてしまいました。今日のところはとりあえず、拙訳の「解題」的に、この歌を訳した時の日記を以下に転載してしまいます。

「してしまいます」というのは、この投稿を書き出す前は拙訳に関して丁寧に「解題」しようと思っていたところを、例によって昔の日記(2001年夏に html を独学して立ち上げて開設し、仕様をずっと旧態依然としたもののままにしている自前のホームページ上に掲載した、当時の日記、長いなこの注釈の括弧、笑)を使って横着してしまおうという魂胆だからです。

2003年 2月23日(日)   The Only TRUTH I Know

 今日は今のところ天気がいい。たまに曇ってしまって変な天気だけど、特に昼前は陽射しが明るかった。ずいぶんと明るかった。今の自分には明る過ぎるくらいだった。なんだか、ますます苦しくなった。たまらなくなった。これから本格的な春がやって来て、そのうち夏の強い陽射しも浴びなければならなくなる。正直、たまらないと感じる。

 今日はポール・サイモンの KATHY'S SONG を訳してみた。ポール・サイモンが S&G 時代に出した幻のソロ・アルバム、THE PAUL SIMON SONGBOOK に収められ、後に S&G のアルバム SOUND OF SILENCE にも改めて録音されて収録された曲だ。THE PAUL SIMON SONGBOOK はアメリカでは発売されずイギリスと日本では発売され、少なくともイギリスでは後に本人が回収したという話があるが、今はどうなっているか知らない。ガキの頃、兄貴が買ったそのアルバムが田舎の我が家にはあった。今もあるかもしれない。

 KATHY'S SONG の歌詞は美しい。最後の1行もその表現の美しさが印象に残るが、訳し難かった。

 There but for the grace of you go I

 一度適当に訳したが、後で辞書を引いてあっと思った。
 There, but for the grace of God, go I . この訳は「神の恩寵がなかったらこの自分もあんなふうになっているだろう。」  ポールの1行はこの慣用句(らしい)から来ているはずだ。あんなふうにってのは、文脈から言ったらこの詩(歌詞)における雨( the rain )だし、ポールは、ここで God のところに The only truth I Know である you を置いているわけだ。妙に納得・・・。

 もの言えば唇寒しではなくて もの言えぬほど唇寒し であっても、何がどうあっても、The Only TRUTH I Know があれば生きていきたい。詩人ケンによれば、それがなくたって生きるのだ。しかし自分にはそれがある。それだけはある。

 The Only TRUTH I Know があれば生きていきたいし、生きていかなければならない。

拙訳の URL: http://dailyrock.konjiki.jp/utaks.html

日記の URl: http://dailyrock.konjiki.jp/nikki10.html#totikiy

ちなみに、1966年リリースの "Sounds of Silence" というタイトルのアルバムに収められた  Simon & Garfunkel 名義のものは、以下のヴァージョンです。歌詞は全く同じ。

さらにもう一つ、音源は同じですが、以下のヴィデオ、けっこうよく出来ています。


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