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季刊「前夜」創刊号の頃 〜 ノーマ・フィールド、ガッサーン・カナファーニー、レイチェル・コリー

8月30日の投稿テキストの冒頭で、ここから 4本(たぶん 1日1本)、8月29日の「レバノン、ベイルート爆発から25日」と題する投稿の中身に関連する .. 4つの事柄について投稿する、と書いた。8月30日、31日と 1本ずつ投稿したけれど、残り 2本は今日、もう 9月かよ、9月1日のうちに投稿すると思う(たぶん!!)。

単純に、これを投稿したいと頭に浮かぶと、早いうちに頭の中にあるものを出してしまいたくなる。本当は少しずつ投稿した方が、多少とも読者が付きやすいのだろうが、しかし現時点、筆者のこの note アカウントは、そもそもフォロワー自体が少ない(笑)。8月29日、30日、31日の投稿については、本投稿の最後の最後に、しつこくもリンクを貼っておきます。

3日前、8月29日の投稿テキストの中で取り上げた、先週4夜連続で行なわれていた「日本では報道されないレバノンの真実」と題するオンライン・イヴェント、その第4夜の話者の一人は岡真理氏(現代アラブ文学の研究者で翻訳者でもある)、テーマは「レバノンと現代アラブ小説」だった。そして、その中で、2004年秋に創刊された季刊「前夜」という雑誌の紹介があった(同誌は第12号と別冊「ルート181――パレスチナ~イスラエル 旅の断章」をもって少なくとも一旦終了しているが、どうやら発行主体は「第I期」終了といった表現をしているようなので、実態は休刊中ということなのかもしれない)。

少なくとも創刊号は買って一部読んだ記憶があり、書棚を漁ってみたら、やはりあった。

まずは中身についてさらっと

さらっと、とは言っても、そこそこページ数のある雑誌なので、やや長めに「さらっと」。

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(これは目次の前半)

ノーマ・フィールド氏は 1947年にアメリカ人の父と日本人の母の子として東京で生まれ、現在はシカゴ大学名誉教授。「天皇の逝く国で」(1994年) というタイトルの、日本社会の一断面を分析した優れた著書がある。筆者も読んでいて、いずれ note の投稿で取り上げるかもしれないが、今日ここでは詳しくは触れない。いつか機会があったら、あらためて。

(同書とは直接関係しないが、天皇制については、以前、note に投稿したテキストが一つあるので、本投稿の最後にリンクを貼っておきます。)

なお、ノーマ・フィールド氏と高橋哲哉氏の間、24-25頁には、詩人・茨木のり子(1926年6月12日 - 2006年2月17日)の「内部からくさる桃」というタイトルの詩が掲載されている(この2頁分がなぜ目次に掲載されていないのか、前後の2人の論者の論考の文脈上にあるから? ということなのか、だとしても首を傾げるが、兎に角あらためて前後をチェックしないと分からない。単に誤って目次から落としてしまったのなら勿論かなりマズイ落としだが)。ともあれ、筆者が好きな詩人の一人、この詩や詩人・茨木のり子については、次の投稿であらためて取り上げるかもしれない。

高橋哲哉氏は哲学者、現在、東大教授。筆者は同氏の「靖国問題」および「教育と国家」を読んでいる。概ね首肯する内容だったと思うが、関心のあるテーマとはいえ、なんというか、極めて印象に残る本というのではなかったと思う。やや「違うな」と感じた点があったのか、文体によるものなのか、書いてあることの大半が読む前から筆者も認識していたことだったからなのか、そのどれかなのか、そのいずれでもないのか、よく憶えていない。妙な言い方だが、まだ持っているので、少なくとも嫌な本だったということはない(もっとも、例えば一言で言えば「嫌な本」だった小林よしのり「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」のように、それでも今も持っている本という例もあるけれど)。高橋哲哉「靖国問題」「教育と国家」については、納得できる、同意することが多く書かれていたのだが、何か引っかかる箇所とかがあった、ということなのかな ... 忘れた。忘れた、ということは、それも大したことではなかったのかもしれない。しかし妙に引っかかる書き方だな(笑)。

(氏の著作とは直接関わらないけれども (ただし一部触れていたと記憶)、筆者の「靖国問題」あるいは靖国神社に対する姿勢に関しては note への投稿を少ししているので、これらも、本投稿の最後にリンクを貼っておきます。)

(また、note 上で知り合った在日コリアンが「靖国神社」に関わる投稿をしており、これが多くの日本人に読まれるべき内容なので、やはり本投稿の最後にリンクを貼っておきます。)

ジャック・デリダ氏は、なんというか、超有名人(なんという説明だ、笑)。フランスの哲学者。故人。2004年10月9日に亡くなっており、この季刊「前夜」創刊号に掲載された内容(インタヴュー、対話)は、彼がこの世を去る直前に公にされた彼の論考の一つと言ってよいのだろうと思う。

ピーター・バラカン氏は、ロンドン生まれロンドン育ちで、日本在住の、音楽や社会に関するコメンテイター。本人は「音楽評論家」というような言われ方を好まないと思う。自身は自らの肩書を「ブロードキャスター」としている。筆者は音楽の「水先案内人」と呼びたい。2009年7月、Simon & Garfunkel の東京ドームでのコンサートを妻子と共に観に行った際、開演前に、ピーター・バラカン夫妻が少し前の席に座っているのを見つけた。筆者はのこのこと近づいて行って話しかけ、しっかりサインをもらった。硬めのことを書いていたこの投稿、ここで一旦、柔らかい話になった(笑)。

田中優子氏は、江戸文化研究者、現在、法政大学総長。けっこうテレビに出演しているから、知っている人は案外多いと思う。

徐京植(ソ・キョンシク)氏は、京都生まれの在日朝鮮人2世の作家で、現在、東京経済大学教授。氏は、1971年に朴正煕軍事政権下の韓国で留学中に逮捕され19年間を獄中で過ごした徐勝(ソ・スン)氏(現在は立命館大学特任教授)、同様に逮捕され17年間を獄中で過ごした徐俊植(ソ・ジュンシク)氏(現在ソウル在住の人権活動家)の弟。長兄の徐勝氏(おそらく次兄の徐俊植氏も)については通常、在日韓国人2世と表記されているようで、この「在日朝鮮人」「在日韓国人」の表記上の相違は普通は国籍の違いからくるのではないかと思われるところだが、徐兄弟の国籍について筆者は正確な情報を持ち合わせていないので、その(表記の上での、あるいは背景としての)事情については上記のように推察する、としか書けない。また、なぜ兄2人のことをここで書いたかと言うと、筆者は学生時代、徐兄弟を含む、軍事政権下の韓国における政治犯(韓国人、在日韓国・朝鮮人、日本人もいたと記憶)の救援運動に関わっていた経験があり、特に徐兄弟については、彼らの母親の獄中の息子への手紙が書籍化されたものを当時買って読んでおり(感動し、今も大事にとってある)、長兄・次兄のことにあえて触れておきたいという、そんな理由から。なお、筆者は日本が戦前、朝鮮半島を植民地化し、かの地に住む人々(韓国人・朝鮮人、残念ながら呼称は今もやや、ややこしい)に対して行なったことに関し「極めて」当然のように「極めて」批判的で、戦後の補償についても相当に批判的な人間ではあるが、筆者の考え方は、徐京植氏の考えの少なくとも一部と相容れないのではないかと思う(この季刊「前夜」に掲載された論稿の話ではない)。と書きながら、ではあるが、実際のところ、彼の論の一端をネット上でちらっと見た程度で詳しく論ずることも出来ないし、これは今日のこの投稿のテーマではないので、ここではこれ以上は触れない。関係する事象、議論については、またいつか機会があったら、note 上の投稿テキストの中で書くかもしれない(この段落、しかし妙に長くなったなぁ)。

イスラエルに殺されたパレスチナ人小説家、ガッサーン・カナファーニー

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(目次の後半)

ここで、ようやく、この投稿の冒頭で書いた、岡真理氏によるページが見える。

ガッサーン・カナファーニーは 1936年、当時イギリス委任統治領だったパレスチナのアクレ(アッコ、現在この地はイスラエル領となっている)に生まれ、1948年のイスラエル建国によって家族と共に難民となってレバノン、そしてシリアに逃れ、その後、再びレバノンに移り住んだ、パレスチナ人の小説家、ジャーナリスト、パレスチナ解放運動の活動家。彼は 1972年、レバノンの首都ベイルートで、イスラエルの特殊部隊によって車に仕掛けられた爆弾の爆発により、姪とともに暗殺された。享年36歳。小説家としての代表作に「太陽の男たち」、「ハイファに戻って」など。

ガッサーン・カナファーニーについて筆者が初めて知ったのは、学生時代、1980年頃だと思う。当時読んだ小田実の著作の中で、彼と彼の「ハイファに戻って」が紹介されていたのが切っ掛けだった(確か「ハイファに還って」という表記で紹介されていたように思う)。

(以前、ガッサーン・カナファーニーに少し触れながら、筆者が今から37年前の1983年にハイファ (1948年のイスラエル建国後はイスラエル領、それ以前はイギリス委任統治領下のパレスチナ) を訪れた時のことを note に投稿しているので、本投稿の最後に、リンクを貼っておきます。)

季刊「前夜」創刊号では、ガッサーン・カナファーニーの短編小説「ガザからの手紙」の岡真理氏による翻訳が、203頁から掲載されていた。

イスラエルに殺されたアメリカ人女子大生、レイチェル・コリー

上記の通り、季刊「前夜」創刊号で、203頁から、イスラエルに暗殺されたパレスチナ人の小説家・活動家であるガッサーン・カナファーニーの短編小説「ガザからの手紙」が掲載されているのだが(ガザとは、もちろん、パレスチナのガザ)、以下は、その後の、209頁の写し。

2003年3月16日に、パレスチナのガザで、イスラエル軍のブルドーザーがパレスチナ人の家屋を破壊しようとするところに、それを制止しようと立ちはだかり、そのイスラエル軍のブルドーザーによって轢き殺されたアメリカ人女性レイチェル・コリーさん(享年23歳)のことが書かれている。

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付録 1: 筆者の現イスラエル領(1948年以前はパレスチナ)ハイファ訪問記

付録 2: イスラエルに殺されたアメリカ人女性(享年23歳)、レイチェル・コリーについて

付録 3: 天皇制は要らない、または天皇「文化」家元制論

付録 4: 靖国神社 と 釣れなかった「釣り」投稿

1). この投稿については、コメント欄も興味深い ... かな(笑)。

2). これには「靖国神社」のことは基本的に書いてない。タイトルだけ。要は、1) の投稿の読者を増やそうとした。釣ろうとした。が、釣れなかった(笑)。

3). これにも「靖国神社」のことは基本的に書いてない。タイトルだけ。要は、1) の投稿の読者を増やそうとした。釣ろうとした。が、釣れなかった(笑)。因みに、この投稿に対して、投稿直後に「スキ」反応をした上で、数時間後、その日のうちにその「スキ」を取り消す人がいた。正直、ちょっと笑えた。嘲笑の笑いでは決してない。が、筆者がそのことを知って可笑しく思い、笑ったのは確か。微笑程度だったけれども。

4). 

5). はっぴいえんど の歌「夏なんです」を投稿したくて投稿したのだが、後半で、釣りの試みをした。つまり、1) や 4) の投稿の読者を増やそうとした。釣ろうとした。しかし、またしても、釣れなかった(笑)。

6). イスタンブールで撮った37年前の写真が当時の筆者の海外貧乏旅行時代の懐かしい思い出写真のうちの一枚なので、それをタイトル上に掲げて、昔を思い出したりした投稿なのだが、付録として投稿 2), 3) を付けて、投稿 1) や 4) の読者を増やそうともしていた。つまり、またまた、釣ろうとした。が、しかし、またしても、釣れなかった(笑)。

7).

付録 5: ある在日コリアンの、「靖国神社」に辿り着かなかった記(多くの日本人諸氏に読まれることを望む)

付録 6: 本投稿の切っ掛け・8月29日の投稿 と 続いて投稿中の更に 2本


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