後悔しない考え方🤔

誰しも人生の中で後悔したことはあるだろう。
そこで生じるのは悲観的な感情ばかりであり、自身の行い、判断に怒りや悲しみを覚えるだろう。

今回は個人的な後悔のしない考え方を紹介する。ただこの考え方は都合良く解釈したものであり、完全に正しいロジックではないのだけ注意してほしい。

後悔しない考え方においてメインとなるのは決定論と呼ばれる論理である。
決定論とは今の行いは過去の要因から必然的に導かれるものであるという考えであり、例を上げるならば朝ごはんに何を食べたか考えてほしい。
朝にパンを食べたとしよう。ではなぜ今日の朝パンを食べるに至ったかを考える。偶然と思う人もいるかも知れないが、前日、前々日ご飯が続いていたからかもしれない。さらに昨日スーパーでパンが値引きされていた。そして今日は仕事で朝から忙しい。こうした要素が複雑に絡み合って必然的にパンを選んでいたのである。というのが決定論の考え方と言える。

ではなぜ後悔しないために決定論が必要なのか。要は自分がそこで後悔したときにはそれは必然であったからである。

後悔のメカニズムとして恐らく過去の自身の選択判断を誤ってしまったと捉えることが主であるだろう。なぜその選択肢が誤りだと分かるのか。それはその選択をした未来の自分が今であり、現に理想とは違う自分がここに居るからであろう。

このメカニズムが後悔を後悔たらしめる所以であるとも言える。今の自分は過去の分岐点の結果を知っている全知全能の神に等しいのである。マリオでも同じだろう。最初のプレイではその土管からパックンが出てくるなんて知りようがないが、一度プレイしたあとはそこにパックンがいることを知っている。

しかし、この全知全能の神であることこそが後悔の厄介なところである。後悔するとき、「あのときあっち選んでいれば。ああしていれば。」と思うだろう。だが、その選択をしているときの自分はこの先起こる未来を知りようがない。そしてその選択は決定論的にその更に過去の自分の行いによって必然化されていたはずである。その絡まり様を続けると、最終的に自分が生まれた瞬間にたどり着く。つまりは生まれた瞬間にこの結果になることは決まっており、その分岐点においてABのうちAを選んだのは確定事項であるのだ。

後悔する人はあのときああしていればと思うだろうが、その選択をしたのは紛れもなく未来を知らない自分であり、たとえそれが5分5分の判断だったとしてもそこには恐らく過去から来るある種の選択の偏りが発生していた筈である。

この考えはまとめるならば「しょうがない」と認める考えに近い。ただ、この考えで行くと自分の失敗は避けようの無い事だったのだということになってしまう。絶対に間違う人生だと。そこで悲観的になるのではなくこの考えは過去にのみ適応する。
確かに過去は必然であり避けようが無い。ただこれから来る未来に関しては今の自分の判断により如何様にでも変わり得るのだ。

後悔することは過去の行為の反省会であり決して悪いものではない。ただ、それをあまりにも引きずり過ぎると今後の未来に影響が出てくる。後悔は本当に反省程度、これからはこうするようにしよう!程度のものにし、これからに目を向けるようにするのが幸せな人生を送る1つの思考法かもしれない。

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