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理想の都市とは? ( ゚Д゚)

僕の趣味の一つとして海外旅行がある。日本とは異なる世界に飛び込むことは昨今人気の異世界転生に近い部分がある。

こうした旅行中海外の都市を眺めていると案外日本の都市は味気ないような気がしてくる。味気ないとは言っても日本は世界でも有数の安全国家であり、清潔な都市環境が構築されている。他国と比べても非常に理想的な都市が形成されているだろう。

では安全できれいならばどんな都市でも良いのか?

僕が日本は味気ないと感じるのは確かにこの国で長く生きてきたからかもしれない。日々同じ風景を見続け、マンネリ化が起きているのかもしれない。それでも味気ないと感じる理由は確かに存在する。

それは日本らしさが不足していることである。

じゃあ、日本らしさとはなんだろうか。

昔の日本を思い出すと、木造で、お城などがあったり、石垣があったり、人々の活気を感じる商店街があったり、あちこちに路地が張り巡らされていたり、、、

長い年月を経て日本人はこの狭い国土の中で如何に生活していくかを常に工夫し続けてきた。そして自然との付き合い方を長年試行してきた。

長屋であったり、襖や縁側など親自然的な建物の中で趣ある外の世界をゆったりと眺める。

現在の日本はどうかといえば、コンクリートや鉄骨に囲まれ、室内は完全に機械によって安定化されて、街並みといえば無機質なビルがぎゅうぎゅうに立ち並び、そこに申し訳程度にゆとりある電線が通っている。

こんなにも昔とかけ離れた都市はなかなかないのではないだろうか。

僕が旅行したタイでは、近代化された都市と住宅地が無秩序に混合されていた。電線はぐちゃぐちゃに絡まり、その後ろでは高層ビルが空の青を反射している。そしてその下では少し汚れた味のある店が軒を連ね、夜には皆が地面に座ってくつろぎながら商売をしていた。

はたから見ればカオスという言葉がふさわしく感じるだろう。しかし、こうした乱雑な形態にこそ人らしさが込められていると感じる。そしてこうした都市は、その地で生きる人々の性格を反映しているともいえる。

日本人はとてもまじめで、厳格な性格である。そこが良いところでもあり悪いところでもある。要はヒトになりすぎているのだ。我々はもとは自然界で生き、やがて今のような暮らしへとたどり着いた。それでもその根底にあるのは元来の自然的無秩序さであり、最低限のルールから導き出される不確定性である。

日本人はこうした安定性に欠けるものを徹底的に排除している雰囲気があると感じる。何か問題があればすぐさまルールを設け、安定を図る。都市を無秩序に作っては安定性に欠けるため、ありとあらゆることにルールを設け、予想通りの都市を形成する。

自然的なヒトから機械的なヒトへと移り変わりつつあるのではないか。

理想の都市とは確実な安定よりも多少の不確定さを取り込んだ半カオス状態が良いと今のところ考える。

無機質な都市の中に多少自然感じる木造建築がすっと立っていてもいいんじゃないか。お城とは言わないが石垣が歩道沿いに続いていたり、多少清潔さに欠ける露店が軒を連ねる。

圧倒的安定からくる確定都市よりも、自然的不確定性を有した自由都市のほうがこれから訪れる未来の都市像に期待が湧くものだ。

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