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彼女との出会い~この夏イタリアに行く理由~
彼女との出会いは2016年に遡る。
早めに冬の休暇を取り、母とフランスへ海外旅行をした。早めだから、かなりお得なツアーだった。
少しの自由時間ではブランド品を買いに行く人もいれば、エッフェル塔へ上る人などそれぞれに分かれた。
私達は何も考えていなかったので、1時間ほど並べば登れるという凱旋門へ行くことにした。
早速並ぶ。予定通りに1時間弱並ぶようだ。前の方にいた同じツアーの親子は並んでいるとエルメスに買い物をしに行く時間がない!と離脱していった。
1時間並んでいると暇なので、母はその辺りの人へ誰彼構わず話しかける。
私とは真逆の性格だ。私は初めての人たちには全く話しかけられない。今年の四月に異動をしたのに、七月になった今でも話したことのない人達がほとんどだ。この能力いいなぁと思う。
このときも例にたがわず、母は前に並んでいる人たちに話しかけた。
少しだけ知っている単語を並べていた。
「フロム」「ユア カントリー」
親切にも相手は答えてくれた。
「Germany」
「Italy」
一人はドイツに住んでいた中国の人で、南京大学で教授をしているらしい。中国に帰る途中でフランスに寄ったとのこと。
イタリアの2人はカップルで、中国の人とは全く関係なく、冬休みだからパリにきている。
私が通訳をし終わると、母はそのあとは日本語で話していた。
「へぇー一人で旅してんの!えらいなぁ。私もドイツ一回いってみたいねん」
「私、イタリア行ったで!ええとこやったわ。」
「私、日本からきてるねん。東京オリンピックがあるんやで。遊びに来てな。案内するから。」
もちろん相手は母の言うことを理解していないので、「何て?」という顔で同行者である私の顔を見てくる。
母はどこの国でも同じことをする。兄がいる時は英語を話せる兄が少し通訳しているが、「英語話されへんのに話しかけるな」とブチギレながらやっていた。
もう無茶ぶり型の実践英会話もいいところだ。
このときの私も必死で英語に訳す。
母が話しかけたイタリアの人たちはカップルで20代ということが分かった。
そして母は私70歳!と自己申告し、皆に驚かれた。やはりアジア人は若く見えるようだ。
そうこうしているうちに、凱旋門に上がれる順番が来て、階段でえんやこら上がった。かなりの段数がある。母も休憩しつつも何とか登りきった。
凱旋門の一番上まで到着すると、先に着いていたイタリアの若者2人とまた会った。
到着おめでとう!よくここまで登ってこれたね!と母に喜んでくれた。
一緒に記念撮影をする。一人旅行だった中国の人も少し見かけたけれど、「写真を撮りましょうか」と英語で話しかける勇気が私にはなかった。
「アドレス聞いといて」
と母が言うので、一回りほど年下のイタリアの彼女とアドレスを交換し合った。
それからイタリアの彼女とメールで写真を送り合ったりなど少しやりとりをした。ぜひイタリアの家に遊びに来て!などと言ってくれていた。当時東京でオリンピックが開催される前だったので、お母さん案内したるねん!など張り切っていた。
しかしその後は特に連絡をしあうことはなかった。それでも母は時折そのイタリアの彼女のことを気にしていた。
「あの子から連絡ないの?」
「ないな。」
「お母さん、あの子好きやねん。ニコニコしててええ娘やわ。イタリアまた行かなあかんな。」
ほぼほぼ喋っていないのに、むしろ喋らされたのは私なのに母は彼女のことをとても気に入っていた。
それから3年後、東京オリンピックを見ることなく、母は亡くなった。
母が亡くなって数ヶ月後、感染症の広がりで海外の行き来が自由にできなくなった。それぞれの国で未曾有の事態となっていた。
突然彼女から連絡がきた。
「元気?どうしてる?あなたのお母さんは元気?あなたのお母さんはとてもパワフルで太陽のようでとても好きなの」
「私は元気だよ。そう言ってくれてありがとう。母は亡くなったよ。母はいつもあなたのことを気にかけて最期まであなたのことを言っていたよ。」
と伝えた。
あぁなんてこと。
と返事があった。それからアプリのコミュニケーションツールを使い、幾度となく、イタリアに来るように誘われた。
「いつ私の家に来るの?」
その頃になると、ヨーロッパの中ではすでに行き来ができるようになり、ほとんどの人がマスクなしで生活をしていたようだった。
でも日本はまだ全く簡単に海外を行き来できる状況になかった。マスクはもちろん、入国時も出国時も色々な書類や待機期間が必要な時だった。私はその雰囲気をあまり伝えられず、まぁ理解されないだろうなと伝えることは諦めていた。
代わりにクリスマスプレゼントや誕生日プレゼントを贈りあった。
プレゼントを郵便局まで持っていくと、
イタリアへは今は航空便はないから、船便になるよ!
今なら3か月後に荷物が着くね!
なんていう時もあった。
それから数年。日本もいよいよ2023年、年明け頃から徐々に規制もゆるくなり、沢山人たちが日本を訪れるようになったし、また海外へ行く人も増えた。少しずつマスクを外している人も増えてきた。
だから
「今年の夏行く」
彼女に伝えた。
今行かなきゃ、これから先タイミングが難しいかもしれないとなぜか思ったからだ。
このために一ヶ月休んでいた仕事も何とか復帰した。それでも毎週暑さと共に体調を崩したり、絶望したりを繰り返していた。でも休むわけには行かない。
何とか今年行くんだと決めていたから。
彼女から、
「私の家に1週間は滞在しなさい。」
と連絡がきた。
「いや、ホテルを予約するよ」
「NOーーーー」
ということで、初めはイタリアのミラノのホテルに少し滞在して、そのあと彼女の家と彼女の実家に6日ほど滞在することになった。
あれ??
これはイタリアへの旅行じゃなくて、イタリアでのホームステイではないか?
ちなみに私達のコミュニケーションをとる時の言語は、お互い英語だ。
日本語とイタリア語はお互いに全く分からない。
でも私たちはお互い全く英語は得意ではない。
明らかに翻訳アプリを使ったような、主語がよくわからない内容を送り合っていたりもする。
あれ?大丈夫かな??
6日間も大丈夫かな?
とりあえず7年ぶりに彼女に会おう。
そして無事帰ってこよう。
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