わたしの証

今日は、初めの愛を思い出すために
わたしの証を綴ってみます。
読者のみなさんに励ましと
勇気を与える機会となりますように。

大学3年生の2月、
初めて今の母教会の聖日礼拝に出席しました。
大学3年の時期というのは就職活動を始める時期で、自分にとってさまざまな人生の疑問について考えていました。
「人生は何の為にあるか?」
「何をして生きていけばいいだろうか?」などです。なにより、一番謎だった疑問は、
「自分は偶然たまたま生まれた存在ならば、人生の意味と目的なんて考える必要なんてないはず。なのになぜ自分は人生の目的を探そうとしているのか?」でした。
義務教育で習ったダーウィンの進化論と自分の正直な心の思いとで矛盾が生じていました。
その疑問を解消するため、大金をはたき毎月自己啓発セミナーや合宿に参加するといった学生生活でした。20人程の経営者の方々に会いに行き、人生の目的や意味について質問と録音までさせていただきました。
それでも、そういった疑問に解決を与えてくれる方はいませんでした。さらに自己啓発書やビジネス書を100冊以上読みあさりましたが、自分を納得させる答えは何一つ見つかりませんでした。
沢山行動したのに、人生の目的は分からないし、探すだけ無駄だと心の底から思いました。
いつしか僕は地位や名誉を得る事が人生の成功であり、目的だと結論付け、それに沿った生活を送ろうと考えるようになりました。
何も考えず、周りに流されて生きるクラゲのような人生にだけはしたくなかったからだと思います。

しかし、なぜか様々な経営者の方々から言われた言葉がずっと頭から離れませんでした。
それが、「聖書を読みなさい。」でした。
聖書なんて宗教だし、洗脳されると本気で思っていましたが、何事も一度は触れてみてから判断しようと思い、その時お世話になっていたセミナー講師の方に聖書を学びたい旨を伝えました。
そして、紹介されたのが今の母教会でした。

3ヶ月間、牧師先生の言う事に従い、聖書を本気で読み、みことばを実践して何も変化がなければもう教会には行かないと自分で期間を決めました。
聖書の内容を完全に信じた前提で読み進めていくと、イエスはただの人間ではない事を悟りました。なにより僕の尊敬する亡くなった祖母とイエスの言動が何度も重なり、イエスが祖母のように身近に感じられました。
この事を母に伝えると、実は祖母は18歳に洗礼を受けていた事を知らされ、驚愕しました。
尊敬する祖母も信じていたなら自分も信じようと思えました。
さらに聖書を勉強していくうちに、自分が探し求めていた人生の疑問が全て解決しました。人生の目的は地位や名誉を得ることではありません。
イエスの為に生きる事です。
それが唯一永遠に残るものだからです。

[マタイの福音書 7:7,8]
 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。

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