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私はなぜドイツに向かったのか?

ドイツには2度に渡って約6 年半滞在をした。現地の環境、文化、デザインなどが近江の自然の影響を受けた有機的な彫刻フォルムに上書きされ、私の作品は、論理的、数学的な美を取り入れた表現言語へ昇華された。

「なぜ、ドイツだったのですか?」とよく問われる。一度目の渡独は「アートの伝統的な歴史があるヨーロッパで作家としての自分の実力と運を試してみたかったから」。それに戦後、東西に分裂して、そして再統一されたドイツの歴史背景にもとても興味があった。壁以前と以降の狭間にあるベルリンという土地に自分の眼差しを向けてみたかった。

二度目の渡独は、父親の急逝を目の当たりにしたことが大きく影響を及ぼしている。

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第一次渡独・ベルリン:2001-2003 
2001年晩秋、私は初めてヨーロッパに行き、ベルリンのテーゲル空港に降り立った。ヨーロッパがEUという大連合に向かって足並みを揃えていた時代。滞在を始めた10月末は、まだドイツマルクを使用していた。ホームステイ先から語学学校に向かう初めての朝、ベルリンの中心地に位置するフリードリヒ駅周辺は盛んに工事が行われていた。ちょうど、ドイツはウィンタータイムに入った日だった。空気は澄んでいたが、とても風が冷たかった。日本では味わったことのない冷たさを今も肌はよく覚えている。

年が明けた2002年、銀行でお金を引き出した時、ユーロ紙幣が出てきた。歴史の狭間に自分がいるような気がした。街にはまだそれほど人は多くなかった。日本人も日本の商品を取り扱う店舗も多くはなく、ベルリンはまだ混沌としていた。街の人々や建築、食べ物、アート、デザイン、空気、天候、ドイツ語など、五感で感じる光景全てが私にとって異質なものだった。ベルリン市が管轄している「ビルトハウアー・ベルクス・シュタット/彫刻家工房棟」で出会ったドイツ人作家からドローイングや彫刻のことなど本当に多くのことを学んだ。1年3か月の滞在だったが、この時間は私の作品が形成されていく最初のベースになったように感じている。今振り返るとこの時の一歩は、自分にとってかけがえのない大きな一歩だった。ベルリンがなければ、作家としての今の自分はない。


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