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読書感想文6『嫌われる勇気』

今回の読書感想文の題材は、岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』である。
2013年に発売された本書は、国内で288万部、全世界合計で500万部も発行された大ベストセラーである。

4回も読んじゃった

初めて読んだのがいつのことだったか、正確なことは覚えていないが、今回これを書くにあったって再読してみたのを含めて4回は読んでいると思う。

あたしはあまり本の再読をしないので、4回も読むのは個人的には珍しいことだ。

内容が難しくて一度では理解できないので4回も読んだ、ということではない。内容は極めて平易な文で、しかも対話形式なので書き言葉の硬い表現などもほとんど出てこない。そもそも今の時代、読みやすくなければ280万部も売れないだろう。

かといって、ものすごく感銘を受けたから4回も読んだ、というわけでもない。この本に非常に影響を受けた、というわけでもない。もちろん本の内容に感銘を受け、深く影響を受けたという人も多いはずだ。素晴らしい内容でなければ280万部も売れない。内容の素晴らしさは数字が示している。

とはいえ、あたし個人に関しては、それほど感銘も影響も受けなかった。なのに4回も読んだ(1回はこのnoteを書くために読んだ。とはいえ、そのほかに3回も読むこと自体が珍しい)。なぜか?

それは、本書があたしの生き方を追認してくれていたからだ。本書を読んで何かが変わったというよりもあたし自身が生きていく上で大事だと考えていることを、本書もそれが大事だと言ってくれているような。もちろん内容が全部一致しているわけではない。それでも、重なる部分が多かったので読んでいて面白かったし、違う部分を見つけて新しく考えるようになったこともある。

そういう本はあまり多くないのでいろんな意味で興味深く、4回も読んでしまった。

概要

本書は、アルフレッド・アドラーというオーストリア出身の心理学者が創始したアドラー心理学を紹介する内容になっている。人生に悩む「青年」が、「哲人」のもとを訪れ、自分の人生がうまくいかないのはなぜなのか、哲人と議論しながらその理由を探っていく対話の記録を収めた本、という形式で書かれている。

その青年の人生がうまく回らない理由を煎じ詰めて一言で表したのが、本書のタイトルである『嫌われる勇気』だ。青年には嫌われる勇気が足りない。それゆえ自ら無用な悩みを多く抱え、自ら人生を複雑にし、自ら生きづらさを抱えてしまっているのだ、と。

アドラー心理学では、悩みは「すべて対人関係の悩みである」と捉える。どんなに小さなことでも、どんなにそれと関係ないように見えても、もしもこの宇宙に最初から自分しかいないのなら、すべての悩みは存在しないはずである。容姿や成績、差別に人権、自由や義務や権利や戦争、国家とは何か、人間存在の根本条件とは?なんて悩みはすべて、自分以外の人間がいることによって発生するもの。

つまり、人生上の悩みは対人関係がもたらすものだから、対人関係さえシンプルにしてしまえば、人生上の悩みは解決可能なはずであるということ。逆に言うと、幸せになるために必要なこともまた、対人関係をシンプルに捉えるということになる。

「嫌われる勇気」をもつことは、そのための不可欠な条件である。

嫌われる勇気

なぜなら、対人関係をシンプルにするということは、自分との関係構築がうまくいかない人たちとの関係を断ち切ることを意味するからだ。誰からも嫌われたくないと思うから、他者
の都合に合わせて生きることになる。他者の期待に答え、他者の都合を慮り、他者が気持ちよくなるように生きる。誰に対してもそうすることができればきっとその人は誰からも嫌わずに済むだろう。しかし、果たしてそれは自分の幸せにつながるのだろうか?

もし自分が自分の幸せを追求しようとし、人生上の悩みから自由でいようと思うなら、誰かの都合や期待を裏切る場面が必ず訪れる。そのときに、他者ではなく自分を優先させることは、自分の幸せにはつながるけれど、同時にその他者を裏切ることになる。したがって、その人からは嫌われてしまうかもしれない。つまり、人は自分の幸せ、自分の自由を実現するためには、誰からも嫌われずに生きることなど原理的に不可能であり、他者から嫌われて生きることを厭わない姿勢が求められるのである。

でも、誰からも嫌われたくない、というのは誰しも普通に考えることで、嫌われないように生きようとするのはむしろ当然のことと思われている。だから、「勇気」が必要なのだ。嫌われるかもしれないけれど、それでもかまわない、と自分を貫く勇気。「青年」にはそれが欠けているから、人生が複雑で生きづらいのだ、と「哲人」は説く。

本書で繰り広げられる会話をあたしなりにシンプルに解釈するとこんな感じだ。

もちろん話はこんなに単純ではなくて、上の要約でははしょった部分も多い。「人間に対する見方」とか「幸せとは何か?」という議論など、「嫌われる勇気を持つことが幸せにつながるにはどういう考え方の土台に立たねばならないか」ということが長く議論される。

嫌いなやつをどんどん排除していけ、そうすりゃ好きなやつに囲まれて幸せだよ♪みたいな簡単な話じゃない。それじゃあ売れるはずない笑

あたしは、基本的に全員に好かれることなんてあり得ないと思って生きてきた。いや、明確にそう思ったことは無いかもしれない。そこまで言語化することもなく、なんとなく生きる上での自然な前提と思っていたみたいだ。あたしのことを嫌いなんだろうな、変なやつと思っているんだろうな、という人にはたくさん出会ってきたので、「全員から好かれたい」などと思ったことすらないし、誰かから悪く思われていることをデフォルトとして設定していたから、「嫌われるのに勇気がいる」という感覚自体がよくわからない感じだった。でも本書で書かれていることを読んでみるとなるほどそういうこともあるのかもしれない、と納得する部分も多かった。

あたしはあまり他人のことを嫌いにはならない。はっきりと「この人は嫌いだ」と思っているのは、人生で2人しかいない。基本的に知らない人のことは「好き」から入る性格だと思う。でも、それはこちらが好きだいうだけで、自分が人から嫌われることとは全く別の話だ。

最近では、MBTI性格診断の結果自分にはサイコパスの気があることもわかってきたので、より納得感は高い笑笑 

別に誰かから積極的に嫌われたくはないけれど、嫌いな人と無理付き合う必要は無いし、その関係は切ってしまっても何の問題も無いと思って行動してきたと思う。

課題の分離

また、自分と他人の「課題を分離する」という考え方も、自分で実践してきたものと考え方が共通する。この「課題の分離」はアドラー心理学において基本的な人間関係のスタンスであって、人間関係のいざこざや不快感は、他人の課題に自分が土足で踏み込んだり、自分の課題に他人が土足で踏み込んだりしてくることから起こると考える。

あたしは教員をやってはいるけれど、学生に勉強を強制はしない。強制されてやる勉強に意味など全くないと思っているからだ。

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