#2-1 のんびり生きたい
自己紹介エッセイ『 🎈 かわいい屋さん 』へようこそ〜!
前回までのあらすじ
人生を左右するような発言
かわいい屋さんが生まれたのは、一九九二年、札幌市北区にある病院です。当時、父が三〇歳で、母は二〇歳だったのかな。わりかし札幌の中心部に近いアパートで、三人暮らしをしていました。といっても、赤ちゃん時代の記憶はありません笑。いちばん古い記憶は、四・五歳くらいのとき「保育園のホールでともだちと遊んでた、ような気がする」くらいのぼんやりしたものです。記憶がない時期の話をするのって、むずかしいものですね。とりあえず、家族や親戚から聞いた話をもとに、スキマは想像で補っていくことにします笑。じぶんが生まれたころ、父は(現在も)保険を扱う会社で働いていて、おそらく母は(いわゆる)専業主婦でした。いろいろあって、五歳くらいのときに二人は離婚するんですけど、これまた微妙なタイミングというか、まったく記憶に残らないほど幼くもないし、強く刻みこまれるほど育ってもない、そんな年齢だとおもいます。その分、じぶん的にはダメージが少なかったので、あんまり悲しい出来事とは捉えてないんですけど、時々ふと「母は元気なのかな〜」ってことが頭をよぎったりはします。あ、つまり離婚後は父さんと暮らしてたってことですね。ただ、小学校に上がるころには、いまの母さん(と呼んでいるし、本当に母だと思っている育ての親、父にとっての再婚相手)が家族に加わっていたので、ふたり暮らしの期間はそこまで長くなかったんじゃないかなぁ。あとから聞いた話で、じぶんは六歳くらいのとき、母さんに向かって「ぼくのママになって」とお願いしたそうです。いま聞くと、なんちゅうお願いをするんだ〜って感じですけど笑、母さんはそれに応えてくれたわけですね。もちろん、母さん自身の決断もあったとはおもいます。でも母親のいない子にそう言われたら、けっこう威力ありそうじゃないですか。数年経ってから、ひとりの人生を左右するような発言をしていたと知って、なんとも言えない重みを味わいました。
そのひとらしさ
そんな母さんも、いまでは孫のいるおばあちゃんです。二年前に娘が生まれて(妻が産んでくれて)、それ以来じぶんはずっと妻の実家で暮らしてるんですけど、二か月に一回くらいのペースで母さん(娘にとってのおばあちゃん)の家に行くのが恒例行事になりました。じぶんの記憶がないころの話って、たまにびっくりするようなことがありますね。先週も母さんと話をしたんですけど、そのとき聞いた内容がけっこう衝撃的で。まず前提として、かわいい屋さんはかなりマイペースな性格なんです。のんびりすぎて、ほんとは「のんびり屋さん」と名乗ったほうがいいくらい笑。自覚もあるし、のんびりとした動物(特にナマケモノ!)が好きだし、むしろ意識的に「のんびり生きたいな〜」とおもってるので、それはいいんですけど。ただ、これは高校を中退してから、忙しく働いてたバイト生活への反動で生まれたものとおもってたんです。それが、母さんによると小学生のときから変わっていないらしく。たとえば、明らかに遅刻しそうな朝でも、じぶんはマイペースにゆっくり登校してたんですって笑。「いってらっしゃい」と見送って、何気なく窓をのぞいたら「とぼ、とぼ、とぼ」って感じでのんびり歩いてたと。遅刻して怒られなかったのかなぁ。あんまりおぼえてないけど、たしかにそんな日もあったような気がします。途中でトイレに行きたくなって、ガソリンスタンドへトイレを借りに寄ったりとか笑。もしかしたら小学生の時点で、すでに「そのひとらしさ」みたいなものは出ているのかもしれません。かわいい屋さんの場合、「そもそも」マイペースに動くことが自然だった、という話です。いやぁ、じぶんの記憶がない時期について身内にインタビューするのっておもしろいですね。もし自己理解に悩んでいるひとがいたら、おすすめしてみたい方法のひとつです。
2-1はこんな感じです! ひさしぶりの更新になりました〜。まだまだ「かわいい屋さん」に関わるストーリーがたくさんあるので、ちょこちょこ書いていきますよ〜。みなさんも、自分自身を知りたいときは身内へインタビューしてみてはいかがでしょうか? それではまた次回〜!
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