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Abstract 抽象的な表現について

  今回は抽象的な表現について日々感じていることを書きたいと思います。抽象的な表現はその真髄具体性を排除することによってよりダイレクトに浮かび上がらせることがあると考えています。具体性を排除すことにより受け取り手の脳内で想像する余地が生まれるのです。
 例えば、ミロのヴィーナスは両腕の先端が欠損していることにより、腕や手先がどのようなポージングをしていたか知ることができません。それにより受け取り手の脳内で欠如した情報の補完を行う余地が生まれます。受け取り手が自ら補完した情報ですから、より印象に残るといった効果があります。(もちろんそれ以外の点でも魅力はあると思いますが。)

※ミロのヴィーナスの例えは何かの媒体で過去に見たものです。

 レモンが一つテーブルの上に置かれているとして、その手前にすりガラスを1枚、2枚と並べていく。そうするとレモンの写実性や具体性は徐々に排除されてただの黄色の楕円が浮かび上がる、それによってレモンの酸味や香りといったイメージや真髄をより浮かび上がらせることができれば抽象的な表現としては成功しているのではないかと思います。(仮に酸味や香りを伝えたい真髄とした場合。)

※以上は私が感じていることであり最適解というわけではないと思います。同じ抽象的なものであっても考え方のアプローチは多数あると思います。

以下 各種ストリーミングサイトのリンクです。
 https://linkco.re/eh1yzE9P

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