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[観察]リスペクトの霧

自分が注目している人やあこがれの人物を目の前にしたとき、
いったい自分がどんなふうにふるまえるか考えただけで、一歩足がすくむことがある。

それはオーラ的なものに押されるからという非現実な理由、それだけだろうか。

必要以上のリスペクトが創り上げたイメージが、そこにリアルにいるはずの人物の「観察」を妨げる「霧」となってしまう。
リスペクトがあればあるほど「霧」は濃くなる。

代わりにその「霧」には、リスペクトの対象をどんなふうにイメージしているか、その形が偶像となって映し出されているのかもしれない。

つまり、リスペクトの対象と対面しているようでいてその実、自らが作り出した偶像をその人と誤認しているだけ。

リスペクトすればするほど実体としてのその人からは遠ざかってしまう。

2022年のW杯で日本代表の選手たちが格上であるドイツやスペインに対するにあたり、
たしかに格上ではあるが、必要以上に恐れることはない。と語っていたインタビューを印象的に記憶している。

映し出された虚像を勇気を持って払い、
実体であるその人自身を観察できれば、あたらしい情報を得て、より良い形でその人に近づけるのかもしれない。

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