感覚派とか理論派とか
今までnoteは「ですます」じゃなくて「だ、である」で書いていたのだけど、なんとなく堅苦しくてつまらん気がしてきたので今回は「ですます」でやってみます。
さて、ボイトレに限らずいろんなことに言えることで、何かを習得したり人に教えたりする過程で感覚派か理論派かみたいのあるじゃないですか。
僕、昔から感覚派みたいな人に憧れること多いんですよ。
まず左脳が働いちゃうタイプです。
何事もその構造の把握や、なぜ?から入るので理解したら強い。
でも掴むまでが遅いんだー。
だから時間かかるけど着実に、タイプです。
逆に感覚派の人は見よう見まねで掴むのは早いけれど、それを言語化したりするのは苦手な場合が多い。
あと、1回掴んだ感覚を見失うと再起不能になる場合がある。
構造を理解していないだけに自分でそれ以上を切り拓けなかったりする。
感覚派も理論派も、その詳しい定義は置いといて一長一短って感じ。
なんでも「考えてしまいがち」な僕は、やはり後になって五感を最大限に働かせて吸収する準備ができていなかったなって反省することが多い。
ボイトレで行き詰まったときは大抵考えすぎているときで、もちろんそれがすっごく大事な場合もあるのだけど、一旦「もう1回お手本や目標をよ〜〜〜く見て聴いてみ?」って自分に問いかけるだけであれ?こうじゃね??ってなったりする。
左脳ばっかりで理詰めでこねくり回して迷走している人は、もしよかったら参考にしてみて。
あとは、そもそもちゃんと聴けているのかっていう「耳」の問題は相当大きい。気づかないうちに自分で情報を書き換えていないだろうか。
ただそこにあるものをそのまま享受できる感受性やセンスは、磨くことできるんじゃないかなとは思ってます。
で、逆に感覚派の人。
中途半端に「考える」割合増えると大失敗するケースが意外と多くあるので、もうほとんどの人そのままでいいと思う。
ただ、上述のようにどこか限界にぶち当たったときに、そこまで構築してきたものをあまり理解していないわけだから、結構つらいことになるかも。
その場合、是非とも信頼できる人を見つけて習ってね。
でもその前に、日頃からもう少し「なぜ?」を多くするとさらにいろんな気づきがあるかも。
ボイストレーナーはどちらかといえば理論派であって欲しいとは思います。
感覚派のままで背後の知識が薄ければ薄いほど自分の狭い経験則に乗っ取ってしか話せなくなる。自分がこうやって成功したからこうやれば成功する!あれ?なんでこんな簡単なこともできないの?みたいな惨事になり兼ねない。
まぁ自分の感覚に頼って面白いこと言っちゃう人が多いからいろんなウソが蔓延するわけでね。
声は声道(共鳴腔)を通って出口は鼻か口しかないですからね。
背中を通って額から出るとか本当にないです。頼むからやめてくれ。
指先からも腹からも出ません。
でも、ちゃんと科学的根拠を理解したうえで感覚派になりきって教えるのは個人的には全然ありです。生徒さんが求めている結果を出してあげることがそのトレーナーの最優先課題ならば、いつもの理論的な教え方ではなく超感覚的な教え方も面白いと思ってます。
「もっと声を斜め後ろに飛ばして!!」みたいな笑
でも僕は1周まわって、超感覚的なレッスンも受けてみたい。
圧倒的に感覚を優先して歌に浸っていたい。
そんな理論派です。
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