僕はどうしてコーチになり、先生になったか(後編)

課長への恐怖

 コーチングを身につけてから、仕事は順調なのに、なぜか課長のことが怖くてしかたがありませんでした。特に1対1でいるときに、異常なまでの恐怖を感じて脂汗が出てくるし、声が喉に張り付いて出なくなるしで大変でした。課長は温厚な人で声を荒げたりする姿は一度も見たことがなかったのに、なぜこんなにも恐怖心を感じるのか分かりませんでした。

 コーチに相談すると「それは昔の上司を投影しているのではないか」と指摘を受けました。僕はNTTに入る前に、別の会社で強烈なパワハラを受けて、心身ともにおかしくなり、最後は会社から失踪するという経験があったのです。

 言われてみれば確かに、報告に行く時などに課長の机の横に立つと、パニックになっていたのですが、それは昔の上司に激しく叱責されていたときのいつもの立ち位置でした。

 コーチは躊躇する僕に対して「昔の上司に言えなかったことを伝えるセッション」を提案してきました。本気で自分の状況を変えたかったので、コーチの提案に乗りましたが、本当につらいセッションでした。

 昔の上司のことは思い出しただけでも、気が狂いそうなくらい怖かったし、会わなくなってから何年も経つのに、街で上司のものと同じ車種の車を見かけるだけでも気分が悪くなるくらいだったのです。

 向い合わせに椅子が二つ置かれて、僕は1つの椅子に座ります。そして目の前の椅子に昔の上司が座っていると思って、言えなかったことをここで言うようにと指示されました。

 恐怖で何も言えませんでした。でも長い沈黙の後、絞り出すように「。。。あんたのせいで、僕の人生はめちゃくちゃだよ。。。もう勘弁してほしい。。。僕のことを放っておいて欲しい。。。」と言いました。そしてそれを皮切りにたくさんの言葉が溢れてきました。本当に苦しかったし、ずっと溜め込んできていたのです。

 ひとしきりそれを話し終えた後、今度は上司の方の椅子に座るように指示されました。正直座りたくありませんでしたが、そう言える雰囲気でもなく、僕は嫌々上司の席に座りました。コーチは「目の前で色々言っている宮越さんを見てください。何が言いたくなりますか?」ときいてきました

 その時です。僕の中で何かスイッチが入りました。瞬時にものすごい怒りが湧いてきて

「甘ったれたこと言ってんじゃねーよ。お前が悪いんだろが!!!!!!」

 と叫んでいました。そして堰を切ったように、上司側の言葉が僕の口から溢れ出てきました。本当に不思議な体験でした。そして自分が喋っている上司の言葉を聴きながら「そうだよな。。。この人もこの人なりに一生懸命だったし、これ以外にやりようがなかったんだよな。。。」と思っている自分がいたのです。

 このセッションは僕の人生を変えました。不思議なことにその日以降、会社で課長に報告に行っても不安や恐怖を感じることはなくなりました。街中で元上司と同じ車種の車を見ても気分が悪くなることもなくなりました。

 そして僕は気づきました。僕は恐怖の中で生きていたんです。もう二度とあんな風に叱責される人生を生きたくなかったから、もう二度と失踪なんてしたくなかったから、NTTに移ってからも狂ったように働き、不安で仕方がなかったので部下に対してもマイクロマネジメントでコントロールしようとし、うまく行かないと感情的になり、そして上司の顔色を見ながら仕事をしていたのです。それらはこのセッションで過去のものになりました

Kさんの告白

 課長への懸念もなくなり、仕事はますます好調でした。多くのメンバーは僕のコーチングを受けてくれて、業績も上向いていました。でも決してコーチングを受けてくれないメンバーもいたのです。Kさんがそうでした。Kさんはいわゆる年上部下というやつで、仕事もできるし話も面白くてみんなの人気者でした。彼は「僕はコーチングはいいですから、みんなにしてやってくださいよ」などと言って決して僕のコーチングを受けることはありませんでした。

 もともとあまり本心を明かすタイプでもなく、何を考えているのか分かりませんでした。数ヶ月経ち、春が近づいた頃、Kさんから突然「話があるんで、今晩飲みにいきませんか」と誘われました。「あ、会社辞める話だ」と直感しました。他の可能性なんてありませんでした。とは言え、聞かないわけにも行かないので、誘われるまま彼の行きつけのもつ焼き屋についていきました。

 しばらく他愛のない話をした後で、彼が切り出しました。「宮越さん。僕、4月から大学に行きます。宮越さんのおかげです。あ、心配しないでください。仕事と両立できるところに行きますので」。あまりにも唐突な話に驚きました。何も言えないでいる僕に、彼は続けました

 「実は僕、大学中退してるんです。高校のときに留学したいと言ったら、お袋は貧乏だったのに、お金を工面してくれて、アメリカに行きました。でも勉強についていけなくて、向こうで遊んで、お金使い込んで。。。留年して。。。バレたときにはどうにもならなくて。。。帰国することになって、お袋を泣かせました。それからはもう夢なんか見ないで生きようと思って、こここまで来たんです。でも宮越さんを見て、僕も変わりたくなって。。。」

「宮越さん!すごかったね。忙しい中、コーチング習いに行ってさ。最初みんな怪しい目で見てたけど、やり続けたもんね。でさ、みんな変わったよね。楽しそうに仕事するようになった。。。それ見てて『人っていくつになっても変われるんだ』って思えて、僕もやっぱりもう一度大学に挑戦したいって。。。お袋はもう亡くなってしまったけど、やれるところを見てもらいたいって。。。だから。。。いつも付き合い悪くてすいませんでした。早く帰って家で勉強してたんです。」

「先日、合格発表があって、お袋の墓参りいきました。お袋に『もう一回やり直してみるよ。宮越さんって人にチャンスもらったから』って言って、墓石に抱きついて泣きました。本当にありがとうございました」

 Kさんは泣いていました。僕も号泣でした。僕は彼にはコーチングなんてしなかった。何も彼の役に立てていないと思っていた。それでも一生懸命生きることだけで、こんなにも嬉しい報告をもらえるなんて。。。

再び先生に会いにいく

 そんな風に会社のメンバーと一緒に未来を切り開いてきました。自分なりに先生から教わったコーチングを実践できていると思えるようになりました。

 その頃ちょうど、新しく上級プログラムが開催されるときき、1年4ヶ月ぶりに先生に会いに行くことにしました。落ちこぼれだった自分がコーチングできるようになった姿を見てもらいたい、そんな気持ちでした。

 さすがに上級クラスだけあって、参加者はプロコーチとして活躍している人ばかりでした。でも僕も仕事現場で1年以上奮闘してきたし、結果も出ている。そんな自負心を持っていました。

 ある日クラスで、リレーコーチングというプログラムがありました。20人ほどの参加者が一人持ち時間2分のリレー形式で、同じクライアントにコーチングをしていくというものです。自分より前のコーチがやったコーチングを引き継ぎながらも、コーチングを進めていくことが求められるのです。

 かなり困難なケースで、僕よりも前のコーチたちは難儀していましたし、僕も2分間何もできずに終わってしまいました。そして僕の後のコーチたちも有効打を打つことができず20人×2分が終わっても、大した変化が起きていないままでした。

 先生は「じゃあまずはコーチングを終わらせてから、解説をしましょう」と言って15分ほどの時間で、こんな鮮やかなやり方があるのか!と思う素晴らしいデモンストレーションを見せてくれました。あまりの美しさに言葉を失いました。僕たちが難儀していた問題が嘘のようでした。問題だと思っていたものは全て綺麗にリソースとなっていました。

 この時、僕の人生が決まりました。

 「これがやりたい。何年かかってもいい。このセッションがやりたい」

 なぜかそう思ってしまったのです。そしてそのとき目標を作りました。

 「このセッションだけでもいいから、僕は11年かけてできるようになろう。そして僕もそんなコーチングの先生になる」

 どうして11年後かと言うと僕と先生の年齢が11歳離れていたからです。

 当時、先生には後継者候補と呼ばれる人たちが100人以上いました。彼らは毎月の研修会に参加し、厳しい課題に取り組んで先生の後継者の椅子を目指していたのです。

 でもその人たちの中にも先生と同じようなコーチングカウンセリングができる人はいないように見えました。だから何年かかってもいいから、僕はそれをやる。そして僕も先生と一緒にコーチングを教えるんだ。そう決めたのです。

 コーチングを始めて1年半。僕は30歳になったばかりでした。

酒井さんがくれたチャンス

 まだサラリーマンでしたが、アイデンティティはプロコーチでありコーチングの先生になりました。でももちろん、実績がなかったのでまずはプロコーチとしての活動をすることに決めました。

 ちょうど兄弟子であり恩師の酒井利浩さんがNLPの資格コースを初開催することになっていましたで、そこに参加する受講料をコーチングで稼ぐことを目標にしました。会社の中で大量にコーチングしていたので、彼らから紹介をもらうことも容易でしたし、コーチ仲間も僕が本気であると知ってくれて、何人もクライアント候補を紹介してくれました。

 そんな中からプロコーチとしての活動がスタートしたのです。これは本当に幸せでした。これを読んでくれているみなさんにもプロコーチの仕事をしてもらいたいと心から思っています。だって一緒に夢を描いて、相手が人生を変えるのを後押しして、本当にその人の人生が激変して、心から感謝され、それが仕事になる。そんな夢見たいなことがあるのです。

 コーチングしたから生まれた会社やお店がある。作られた新製品がある。コーチングを受けて結婚し、生まれた子どもがいる。コーチングを受けて取った金メダルがある。10年20年経ってもクライアントから、社員の方から、ご家族から、ずっと感謝され続けるのです。本当にすごいことです。

 そんな最高の仕事をしながらも、もっともっとコーチングやカウンセリングの腕を磨き、いつか「あのセッション」をやるんだ。そして先生と一緒にコーチングを教える。そう思ってコーチングの研究も続けていましたし、教える立場になるために、先生のクラスのアシスタントもさせてもらっていました。

 先生にも「僕もいつか一緒に教えたいです」と言っていましたが「まずはコーチングの腕をあげるように」と言われていました。そんなある日、アシスタントミーティングの前の時間に先生から呼び出されました。そこには酒井さんもいました。先生がいいました

 「酒井さんが、だいじゅにチャンスをやって欲しいと言っている。次のプログラムから一緒に登壇する気はありますか?」

 驚くべき提案でした。僕の無意識は一切躊躇することなく「やらせてください!」と返答していました。

 酒井さんは当時、先生と一緒にやっているクラスがあったのですが、それを一部宮越にやらせてあげて欲しいと言ってくれていたのです。まだ駆け出しの講師だった彼がもらっていたチャンスも講師料も、丸々僕に譲り渡そうとしてくれたのです。僕はこんな愛情に出会ったことはありません。

 酒井さんがあの時に僕を推薦してくれたこと。先生(平本あきおさん)が僕にやらせてみようと思ってくれたこと。それがあったから僕はいまこの仕事をしています。

 後に平本さんに「どうして僕にやらせてみようと思ったのですか」と質問したら「決めていたのは、あのリレーコーチングのときですよ。だいじゅだけが今ここにいながら、クライアントの奥にあるものを知ろうとし続けていたからです」と言われました。

 僕が始めて平本さんと登壇したのは2007年9月でした。コーチングを始めて2年2ヶ月。まだサラリーマンでプロコーチになってからも1年経っていない状態でした。

 そしてそこからさらに2年半の準備期間を経て、2010年からスタートしたのが今も僕がやっている「プロコーチ養成スクール」です

そんなの平本流じゃないじゃん

 僕自身、僕が教えているコーチングカウンセリングに惚れ込んでいます。僕の人生もこのコーチングで大きく変わったからです。そしてこの20年近くで奇跡とも言えるようなセッションをコーチとしても数えきれないほど体験してきました。

 ※奇跡的なセッションを読んでみたいと言う方は以下の記事からどうぞ。ここにのっているのはカウンセリング系のものばかりですが、逸品揃いです

 とは言え、教え始めた当時はもがいていました。知っておくべき理論、身につけるべきスキルが山ほどあったからです。

 先生のコーチングカウンセリングのバックグラウンドがアドラー心理学だと知っていましたから、アドラー心理学の理論とカウンセリングスキルを学びました。そして酒井先生の専門はNLPだったので、NLPを学びました。NLPの背景にある、ゲシュタルト療法や家族療法、エリクソン催眠を学びました。コーチングをやる上でも欠かせないので認知行動療法も学びました。ロジャーズを好きになり、そこからフォーカシングやトランスパーソナル心理学にも足を伸ばし、プロセスワークなども学びました。

 何を学んでも「これも、先生はやってる。この理論も先生は使ってる」といったことの連続で、お釈迦さまの手のひらの上で飛び続ける孫悟空のような気持ちになっていました。

 そんなある日、当時付き合っていた彼女から「そんなの平本流じゃないじゃん!」と言われたのです。彼女は同門のプロコーチでした。

 僕は当時学んでいたとある流派のスキルの話をしていました。彼女の言葉に一瞬反論しようとしましたが、やめました。自分でもわかっていたからです。こんな風に理論やスキルを学んでそれでなんとかしようとしても、先生のようにはなれない。。。そしてそれは僕の目指すところではない。

 だから、一切他の流派から学ぶのをやめることにしました。参考のために書籍や論文は読みます。でもそれだけです。あとは先生のコーチングカウンセリングを解析し、自分のセッションを振り返り、ただ理想のセッションを追い求めるだけにしました。

 そのプロセスの中で発見したものを、僕たちのコーチングを学びたいと言う人に教え、トレーニングしていく。それが自分のやりたいことだと気づいたのです。

 来年2025年7月でコーチングに出会って20年になります。思えば長い時間をこれだけに費やしてきました。2010年開講のプロコーチ養成スクール(6ヶ月間で18日のプログラム)に参加してくれたコーチだけでも2000人を超えます。

 このスクールに参加しても国際資格は出ません。背景理論も違えば、使用スキルも認定基準も違うからです。そんなスクールに本当に多くの人が学びにきてくれたな、と感謝しています。

 もちろん自分たちは世界最高峰のコーチングだと自負しています。これまで学会での発表や書籍、YouTubeなどさまざまな手段で僕たちのコーチングの価値を広めようともしてきました。けれどまだまだ広く伝わっていないのが本当のところです。

 こうしてnoteでも発信をし続けるのは、コーチングにはどれほど素晴らしい可能性があるかを一人でも多くの人に知ってもらうためです。多くのコーチたちと繋がり、一緒に未来を切り開いていきたいからです。

 僕にチャンスをくれた酒井さんは惜しくも昨年2023年春に亡くなりました。僕も命の時間を精一杯使って、このコーチングカウンセリングを一人でも多くの人に伝え、そしてこれを教えてくれる人へとバトンを渡していきたいと思っています。

 おしまい。最後まで読んでくれてありがとう!

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