手話にハマる
私は専門学校に入るまでは手話について詳しくなかった。
耳が不自由な人が使う会話コミュニケーションの一つ、くらいの認識で
手話の単語一つさえ知らなかった。
手話との関わりといったら
中学時代に卓球部だった時に、聾学校の生徒と試合をし、その際手話で会話している姿を見たくらいだ。
あとはせいぜい、テレビで手話通訳を見たり、何らかの手話歌を見たくらいだ。
専門学校時代は二年間、手話は必修科目だった。
英語は中学一年生レベルのような非常に簡単なものだった。
どうやら福祉の世界では手話を非常に重んじているらしい。
授業ではまず、自分の名前を手話でどのように表すかを学んだ。
出席をとる際、必ず自分の名前を手話で伝えた。
手話で名前を表す際は、漢字より響きを大切にする。
例えば永井さんの場合
手話の“長い” + 指文字の“い” で ながい(永井)
渡辺さんの場合
手話で“綿” + 手話で“鍋” で わたなべ(渡辺)
となる。
同じ音の単語の組み合わせで名前を表現する。
ただし、永井さんのように“井”にあたる単語はないので
そういった名字の場合は、指文字で補う。
もちろん、村田さんの場合などは
村と田んぼの手話があるので
そのまま表現できる。
面白いなと思ったのは、佐々木さんだ。
佐々木さんの場合、佐々木小次郎が由来で、背中から剣を抜く動きが、佐々木、を表した。
こういうイレギュラーな場合もある。
下の名前は基本、指文字で一文字ずつ表現する。
歩美さんだったら
あ・ゆ・み、と一文字ずつ表現というルールがある。
手話で“歩く” + 指文字で“み” とはならない。
手話はジェスチャーに近かった。
指文字一文字ずつには意味があり、単語一つずつに意味があった。
コンビニの手話が「右手で4、左手で2を作り、時計回りで一回転させる」と知った時はなるほどと感心した。
24時間営業を表しているのだ。
一つまた一つと単語を覚えるごとにワクワクした。
大学の時に第二外国語でドイツ語を学んだが
ドイツ語より分かりやすく、面白いと思った。
ドイツ語を数ヶ月学んだ割に
私が覚えたのはせいぜい
ドイチュ(ドイツ語、ドイツ人)と、イッヒリーベディッヒ(愛してるよ)くらいだ。
あとは名詞に男性と女性と中性があり、それによって定冠詞が変わるくらい。
デアだかディーだか勘弁してほしい。
まず、名詞の性別だけで混乱だ。
私が通っていた専門学校は最低一年間、必ず何らかのサークル活動に入らなければいけない。
サークル活動自体は月数えるほどだが
学校生活があまり上手く送れていない私にとって
それは面倒くさいシステムでもあった。
サークルは片手で数えるほどしかなく、私は迷うことなく手話歌サークルに入った。
私は手話が好きだった。
歌も愛していた。
手話歌サークルの顧問は空気が読めない担任なので微妙だが
手話歌サークルで、私は初めて先輩や他クラスの人と知り合った。
部長や先輩は優しかったし、私は他クラスの子ととても仲良くなった。
クラス内が微妙だったからこそ、手話歌サークルの人達が優しかったことに私は感動した。
あぁ、ここの人達は普通だ、まともだ…
とても嬉しかった。
あくまで微妙なのは顧問だけだが、顧問は皆から嫌われていたので大した問題じゃない。
赤信号、みんなで渡れば怖くない、ではないが
みんなの気持ちが同じならば乗り越えられることは、それなりにある。
手話歌サークルは、一回の活動につき1曲ずつ練習をした。
日本語の歌詞の下に手話での表現が書かれた歌詞カードを配られる。
まずは日本語の歌を聴き
それから、一フレーズごとに手話を確認しながら表現していく。
手話歌の題材は大抵有名な曲だったので
歌詞やメロディーは聞き覚えがあった。
だから一回のサークル活動で、一曲を歌いながら手話で表現するという手話歌は
比較的容易に覚えられた。
私達はサークルメンバーで、地域のお祭りや施設のボランティアで
手話歌を披露することを何度か行った。
地域の方や施設の方はそれを見ながら口ずさんだり、笑みを浮かべた。
また、学校でよさこいチームを作っており
金八先生大好きだった私はそのチームにも入っていて
大抵手話歌を披露する時は、よさこいも披露した。
手話歌のみ披露の時は衣装がスカートで、髪をほどいていたが
よさこいの場合は髪を高い位置で団子にして、紫色の半被を着て、黒いズボンを履いた。
手話サークルとよさこいを掛け持ちしている人は何人かいたし
別サークルとよさこいを掛け持ちしている人もいたが
よさこいチームの先輩も優しかった。
部屋や屋上でみんなと練習するよさこいは楽しかった。
手話サークルでは、学校関係者が歌手をやっているということもあり
その歌手の歌も手話歌で覚えた。
しかも、振りつけ付きだった。
歌手の方が歌うバックで、簡単なダンスをしつつ手話歌で援助をすることがあった。
正直、手話歌サークルでこの活動は嫌いだった。
特に好きな歌ではなかったし、学校の宣伝として
私達は利用されていた。
知らない歌を歌ったり踊っても学校側の自己満足で
地域や施設の方々は
有名な曲の手話歌やよさこいの方が反応は圧倒的によかった。
内申書やサークル活動上仕方なく付き合っていたが
本来の私は色々覚えた別の手話歌をやりたかったし
他のサークルメンバーも同様だった。
専門学校二年間で手話をミッチリやり、また手話歌サークルに入っていたこともあり
卒業する頃には中学一年生英語レベルくらいのことを、手話で会話することが可能になった。
逆に、英語力はみるみる低下し、私はどんどん英語ができなくなっていった。
大学の頃は英語の論文を読み解いたりしていたというのに、もはや関係代名詞さえ怪しい。
人は置かれた環境で良くも悪くも変わるのだと思った。
就職した施設には、耳が不自由な方が二人、マカトン法を使う方が一人いた。
職員で手話が使えるのは、私を含めて五人。
中でも一人の職員は日常会話を通訳したり、スムーズに会話することも可能であり
朝の会の内容を同時通訳し、利用者に伝えていた。
か、かっこいい……!
私は感動した。
まだまだ私は知らない単語がたくさんあり、簡単な自己紹介や挨拶ならば手話でできるが
スピードは遅かった。
知的に遅れはないが手話を使う人に対して、私の手話レベルでは話にならず
大抵筆談で会話をした。
残りの二人の方は知的な遅れもあり、簡単な手話しか使わなかったので
こちらの二人とは手話でコミュニケーションを図った。
二人はひらがな一部が読めるぐらいであった。
「おはよう。元気?」
「好き?」「嫌い?」
「おいしい?」
「暑い?」「寒い?」
「楽しい?」
「痛い?」
「できる?」
「難しい?」
「忘れちゃった?」
「トイレ行く?」
「今日も仕事お疲れ様。」
「また明日会いましょう。」
私は手話でそんなことを伝えた。
筆談でのやりとりができたとしても
耳が不自由な方にとっては手話での会話こそが母国語なので
手話での会話を好んだ。
利用者の人々は学校や施設で耳が不自由な人と接しており
私より手話が身近な存在だった。
「ともかさん、手話教えて~!」と言われ
「いいよ!」と言い
簡単な手話をよく教えた。
そして、耳が不自由な利用者の方に、覚えたての手話で一所懸命話しかける利用者を見ては
優しい世界だと思った。
私は手話歌の本を買い、みんなで歌いながら、手話歌もよくやった。
レパートリーを増やしたかった。
みんなは好奇心旺盛で、手話歌も好きだった。
私の拙いピアノにみんなが喜んで歌を歌い出したように
私の拙い手話歌にみんなが喜んで真似た。
活動室には優しさや笑顔が溢れていた。
私は利用者のみんなと、こうして歌を歌う時間が好きだった。
耳が不自由な利用者の方もこうして仲間入りし、歌を楽しむことができた。
穏やかで平和な日々だった。
やがて、手話やマカトン法を使う利用者が全員施設を辞めた。
私は日常的に手話を使うことがなくなったが
職場のデスクには常に指文字一覧表を貼って目に通した。
使わないと指文字はすぐに抜けてしまう。
私はなるべく50音を順番に指文字で表現し
忘れないようにした。
いつまた、手話が役立つか分からない。
社会人になって8年目の頃だろうか。
私は社会人の卓球サークルに入った。
一人でどこかに行ったり、何かをすることに抵抗はないタイプだが
卓球ばかりは、ぼっちでは機械相手にやるしかない。
その卓球サークルには、手話で会話をしている人がいた。
聾者だ。
私は手話で挨拶をし、自己紹介をした。
その人は私が当たり前のように手話を使って挨拶したことに驚いたし
私と共に卓球サークルに入った友人も「え!?ともかちゃん、手話できるの!?」と驚いていた。
私が話しかけた人は嬉しそうだった。
やはり手話が早いので全ては聞き取れなかったが
それでも簡単な挨拶や雑談をできて
私は私で嬉しかった。
手話を学校で習った時、私は中学時代が浮かんだのだ。
聾学校の生徒と試合した時、簡単な挨拶だけでもできていたなら、と。
卓球の試合は、選手同士握手をしたり、多少会話をする。
だけどあの日、私は何も言えなかった。
同じ中学生同士なのに
握手をしたり会釈はできても、それ以上はできなかった。
だけどあれから10年以上の時を経て、私は聾者と手話でやり取りをしながら、一緒に卓球をしている。
それが不思議であり、嬉しくもあった。
手話を使う利用者が退所してからも、指文字を練習したり、手話辞典を時折見返していてよかったと思った。
自分が得た知識や経験は、後にどこで活きるか分からない。
私はそれを実感したのだ。
せっかく入った卓球サークルだったが
職員が辞めたことによる人手不足により
私は残業が終わらなくなり
卓球サークルは僅か数ヶ月で辞めた。
仕事を始めてから、仕事を辞めてもなお
私は常に手帳に、指文字一覧表を入れている。
手話のいいところは、分からない単語があっても、指文字さえ暗記していれば、指文字で会話ができるところだ。
例えば「テレビ見る?」と伝えたい時にテレビの単語が分からなくても
テ・レ・ビと指文字で表し、“見る”の手話を続けて表せばいい。
手話は単語の組み合わせの言語だ。
単語の方がよく使うため、使わない指文字は忘れやすい。
日本語や英語はまずひらがなやアルファベットを覚えるから
50音やアルファベットは分かっても
単語が分からない……となりやすいが
手話に関しては、逆なのだ。
テレビで手話通訳を見るたびに、相変わらず憧れの眼差しを向けながら、私は貪欲に吸収しようとする。
分からない単語はググり、へぇ~となる。
やはり手話通訳は早く、本当に一部しか分からない。
なお、社会人になり、英語ができなくても仕事に支障は全く出ず、英語力は年々低下の一途を辿る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?