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たこあげ大会の思い出

私が小学生の頃、毎年たこあげ大会が行われた。

 
冬休みの宿題には必ずたこ作りがあった。
私は一年生の頃

たこ作り???

と、首をかしげた。

 
たこが何かを知ってはいるが、今まであげたことはない。
幼稚園や学校で作ったこともない。
作り方を教えてもらったこともない。
冬休みの宿題は【たこ作り。形や材料は自由。市販のたこを持参は禁止する。】となっていて
作り方の用紙は見当たらない。

 
 
当時は携帯電話もパソコンもない時代である。
調べることは容易ではない。

 
「お母さ~ん!」

 
困った時の母頼みだ。
私は宿題が書かれた紙を持ち、母の元へ走った。
母親ならたこ作りを知っているだろう。

 
「たこ作り?お母さんに任せなさい。」

 

さすが母だ。
動じない。
むしろウキウキしている気さえする。

 
 
当時、レンジの下には棚があり、引き出しを空けるとゴチャゴチャとした物が入っていた。
アルミ箔とか爪楊枝とか割り箸とかそういった物に混じって
たこ糸の束があった。
黄色のプラスチックの20~30cmくらいの棒に巻きつけてあった。

 
「これがたこ糸。あとは材料ね。ビニール袋と割り箸、あとはストローかしら。」

 
母はガサガサと次から次へと棚をあさった。

 
 
ビニール袋?

割り箸?

ストロー?

 
おかしい………母親はたこを分かっているのだろうか。
私は心配になってきた。

 
たこといったら、長方形型の和紙に和風の絵柄が筆で描いてあって
両手で持ち上げるくらいの大きさのイメージがあった。
 
 
張り切る母に念の為、「お母さん、たこだよ?」と牽制するように言ったが

「分かってるわよ~!たこたこ上がれ~♪」

と、ノリノリだ。

 
…本当に分かっているのだろうか。
余計に心配になってくる。

 
 
母親は私にビニール袋を渡し、「干支の絵を描きなさい。」と言った。
そのビニール袋は、生魚等をスーパーで入れるような小さな袋で
材質から、私はカラーペンで干支の絵を描いた。
下書きはできないため、一発本描きだ。
若干線が歪んだが、やむを得ない。

 
母親はそのビニール袋の上部をテープで貼り付けた。

ストローや割り箸でビニール袋の外側をなぞるように
長方形型に貼り、さらにビニール袋に対して×を描くように
対角線上にもストローや割り箸をつけた。

 
あとは、そのたこにたこ糸をしっかりと固定して取りつければ完成である。
制作時間は30分かからない。

 
「ほ~らできた。完成♪」

 
私は絶句した。

違う…これ、何かが絶対違う。
こんなたこを持っていったら笑われてしまう。
でも、私が知っているたこをどう作ったらいいかは分からない。
疑心暗鬼な私は、また母親に疑問をぶつけた。

 
私「本当にこれで大丈夫?(=先生に怒られたり、みんなに笑われたりしない?)」

 
母「大丈夫よ~。たこあげなんだから、材料軽くしないと飛ばないでしょ?材料は自由、形式も自由って書いてあるじゃな~い♪」

 
姉「たこはみんなそんなもんだよ。」

 

姉は私より二年先輩だし、既にたこあげ大会出場経験者である。
姉が言うなら間違いない。

持つべき者は姉である。

 
私にたこ作りの宿題があるように、姉にもたこ作りの宿題があった。
たこあげ大会は、全生徒参加型行事だったからだ。

 
 
私は三学期になり、冬休みの宿題を持って学校に登校した。

毎年たこあげ大会は1月上旬にあるが
私は楽しみという気持ちより
たこが他の人と大差ない出来かどうかばかり気になった。
なんといっても、初たこ作りで、初たこあげ大会である。

 
 
たこあげ大会の日はあたたかな格好をして
先生やクラスメート、上級生と共に学校付近の田んぼに行った。
その場所に行くのも初めてで、私はワクワクドキドキした。
学校近くにこんな場所があるなんて知らなかった。

 
みんな両手にたこを持っている。
大抵がビニール製で、私が知っているようなたこを持っている生徒は誰もいなくてホッとした。
カイト型の黒いたこを持っている人もいた。
カラスのようでかっこよかった。

 
田んぼは稲の収穫が終わり、広い空き地のようになっている。
まずは各クラス各学年ごとに整列し、校長先生の話を聞いた。

ぶつからないように気をつけて楽しむように言われた。

 
たこあげ大会が、先生の合図で始まった。

 
 
私は走った。
ある程度たこ糸を伸ばしてから、ワァー!と走った。
ある程度上がったところでたこ糸を伸ばし
もっと上へ、もっと上へと飛ばす。

 
その日はちょうど軽く風が吹いていて
私の軽量化した小さなたこは、ぐんぐん上へ飛んでいった。

「ともかちゃん、すご~い!」

友達が私のたこを見上げた。

周りを見ると、たこが重かったり、大きすぎる人はあげるのに苦戦していた。
助走をつけても上手く風に乗らず、落下し
また走るを繰り返していた。

 
先生に怒られず
友達に笑われたりもしなかった
私の小さな小さなたこは
青空へ向かって飛んだ。

 
私はその瞬間にようやく、たこあげ大会を心から楽しめた。

 
 
たこあげ大会では
各学年ごとに「よく飛んだで賞」「デザイン賞」等いくつかの賞状が用意され
私は「よく飛んだで賞」の賞状をもらえた。

 
先生に怒られたり、友達に笑われたりしないか心配で仕方なかったたこは
まさかの賞状をもらえるほどのクオリティだったのである。

 
「ほ~ら、お母さんの言った通りじゃな~い♪」

 
母は賞状を見てドヤ顔だ。

 
 
確かに今回のたこに関しては
 
イラスト   :私
制作     :母
たこをあげた人:私

なので、母は賞に大いに貢献していた。
母に喜ぶ資格は十分にある。

 
 
 
たこ作りのノウハウが分かり、しかも最初に賞状をもらった私は
毎年同じようにたこを作り
イラストだけ変えた。
工夫する気はまるでなかった。

 
だが、私が賞状をもらえたのは一年生の時だけだった。
あの日は風が私の味方だったのだ。

 
図工が得意な友達は毎年お洒落なタコを作り、デザイン賞を受賞した。
最初からデザイン賞狙いの生徒も中にはいた。

たこあげ大会はあくまで
高く飛ばした人が勝ちではない。

 
たこ作りやたこあげを楽しむ大会だった。

 
たこあげ大会が毎年好きだった。

ひたすらに走り、ひたすらに走り、たこを空高く飛ばそうとした。
そして、たこが空高く飛んだ瞬間

あの瞬間は確かに、私の中で大きな喜びに繋がった。
たこは希望だったのだ。

 
 
 
たこあげ大会は、私が小学校を卒業して間もなく中止になった。

あの頃、学校は
行事よりも勉強に特化する時代に変わりつつあった。
行事はどんどん縮小したり、中止になった。

 
「確かに勉強は大切だけどさぁ………なんで、なんでもかんでも行事をなくしちゃうんだろう?つまらない時代になったね。」

 
私はよく、父にそう言った。

 
父親は教員として働いていた。
詰め込み教育や学校の現状に、父も思うところはあった。
義務教育は、国や県から指定されたカリキュラムをこなすしか道はない。

我が県は学力テストの結果が全国でも下位だ。
学力向上に躍起になるのは分からないでもない。
先進国に比べ
日本の教育や大学生の学力には、課題が見られた。

 
 
私は、ラッキーな世代だった。

小学校も中学校も
私が卒業した後に
次々に私が好きだった行事が消えていった。

 
生まれるのがあと数年ズレていたら
私はたこ作りやたこあげ大会を経験しない小学生になっていた。

ラッキーとしか、言えない。

 
 
 
 
 
父親がこの前、仕事でたこ作りやたこあげ大会をやったらしい。

今年はコロナウィルスの影響により、たこの売り上げがすごいと昨夜ニュースで見た。
野外で人と距離をおいて楽しめるたこあげは
今の時代に需要がある遊びだった。

たくさん外を走る遊びだし
健康的で楽しそうだ。

 
 
父親が担当したたこあげ大会の日は天気もよく
子ども達のたこは全てきれいに上がったらしい。

 
お店では毎年市販のたこの販売を見掛けたが
私が小学生の頃から20年の時が流れ
今年ブームになっているのだから不思議な気分だ。

 
きっと今も昔も子ども達は
ただひたすらに走り、風にたこを乗せ、空を見上げるのだろう。

空高く上がるたこは
きっと、色々と上手くいかない現実の辛さや苦しみを忘れさせるパワーや勇気を
私達に与えてくれる。

 
 
 
 

余談だが
たこあげ大会と言えば
スーパーファミコンの「人生劇場 大江戸日記」というゲームを思い出す。

 
プレイヤーはパロメーターの力の数値を上げ
数値が高ければ高いほど、たこあげ大会では上位となる。
上位になると賞金が出て、下位は罰金が派生する。

 
結婚している場合、愛情の数値によって
声援の内容が変わる。

「愛している♡」
「頑張って!」
「………。」
「死んでしまえ。」

だったかな。

 
 
私はリアルよりもゲームでたこあげ大会に参加する回数が多い人生である。

ゲーム内では順調に好きな人と結婚し
たこあげ大会で上位となり
「愛している♡」と声援を受ける。

 
 
今年、世の夫婦やカップルはたこあげデートをするのだろうか。
たこあげは子どもの需要だけなのだろうか。

もし誰かがたこあげデートをしているなら
それはめちゃくちゃ羨ましい。

 

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