母さんごめん、もう無理だ/朝日新聞社会部
朝日新聞記者が傍聴席で聞いた話をネット上に記事として配信。それらをまとめた一冊。
文中に登場する人物の名前は仮名らしいですが、例えば声優アイコ事件、黒子のバスケ事件、パソコン遠隔操作事件など
世間を賑わせた事件も取り上げていました。
犯人の名前は覚えていなくても、犯人の顔や事件内容が頭に浮かぶものも多かった。
カバーを外すと小さな鳥がたった1羽でモノクロの空を飛んでいる。
“一線を越えて”事件を引き起こした犯人の状態を端的に表している印象的な絵だと思った。
検察官は被告に言う。
「(あなたに色々あったとしても)本件を正当化する理由にならないことは言うまでもない。」
「(介護が必要な母を殺す前に)なぜ、福祉サービスを利用しなかった?」
「30年以上前の不倫は暴行を正当化する事情とは言えず、被害者に落ち度はない。」
…etc.
検察官が仕事柄、このようなことを言わなきゃいけない立場なのは分かる。
分かるが
私なら、こんなことを言われたら本心言わない。
もしも色々あった時に誰かが手を差し伸べていたら、こんな風にはならなかったかもしれない。
福祉サービスを利用しない、できないケースもある。それができたら苦労しないわ。
30年以上前だろうと、不倫は不倫。裏切りは裏切り。
この本では老々介護から親やパートナーを殺めたり、育児疲れから子どもを殺めてしまった事件が取り上げられていて
それらは特に読んでいて胸が痛かった。
だって
黒子のバスケ事件などと違って
犯人のことや事件内容にハッキリとは覚えがなかったから。
それほどに身内を殺める事件は最近あまりにも似ていて、多い気がする。
愛する故に愛する人を殺めたり、愛する人を巻き込む描写に
明日は我が身、と思うのです。
決して他人事ではない。
辛い気持ちを優しさに変えられることもあるけれど
負の連鎖が止まらなかったり
先が見えない日々を過ごしていたり
手を差し伸べる人がいなかったり
差し伸べても結局家族負担が大きくなり過ぎると
人間は誰でも一線を越える可能性があると思う。
弱っている人間を押しつぶすのは世間体や所謂普通の概念、当たり前の精神で
社会であり、世界でもあると思う。
人を救うのは正しさではなく、共感と環境(の変化)で
人を導くのは優しさと未来だと感じた一冊。