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私とバセドウ病②【診察結果】

新施設長に一部始終話すと
明日大学病院に行ってもよい、と許可をもらった。

 
私は午前中休みをもらったが
「もし午前中終わらなくても慌てないで出勤してくださいね。」とも言われた。

 
大学病院は8:30から受付だったので8:10には行ったが長蛇の列だ。

私は受付にてやり方を聞き
渡された用紙三枚を記入する。
隣の方に「初めてでよく分からないんですよね。」と声をかけられた。

私もこの大学病院に来るのは約30年ぶりだった。

 
受付時間より早く来たにも関わらず
院内は人がたくさんいた。

8:30ピッタリに医療事務の方が挨拶をして頭を下げ
そこから次々にさばいていった。
私は診察券をもらう。

 
私は内分泌代謝科という聞き慣れない科に行き
更に用紙を二枚書いた。

この大学病院では患者一人一人に電卓サイズの機械を渡すらしい。
どうやら、何科に行くか、とか、診察室にはいつ入ったらいいか、とかがブザーや色で知らされるらしい。

なんて今風だ。

 
体重と血圧を測り
診察室に入る。

血圧はいつも上が100いかないのだが
今日は150だった。大丈夫か、自分。

 
診察担当は女医さんだった。
既に紹介状や記入した用紙で事情が分かっているので
脈拍やむくみなどをチェックする。

脈拍の速さやむくみを指摘され
「おそらくバセドウ病だと思います。」と言われる。

 
バセドウ病………。

名前は聞き覚えがあるが、詳しくは分からない。

 
今日は血液検査と心電図、レントゲンをするという。

私はついでに数年前からあるほっぺのしこりについても聞いたが
女医さんでも分からないからレントゲンをとろうという。
まさかそんなに大袈裟になるとは。

 
血液検査は30分待ち、検査結果が分かるのは1時間~1時間30分という。

  
採血後、エコーが混んでいたのでまずレントゲンに行った。
レントゲンでは髪を団子にするように言われたが
なかなか高い位置に団子にできなかった。ふぅ。

 
レントゲンはあっさり撮り終わり
私はエコーの場所まで移動した。

 
エコーは相変わらず混んでいたけど
少し経つと名前を呼ばれた。

ベッドに横になり
服をまくし上げ
胸元や手足に取りつける。

横になってうっかり眠ってしまうところだった。

さて
ここから再び内分泌科代謝科に戻るわけだが
なかなかブザーは鳴らなかった。

 
待てども待てどもブザーは鳴らず
飽き飽きしてきた頃に
ようやくブザーが鳴り
私は再び診察室に入った。

 
「診断結果が出ました。やはりバセドウ病ですね。」

先生は淡々と話した。   

 
もう昨日、甲状腺の数値がおかしい時から意識して
ネットで色々調べていたけれど
私には当てはまらないことも多く、半信半疑だった。

 
当てはまるとしたら
脱毛や体のほてりくらいだ。

確かに去年くらいから
やけに体が暑くてまるで更年期障害のようだった。

だけど私の年にしては更年期障害はまだ早いし
寒がりやだけど暑がりやでもある人になったのだと思っていた。

 
だけどそれは甲状腺のせいだったのか。

 
更に先生から

「頻脈も見られますね。」

と言われた。
これも甲状腺から来ているようだった。

 
脱毛、ほてり、頻脈。

それが私の今の症状のようだった。

 
「服薬治療と放射線治療(入院)と手術(入院)、どちらの治療がご希望ですか?」

私は驚いた。
医者が指定するわけではないことを。

 
入院や手術をするくらい悪いのかとも驚いた。
放射線という言葉も重くのしかかる。

 
一見安パイそうな服薬治療も
最低二年間通院しなければいけないことを私はネットで知っていた。

 
答えが決まるわけがなかった。

 
手術も放射線治療もどちらも一週間の入院となるが
術後の経過を見るたびにその時は小まめに通院しなければいけないらしい。

 
また、放射線治療の場合は多少周りの子どもに影響もあるらしく
子どもと関わる仕事の場合、制限がかかるらしい。

 
手術を選ぶにしても
放射線治療を選ぶにしても
ベッドは埋まっており
例え希望しても二週間~三ヵ月待たなければいけないらしかった。

 
私の脳裏には「スピッツ」「ポルノグラフィティ」の言葉が真っ先に浮かんだ。

 
6月にスピッツはツアーが控えているし、行く気満々で抽選申し込みをしたところだ。
映画も待っている。

 
8月にポルノグラフィティのギタリスト晴一さんのミュージカルが待っている。
2019年くらいから構想しており、ファンは今か今かと楽しみにしていた、晴一さん初のミュージカルだ。

 
ずっとずっと楽しみにしていたのだ。

 
私は考えた。
スピッツとポルノグラフィティに支障がない治療法なら服薬治療だ。

 
放射線治療や手術はやはり体への負担、金銭的な負担が気になる。

 
先生もとりあえずの希望でいいとおっしゃっているし
後から変えることも可能とおっしゃっていた。

だからとりあえず服薬治療を選択した。

 
先生の話によると
水曜日は先生が代わる代わるらしいし
私は定期的に通院するなら月曜日か火曜日希望なので
次回通院の時の先生が主治医にあたるらしい。

 
更に
三ヵ月間は二週間に一回通院と言われたが
血液検査とエコーの予約が同じ日にとれず
私は月末に二回通院することが確定した。

 
私は

「え?」

と思った。

 
二週間に一回通院の意味は
二週間に一回採血、エコーをすることだから
同じ日に予約がとれなければ
一ヶ月に四回も通院しなければいけないと言われたようなものだ。

クラクラした。

 
私は今、内科A(貧血)、内科B(花粉症)、産婦人科、皮膚科に通っている。

そこに加えて、今後月四回大学病院で通院…。

 
クリニックなら土曜日もやっているし、早ければ30分で薬処方まで終わるが
大学病院は土日祝日はやっていないし、最低半日はかかる。

最低二年、毎月二回~四回通院……。

 
たかが三ヵ月、されど三ヵ月。
私は月二回もしくは月四回の通院がかかってくる。

有給はもう5日しか残っていなかった。
次の有給までもたないのは確定だった。欠勤がかかってくる。

 
私はそれならいっそ、手術か放射線治療の方がいい気がした。
一週間入院し、術後は小まめに通院らしいが
それでも服薬治療よりは早く治療が終わる気がした。

 
「今はネットに色々載っているから自分でも調べてください。」と先生に言われ、途方に暮れた。

 
よければ放射線治療のパンフレットがあるけど、と言われ、私はパンフレットをいただく。

 
「妊娠していたり、その可能性があったり、今後妊娠を考えていますか?」

私はそう聞かれ、答えた。

 
妊娠はしていないし、相手がいないから妊娠しようがない、と。

 
放射線治療というだけあり
妊娠に関わってくるようだ。

 
もしも妊娠願望が強い方がバセドウ病になったら
治療は制限がかかるのだろう。

そういった意味では、今妊娠していなくてよかったし、愛する人がいなくてよかった。

 
診察が終わり、私は会計の列に並んだ。

金額は6300円。

お金がかかるだろうと多めには持ってきたが
しかしそれでも実際に金額を見るとドキマギした。

 
私は処方箋を持ち
院外の薬局を目指した。

薬は三種類、全て朝食後だ。

 
高熱、めまい、黄疸の副作用があり
それらが出たら予約日前に通院しなければいけないらしい。

 
もしも副作用が出たら更に通院をしなければならず
職場に迷惑をかける。

 
それは私にとって恐怖であり、ストレスでもある。

 
バセドウ病は規則正しい生活を送る人にストレスがかかり、かつ遺伝的なもので発症する説があるが、絶対ではない。

だが、ストレスのせいならば
今日はそれこそストレスのオンパレードだと思った。

 
 
たとぼとぼ歩きながら駐車場へ向かった。
車に乗ると、音楽が流れる。
ヤバTの「Hurray」だ。

ウルッとした。あまりにタイミングがよくて。

 
私は通院後、親友にLINEをした。

「バセドウ病になっちゃった。」

私のたった一言のLINEに対し
親友はすぐに電話をかけてくれた。

 
今まで泣かなかったけど
親友からの着信音に私はザァザァと泣き
親友の電話をとり

「ははは…バセドウ病になっちゃったよ……。」

と言う途中で泣けてきた。

 
親友は出会った高校生時代からずっと
私の泣き場所だ。

家族の次に心を許した人と言っても過言ではない。

 
職場に向かうまでの間
彼女は知っている限りの知識を私に与えてくれた。

親友は元看護師だった。

親戚にもなった人がいる、とその事例も教えてくれた。
今一番知りたいのはバセドウ病の方や元バセドウ病の方のことだ。

 
「こんな時くらい仕事休めないの?気持ち的に仕事できるの?」

親友はそう心配してくれた。

 
確かに行きたい気分ではなかったけど
今週は休んだり、早退しているし
これから更に迷惑をかけるのが分かっているならば
行く以外に選択肢はなかった。

 
それでも職場に着くまでの数十分間
親友と話をしたことで心は確かに落ち着いてきた。

 
電話の向こうからは赤ちゃんの愛らしい声が聞こえてくる。
親友の赤ちゃんだ。

今まで親友は
結婚してからは
赤ちゃんが寝ている時や旦那さんがいない時しか電話はしなかった。

 
だから彼女の赤ちゃんの声を聞くのは初めてだったし
赤ちゃんが起きていても速攻で電話をかけてくれたその心遣いには
ただひたすらに感謝と涙だ。

 
話して泣いてスッキリした後
私は親友に告げた。

 
「電話ありがとう。今から仕事行ってくるね。」

 
私は電話を切り、職場に向かった。

 

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