右足に粉瘤、左足にも粉瘤
それはある日突然出現した。
私が高校生ぐらいの時だと思う。
なんだこれは?
私の右足の付け根に、小さな盛り上がりがあった。
肌の色は周りと変わらない。
小さなこぶというか小さな山のようなものが
気づいたらできていた。
勝手に人の足の付け根に住み着かないでいただきたい。
サイズは右手の小指の爪半分くらいだろうか。
なんだろうこれは?
触るとフニフニしている。
痛みや痒みはない。
山の頂上のような位置にまるで噴火口のようなものがある。
毛穴のような小さな小さな黒い点が見える。
なんだこれは?
しばらくそれを放置していたが、インナーが擦れる位置のため、そいつはプクッと育った。
小指の半分くらいだったのに
小指の2/3くらいになった。
相変わらず触るとプニプニしている。
イジるとまずいだろうなぁと思いつつ
脱衣所でそれの生存確認をするのが日課になっていた。
そのうち、それはしぼんだ。
何故か勝手にしぼんだ。
痛みや刺激はなく、気づいたらしぼんだ。
ほっとしたのも束の間、また大きくなった。
そうして私はそれとの長い共同生活が始まった。
Googleで調べ、おそらく粉瘤だということが分かった。
皮膚病が視覚的に苦手な私は
うっかり画像検索をして、ウッ…となった。
むやみやたらにあまり拡大して見るものじゃない。
どうやら、粉瘤は毛穴がある場所になら男女共にどこにでもできるらしく
この膨らみの中には膿袋があり
完治するためには膿袋を取り出す処置が必要らしい。
皮膚が膨らんでいるのは、膿袋が隠れているかららしかった。
なるほど、と思った。
だから時々それを指で刺激すると白のような黄色のような乳白色のような
ややトロみがかった膿みたいなものがでてきて
最後に血が出るのか。
ニキビの親玉みたいなものだな。
私はGoogleと実体験で学んだ。
Googleの画像の粉瘤は私の粉瘤の三倍くらいのサイズだし
小指の爪にも満たないサイズなら、まだ放置でいいだろう。
大体、私の粉瘤は膨らんだりしぼんだりをとにかく繰り返した。
膿を出しても次の日に復活したり
膿を出さなくても気づけばまたしぼんだり
それをひたすらに繰り返した。
完治していないことは分かっていた。
粉瘤は必ず同じ位置に現れたからだ。
気づいたらひょっこり戻ってきて
「やぁ!」と言わんばかりに私の右足の付け根に居座っている。
気まぐれで図々しい奴だ。
右足の粉瘤と共同生活を5年くらいしたところで
たまたま産婦人科医にかかることになった。
おそらく粉瘤は皮膚科なのだろうが
足の付け根という場所が
私を何科に通院すればいいのかを迷わす。
私は産婦人科医の先生に股の内部を見てもらった後
ついでに足の付け根の粉瘤を見てもらった。
どうせ股を開いているのだし、一石二鳥だ。
「あ~多分粉瘤ですが、これくらいなら問題ないでしょう。」
と、医師はアッサリ告げた。
ちょうどこの時は、粉瘤が大人しい時期だった。
この頃、医者の彼氏とも付き合っていたので彼にも相談したが
やはり同じ回答だった。
この頃は粉瘤も大人しくしていて、膨らんでもマックスまではいかなかった。
確かに放置しても構わないくらい、手がかからない粉瘤だったので
私は腐れ縁のように粉瘤と付き合っていくのだと思った。
異変が起きたのは、私がアラサーの時である。
ふと脱衣所で私は左足の付け根に見覚えのある膨らみを見つけた。
まごうことなき粉瘤である。
なんということだ。
まさかの新参者とは。
右足の付け根の粉瘤が完治していない時に仲間を呼び出すとはどういうことだ。
私は両足の粉瘤を見て、はぁ…とため息を吐いた。
どちらもインナーが擦れる微妙な位置だ。
なんとも絶妙な位置にできやがりやがって。
だが、私は焦っていなかった。
もう右足の粉瘤とは約10年の付き合いだ。
対処も状態も分かりきっている。
イエス・キリストが右頬をぶたれたら左頬も差し出したように
いっそ私も右足と左足の粉瘤と運命共同体になろうではないか。
大人になって社会人になった私は、自分以外にも粉瘤ができた人と初めて出会った。
同僚である。
同僚Aさんは耳に何度もでき、同僚Bさんは背中に何度もできた。
二人とも私より巨大な粉瘤だ。10円玉くらいだろうか。
私のような小指の爪の半分くらいの粉瘤とはレベルが違う。
「私も粉瘤仲間ですよ。」とは下手に言えない。
一緒にするなと言われそうだ。
粉瘤がない同僚と粉瘤同僚の間に私はいた。
どっちつかずのようなものだ。
二人とも病院で処置をし、ガーゼや包帯でカバーしている姿を私は見た。
膿を出す作業はなかなかに痛いらしい。
経験者の目はガチである。
私が両足の付け根に粉瘤があることを、同僚は知らなかった。
「汗っかき(汚い、不衛生)だから、粉瘤になるんじゃないの?」
「また粉瘤?大変ね。私はないけどね。」
そんな声が事務室で飛び交うほど、私は内心ドキドキしていた。
隠れキリシタンではないが、隠れ粉瘤者の気分だ。
理論的には粉瘤は誰にでもできる可能性がある。
だが、できた人とできていない人では分かち合えない大きな壁があった。
そういった意見を聞くほどに、私はだんまりした。
人間はそんなものだ。
違いを認めない発言が普段から激しい人には
決して心は開かない。
無意識から差異を認めない発言をしている権力者に限って、「悩みをなんでも話しなさい。」と寛大な振りをし、「悩みをなんで話さないの?」と責めたりするのだ。
悩みがあって傷ついている時に傷口に塩を塗られたくないから無口に人はなるのだ。
全く面倒ったらありゃしない。
入浴のたびに私は両の足の粉瘤を見つめた。
お願いだ。育たないでくれ。
このままひっそりとしていてくれ。
私はそう願いを込めた。
右足の粉瘤は10年来の付き合いだ。
「そうかい?分かったよ、相棒。俺はしばらく眠るぜ。」と言わんばかりに
一旦なくなった。
お前はなんていい子なんだ。
そう思いつつ、私は左足の粉瘤を見つめる。
「へっへっへー!俺は言うことなんか聞かないよーっだ★」
と言わんばかりに
右足の粉瘤(小指の爪の半分)と同等くらいだった左足の粉瘤は
やがて小指の爪のサイズになり
あっという間に中指の爪のサイズになった。
新参者はなんと生意気なのだろうか。
もうインナーが擦れるとかなんだとか生易しいことを言っていられない。
インナーが当たって痛い。
私はカットバンを貼って応急処置をした。
あくまで応急処置だ。治るわけでは決してない。
爆発寸前の山のように皮膚は赤みを帯びていたし
膿と共に鮮明な赤というよりドス黒い赤い血も流れた。
だが、全ては絞れない。
膿袋を破壊しない限り、こんな攻防戦は無意味に思えるほど
左足の粉瘤は勢力を増した。
もはや、ここまで、か……。
ちょうどその頃、職場でスポーツ大会の仕事があった。
一日中走り回る仕事だ。
人手は足りないので、私が処置をして運動に制限がかかったら仕事で迷惑をかける。
私はスポーツ大会の次の日に、通院をすることにした。
色々調べた結果、粉瘤は皮膚科もしくは整形外科にかかるべしと分かった。
処置は整形外科の方が上手いらしいと聞き
私は近所の整形外科に初めて行った。
そこの整形外科は最悪だった。
私は下半身を脱いで待つように指示されたのに
タオルをかけるわけでもなく
しばらく待たされた。
看護師さん同士は隣でお弁当の話で盛り上がっており
私は下半身を露出した状態で
別に知りたくもない赤の他人のお弁当の中身を知ってしまった。
だが、一番最悪なのは処置だった。
どうやら適切でなかったらしい。
中途半端にメスを入れたことが仇となり
いつまで経っても血が止まらず
粉瘤は一向に治らなかった………
どころか、悪化した。
そう、ここでは膿袋をとらなかった。
ただ、粉瘤にメスを入れて中身を出したに過ぎなかった。
何回かは仕方なくそこに通院し、一向に治らないことを訴えたが
処置はいつまでも変わらなかった。
受付も薬局も対応は悪く
いつも下半身を露出したまましばらく放置され
看護師さんがその間私語をしまくり
粉瘤は悪化の一途を辿り
あ、これはヤブだわ。
と見限った。
あまりにもずさんすぎてネットに書いてやろうかとさえ思ったが
グッと堪え
私は総合病院に転院した。
そこで事情を一部始終話し、お医者さんはうんうんと丁寧に話を聞いてくれた。
下半身の下着を脱ぐ前に看護師さんはタオルをかけてくれた。
そんな当たり前の行為だけで
私は涙が込み上げた。
優しい。優しいよ、総合病院!
そこではいよいよ、膿袋切除という話になった。
お別れだ。
さらば新参者よ。
局部麻酔をしていたから痛みはなかったが
私の左足の付け根にはガーゼなどでグルグル巻きに覆われ
盛大な処置が行われたことを物語っていた。
処置した日はお風呂に入らないように言われた。
次の日からは薬を塗ったガーゼを穴に入れて
四角いガーゼを上から被せるように指示された。
穴………?
私は処置中に足の付け根が見えなかったが
私の足の粉瘤跡地には
まるで爆破跡のように穴が空いていた。
山から谷になったような見た目だ。
くりぬき法と呼ばれる処置らしい。
ひぃぃぃ!
私はのけぞった。
涙目になった。
私の足は元通りになるのだろうか。
粉瘤を………膿袋をとるとは、こういうことなのか。
同僚二人はこの道を歩いてきたというのか。
ゴクリと息を飲み込む。
最初は穴に薬を塗ることさえ躊躇った。
明らかに肌の内部だ。
表面的な傷とは違う。
触っても痛みはなかった。
ただ、感触と見た目が、我ながらグロテスクだなぁと感じただけだ。
確かに切除しただけあり、膿も血も出なかった。
経過はいたって順調であり
何度か通院し、確実に私の左足はいい方向に向かっていた。
ゲンタシンを塗るのもすぐに慣れたが
治療中、大変なのはトイレだった。
場所が場所だけに
左足の付け根に大きなガーゼがある状態では
トイレで尿がつかないか心配だった。
医者に言われた訳ではないが
いつもビニール袋やラップなどを使い
私は左足を守って排尿していた。
そうして数週間が経った頃には
私の左足は元に戻った。
傷跡自体は残ったが悪目立ちするものではなく
これで粉瘤の気まぐれに振り回されないのだと思うと
開放的な気分になった。
総合病院の方々は最初から最後まで優しかった。
粉瘤処置を丁寧にやっていただき
感謝の気持ちでいっぱいである。
私は一回の処置で済んだが
私の処置後もAさんもBさんも新たな粉瘤ができて
再度通院していた。
私はそんなAさんやBさんを戦友のような眼差しで見つめた。
私より粉瘤サイズが大きいということは
私より痛みなりなんなり大変だということだ。
AさんとBさんと私は粉瘤仲間として
地味な絆が結ばれた。
粉瘤の辛さは粉瘤と共生した人ではないと真には分からない。
Aさんは耳に粉瘤だから、ガーゼが目立つし、日光を浴びて汗やホコリで汚れやすい(再発しやすい)と語り
Bさんは背中に粉瘤だから、薬を一人で塗れないし、寝る時に大変だと話した。
粉瘤には粉瘤の数だけドラマがある。
粉瘤は完治しないと言われているが
左足に粉瘤ができてから
私の右足の粉瘤はほとんど出現しなくなった。
実際、いま私の右足に粉瘤がない。
出現ポイントはすぐに指を指すことぐらい容易いが
まるで左足の粉瘤と合わさったかのごとく
自然消滅してしまった。
人は涙の数だけ強くなれるという。
人は自分が傷ついた分だけ優しくなれるという。
でもそれは
全員に当てはまることではない。
支えてくれる誰かや優しくしてくれた誰かがいたり
何かしらを悟ったり、乗り越えたからこそできることで
全員が全員できることじゃない。
同じ病であっても、症状や経過は個人差があり
容易く「私は同じよ。」「私も分かるよ。」とカテゴライズして発するのはエゴだ。
逆に似て非なるものであることを感じると
人は孤独感を募らせたりしてしまう。
それでも私は粉瘤体験を通して
いくらか学んだことは確かにある。
その経験は今粉瘤である人やこれから粉瘤になってしまった人のために
きっといくらかだけでも、役に立つはずだ。