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その他の人生

私は学校卒業後からずっと勤めていた施設を今年の3月いっぱいで辞めた。

学生でも社会人でもない、無所属の肩書きはいつぶりだろうか。
幼稚園には通っていたから、3歳ぶりかもしれない。

2019年の秋頃、私は15年以上大好きなアーティストのファンクラブについに入ろうと思い、どうせなら2020年4月1日に入会しようと決意した。
東京オリンピックがある年ならめでたい感じだし、ただでさえ2020という響きは希望を感じる。
年度はじめの4月1日から新しい幕開け。素敵じゃないか。

2019年の時にはそう確かに思っていた。 
まさかその時は2020年がコロナウィルスで暗い世の中+予期せぬ退職とは夢にも思わなかったのだ。

 
さて、コロナウィルスだろうと退職だろうと、1度決めたことは曲げない。ほとばしる情熱は止まらないのだ。
私は予定通り、無職初日の4月1日にHPを開いた。
名前、住所、電話番号等々
問われるままに右手人差し指で次々に打ち込んでいく。
順調だ。極めて順調だった。
だが、後半、私の人差し指は、ピタッと止まった。

“アナタは学生ですか?会社員ですか?主婦ですか?無職ですか?”

 
…しまった。無職初日に入会するもんじゃない。

昨日まで会社員だったのに。いや、数時間前まで会社員といっても間違いではない。

なんせまだ無職初日だ。私は無職という肩書きに慣れていない。しれっとここは会社員をクリックしておくか?なぁに、昨日までは会社員だったじゃないか。
だが、私は嘘が嫌いだ。今日の私は会社員じゃない。何より大好きなアーティストのファンクラブ入会で、序盤から嘘をつく。それはどうなんだ。人としてファンとしてどうなんだ。

私はプルプルしながら、無職、をクリックした。

「内容はこちらでよろしいでしょうか?」という最終確認でまた無職を突きつけられた。 
なんということだ。
会費入金より痛い。胸が痛い。

無職。

この響きをなんと言い表せばいいだろう。私が無職を実感したのはこの瞬間だったのだ。

 
私は今、30代で独身で彼氏がいない。
30代に突入しようと、彼氏と別れようと、仕事が私にはあった。仕事をしている私は偉い。それだけで色んな何かが許されていた。
 
だが、それを今は失ってしまった。

嗚呼なんということだ。
これから私は真咲ともか(3〇歳)、真咲ともか(独身)に加えて、真咲ともか(無職)というめでたくもない称号を手に入れてしまった。
なんだこの空しさ三冠王は。

 
大変だ。このままでは何か事件に巻き込まれてニュースに取り上げられた時、この三冠王が世間に知れ渡ってしまう。 
私は見栄っ張りなのだ。大抵の人が「ふーん。」と聞き流して一瞬で忘れるようなニュースであろうと、その三冠王が形になり、世間に知れ渡るのは苦痛だ。

今コロナにでも感染しようものなら、バッシングは避けられない。

彼氏とデートで感染と報道…されない。相手がいない。
仕事していたら感染…それもない。仕事がない。
夫、子どもに濃厚接触…その可能性はない。結婚してない。できてない。

考えるほどにないない尽くしで悲しくなる。
嗚呼もう、何で感染しても未婚や独身や30代や無職が世間に知れ渡ってしまいそうで恐怖だ。

 
私はしばし打ちひしがれながら、ファンクラブ入会手続きその2に取りかかった。
どうやらファンクラブだけでなく、スマホやパソコン限定の有料会員サービスもあるらしい。
なるほど、大手のアーティストは違うなぁと感心しながら私はまた右手人差し指を手早に動かす。

はいはい、住所、氏名、年齢、はいはい、年齢なんかもはや飾りですよ。傷は浅いですよ。どうせまた後半で無職入力するんでしょ?やってやろうじゃないの。無職だもの。

そう、開き直った30代女に怖いものはない。2回目なら、痛みにはいくらか慣れたのよ。ははん。
そう思っていた私の目にあるものが飛び込んだ。

“その他”

その他である。
私はそれを見た時に希望の光が見えた。そう、これだよ、これ。
見栄っ張りで嘘がつけない私が求めていたのはまさにその他だったんだ。

その他は優しい。 
転職活動中や婚約破棄や病気や怪我や介護や引きこもりや何かしらの事情で他の肩書きになれない人の総称。
何かしらの肩書きだった人への思いやり。
何かしらの肩書きを目指す人への救済措置。

それが、“その他”のような気がした。

私はその他が一目で気に入った。
真咲ともか(その他)、いいじゃないか。エキストラみたいな響き。はたまた、真咲ともかwithその他のような、グループ名みたいな響き。

 
これからは私はその他として生きよう。
これからは、「どうも、その他のともかです。」と名乗ろう。そうしよう。
そう心に誓った。

ファンクラブ入会と有料サービス登録から、無職とその他に思いを馳せた。
そんな4月1日だった。

 
 
 
 
余談だが、春になったということで某店の会員証の内容に訂正がないか確認を求められた。
肩書きが会社員になっていたので、へへーん今はその他ですよ~と、心の中で得意気になりながらその他に○をした。

店員「申し訳ありません。その他ですと、何か証明する書類はございますでしょうか?提出していただかないと、その他登録はできないのです。」

なんですと?
今なんと言ったの、おねーさん?
その他証明する書類って何?なんでその他に優しくないの?
主婦証明とか普通するんだっけ?
え?なんで?え?その他は自称じゃ許されないの?え。

その他として生きる覚悟をしてわずか二週間後に証明書がないからあなたは無職よ、と遠回しに言われたのだ。
嗚呼春の悲しみよ。寂しさよ。なぁ世知辛い世の中よ、私に少しの優しさを頂戴よ。

 

それでも私はこりずにその他を名乗ろうと思う。誰かに問われたらその他を名乗ろうと思う。
証明書を求められたら、その時は無職と言い直そう。ないものはないんだから仕方ない。

いつまでその他として生きるかは分からないけど、どうせならその他を楽しんで生きたいもんだ。

その他として早くも一ヶ月が過ぎた。
ステイホームGWが明けた日の朝は、どこまでも晴れ渡っている。

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