見出し画像

手紙/東野圭吾

主人公・直貴の父親は若くして亡くなり
母親は女手一つで直貴と兄の剛志を育てるが、無理がたたって母親も早死にしてしまう。

剛志は高校を中退し、働くが
体を壊してしまい、仕事ができなくなってしまう。

 
亡き母、そして剛志の夢は直貴の大学進学だったが
このままではお金が足りないと感じた剛志は、強盗殺人を犯してしまう。

 
本作は加害者家族である直貴の生き様について描かれている。

 
直貴は身内に加害者がいることで何回も引っ越しを余儀なくされ
進学、夢、就職、恋愛…と人生のターニングポイントで必ず、幸せを掴みかけたところで失ってしまう。

 
実際、加害者家族の自殺率は非常に高いらしい。
両親がいるなら離婚し、名字を変えたり、籍を抜くことで身バレを防ぐようだが
縁切りしようと隠そうと
身内に加害者がいることは人生でないことにはできないだろう。

 
加害者家族が罪を犯していなくても
やはり人々は関わりを避けるだろうし
私もあえて手を差し伸べはしないだろう。 

 
仕事でかつて犯罪を犯した人と関わったことがあるし
その人らはいい人ではあったが
加害者家族である身内は縁切りをしていた。
これ以上迷惑をかけられたくないからだと。

 
剛志と同じように、かつて罪を犯した利用者は真面目に働いたし
再び家族と会うことを夢見ていたが
加害者家族の気持ちは変わらなかった。

 
本人が罪を償うことと差別されないことはイコールにはならない。

 
実際私も
自分から婚約者を奪った人のことも
退職せざるを得なかった理由を作った人のことも
あれから何年経ってもなかったことにはできない。

法律的には何も彼等が悪いことをしていなくても
私は私から大切なものを奪ったことを許せない。

その人らが幸せなことが苦しい。

 
自分が幸せであろうと
その人らが幸せなことが許せないのだ。
それはそれ、これはこれだ。

 
手紙で間接的に幸せであることや幸せそうなことが伝わったら不快極まりないし
そんな手紙、破り捨てたくなるだろう。

実際、婚約者を奪った人から詫びの言葉をもらったことがあるが
私は罵ったし、絶対に許さないとさえ言った。

 
加害者及び加害者家族は
被害者及び被害者家族にとっては
死か不幸でしか償えないのかもしれない。
いやそれさえも足りないのかもしれない。

 
かつて友達が、「お金がないとしなくてもいいケンカをする。」と言っていた。

お金が全てではないが
なさすぎると心のゆとりを失ってしまうのはあるだろう。

 
人に恨まれず、危害を加えられずに生きたいけれど
誰かの幸せは誰かの不幸であり、犠牲である以上
落ち度がなかろうと、人知れず恨みを買ってしまうこともある。

 
最大の復讐はあなたが幸せになることだなんて人は言うけれど
その幸せこそが、誰かの復讐動機になるかもしれないと感じた。

色々と考えさせられる作品だ。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?