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日本酒のコラムを100週連続更新して感じた4つのこと

先日、自身が所属するコミュニティ“酒小町”にて、コミュニティメンバー向けに書いていた日本酒のコラム、ゆるゆる日本酒教室が100回を迎えました。

酒小町メンバーに協力いただき、はじめの方から、少しずつnote化されています。

曲がりなりにも、日本酒のコラムを100本書くと、感じることや考えることもあります。
今回はそれをまとめようと思います。

※なんだかんだ長くなってしまいました。
流し読みする方は太字部分のみ拾っていただければおおよそ主旨は伝わるかと思います。

きっかけは日本酒への感謝の還元

酒小町に入会したのは、コロナ禍でピリピリしたご時世の真っ最中、2021年の2月でした。

酒小町に加入してまもなく、声かけがありました。
「日本酒について知りたい若い人はたくさんいる、でも堅苦しくないようにしたい。そんなゆるいコラムのようなものはできないか?頻度はマイペースでかまいません。」という内容。

日本酒をそれなりに飲み、いろいろな知識や経験が積み重なってきた中で、ふと感じたのです。
それは「自分はこのまま、ただただ飲んでいるだけでよいのか?」というシンプルな疑問でした。
日本酒に関して、業界人でもない、しかし一般人でもない。
非常に中途半端な立場だな、とふと自分を顧みて思ったのです。

日本酒の有識者は数多くいます。
著書を持つ方、飲食店で働く方、酒蔵の方、などなど。
お酒だけでなく、飲食業界にさえも身を置いていない立場からすれば、それは重々承知です。
生業としてではなく、趣味程度に関わる立場からすれば、明らかに日本酒に関する入る情報量や触れる頻度が段違いなのですから。

そんな、中途半端な立場だからこそできることはなんだろうか?
詳しい人と、これから知りたい人、の境目の身を何か活かせないのか?

もうちょっと違う活動・関わり方を広げられないのか?
そんなタイミングで酒小町のことを思い出し、入会した際のコラム執筆のお声かけ。

日本酒に関する知識や経験を通じて、自分の人生に彩りが増えた事柄が多くありました。

それをちょっと他者に還元したいな、とは予々思っていましたので、コラムの担当を承諾したのでした。

ペルソナの存在に支えられ

文章を読ませる対象・相手、いわゆるペルソナはお酒のコミュニティ内のメンバー=年齢は20−30代で、その中でも日本酒に興味を持ち始めた人、になります。
そうすると、前提として、相手がどこまで日本酒について知らない想定で書くか、が課題でした。
なにせ、画面の向こうの人間がどの程度の知識量で、どれくらい知りたいのかという知識欲・熱量なのかもわかりません。
言葉の噛み砕き方、テーマの設定の仕方、更新頻度、・・・何からやればいいやら、全てが未知数、手探りでした。
しかも、コラム執筆は本業とは全く関係のないことでいかんせん勝手がわかりません。
これまでのライター的な経験とすれば、かつてのblogやSNS更新の経験や、大学生の時のフリーペーパーの記事作成を担当したこと程度。
また、文字数や、文の入りと終わりのような体裁、何かしらの枠組みのようなものがあるもんだと思っていたのですが、そのへんはまったくもってディレクションなし!なんというフリースタイル!
なかなかハードモードなスタートでした。
そして、2回3回と書き出していくうちに、ちょっとずつSlack上でつくリアクションボタン。
たかだかワンクリックでつけられるようなボタンでも、「自分の文章がちょっとは役立ってるかな」という心の支えになるものでした。
また、対面で会った時に「記事読んでますよ!」という一言をいただくことも徐々に増えたり、記事のコメントで読者(=酒小町メンバー)同士で交流や意見交換がなされていたりするのを見ると、なかなか嬉しいものでした。

文章を書く時の意識

継続的にやっていくには、自分なりに文章作りのルールのようなものがないと大変だ、と思い、いろいろ下準備・整理してから臨みました。

自身で設定したおおよその軸としては、

・1記事に1テーマ、1内容
・そこまで深掘りせず、日本酒にまつわる必要最低限の範囲や頻出事項を扱う
・気軽にすぐに使える、人に話したくなるぐらいにする
・イメージしやすい比喩を入れる
・事実の記載、描写と、個人的な見解はわけるように書く

ということを据えました。
端的に言えば、日本酒を知らない人に向けて、日本酒好きが理解していること、考えている事柄を通訳するような感じです。
自分が知識や情報を得る中で、自分が欲しかった情報を、その時の知識レベルにあわせて知ることのできるツールが欲しかったので、それをなんなら自分でやってしまおう、という次第です。
自分が学んだ中で「これってこう言う風に表した方がわかりやすくないか?」「つまり、こういうことでしょう?」ということも多々ありましたので、そのニュアンスも伝えられるようにしたいと心がけてました。

前提として、同じ情報でも、受け取り手のキャパシティ・レベルによって情報がインプットされる割合も変わります。
そのため、時間が経って見返すと新たな発見・気づきがあるようだと理想的でした。
日本酒を楽しむにあたっては、やはり関連することを知っておくことにこしたことはないし、知りたい・学んでみたいと思った時に学べるのが一番ですから。

記事にする内容の着想・ベースは、唎酒師や日本酒学講師を取得した時に学んだことや、飲み屋でさまざまな人と話していた内容、自分の中での疑問や考察、日本酒関連のニュースなどです。
そこに肉付けしていく形をとりました。
経験上ではありますが、日本酒の話題って「人や場所が違うのに、似たような話が頻発する」のですよ。
つまりそれは、日本酒というものを触れていく中で、誰しもが一度は通る、普遍的な話なのでしょう。
そこにヒントを得て、日々日本酒を飲んでいる時にちょこちょこメモをするようになりました。

記事執筆にあたり、これまでもっていたテキストも読み返したり、日本酒に関する知識の裏どり・事実確認をする作業が圧倒的に増えました。
人に教える時に自分の学びになる、というのはまさにこういうこと。
また、関連して、記事のネタになりそうな本を読むようになりました。
記事執筆が続くと、自分の中の日本酒に関する知識や情報資源が枯渇していくような感覚が起こり、自然と満たすような行動をとっていました。
やはりinputがないとoutputできない、というか、outputするにはそれ相応にinputが必要だな、と痛感しました。

日本酒コラムがあふれてる情報社会で、それでも書き続けた理由

コラムを書き続けていく中で、改めて感じたことは、「日本酒のネット記事は玉石混合である」、「日本酒に関するほとんどの内容が何かしらの形で触れられている」ということ。
自分が文章を書こうとすると、大抵似たようなことはどこかに書いてあります。
酒蔵、酒屋などのオフィシャルなサイトがあげているかなりしっかりと詳細が書かれているページもあれば、いち個人が書いているブログ的なものでさらっとも触れられているようなものまで。
自分の文がこう言う形で残るのだな、というのも、良くも悪くも痛感しました。
それらをみていると、時々、自分がコラムを書くことに意味があるのか?と自問自答することもありました。
「ネットで検索すれば出るんだからそっちで確認すれば?」と言ってしまえば、正直なところ、それで済んでしまいます。
その中でもいかにオリジナリティをだすのか、は実に頭を抱えました。これが産みの苦しみ、というやつでしょうか。
既存の内容でも、「ここ、当たり前のように書いてあるけど、実はわからない人が多くないか?」という、良い意味での懐疑的な目線を忘れずに。
自分が知らなかった時のこと、初心に戻るように。
自分自身が書いたこの文章に立ち戻ることもしばしばでした。

自分自身ももちろん、最初は日本酒における文化や製造方法、歴史、テイスティングや周辺情報などについては知りませんでした。
なので、日本酒という情報の海を片っ端から調べたり、武者修行のようにいろいろなお酒を飲んでみたりしました。
ただ、これから日本酒を飲む、興味を持つ方には、そんな自分のような苦労はしてほしくない。いたずらにたくさん苦手なお酒を飲まなくてよいようにしたい。
自分のコラムの積み重ねが、どこかの誰かが自分の好きな日本酒、日本酒との楽しみ方を見つける時の、ちょっとしたショートカットになればよいと思いました。

最後に

いまのちょっとした夢は、自分のコラムをまとめた本を作ることです。
ウェブの手軽さはもちろん良いですし、主流はむしろウェブなのでしょう。
しかしやはり、あえてなのか、紙にして、手に持って、本という限定された世界に閉じ込めてみたい。
本を読むのも好きですし、これだけ自分でもコラムが続くとも思わなかったので、やはりそれを一つの形にする、というロマンを追い求めたいと思っています。

ではでは。

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