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グロインペイン症候群との4年間 (大学生時代 最終編)

グロインペイン症候群との4年間。
フィンランドに行くまでを簡単にまとめました。

2016年4月 右足グロインペイン症候群(プレー継続)
          7月 両足グロインペイン症候群(プレー継続)
   10月 恥骨両足疲労骨折、鼠蹊ヘルニア(離脱)
   11月 鼠蹊ヘルニアの手術
2017年4月 ある病院でサッカーを辞めた方が
      良いと診断。
      埼玉の病院へ。両足内転筋筋断裂と診断
2018年2月 北海道の病院で検査
    3月    両足の股関節周囲炎の手術
2018年7月 1年9ヶ月ぶりの復帰
   10月 再び再発し離脱
2019年2月    痛みを抱えながらプレー
2019年7月 痛みが改善されず離脱
2019年8月    部活を引退(リハビリに専念)
2019年11月 4年間で1番良い状態に。
      全体練習復帰+1ヶ月陸上部の練習参加
2019年12月 紅白戦90分以上出場(違和感なし)
2020年1月 フィンランド🇫🇮へ

今回の記事は1年9ヶ月のリハビリから復帰した後から海外に行くまでの話、そして4年間で感じたことを書きました。

それまでの話が気になる方は
是非前回の記事を見て下さい🙇🏻

僕は大学1年生の頃から卒業後絶対海外でプレーすると決めていました。
どんな状況になってもその目標を見失う事はなかったです。
ですがその目標を持っていたからこそ、
理想と現実に悩まされ、自問自答を繰り返す日々を送り続けました。

1年9ヶ月のリハビリから復帰後、
コンディションはどんどん上がっていました。
しかし、試合出場時間が増えていくにつれて
再び股関節に違和感を感じるようになり、最終節を前に再び離脱しました。
2018年の12月に埼玉で再びリハビリに取り組みました。僕の中でこれが埼玉でリハビリするのは最後と決めていました。

2019年は僕にとって最後の大学サッカーの年でした。股関節の状態もプレーの状態も上がっていたので、「今年活躍して、良い状態で海外に行く。」
かなり気合を入れて新年を迎えました。

2月、3月辺りは試合が多く組まれていたので、ここでしっかり試合経験を積もうとしましたが、
残念ながら思うようにはいきませんでした。

フェスティバルと遠征が続いた時期があり、
試合に出る回数を重ねるごとに再び股関節に違和感がありました。
さらに右足の太もも前にも違和感がありました。
後から分かりましたが筋膜炎を起こしていました。

正直痛みの感覚が狂っていました。

もうどれ位の痛みで休むべきか分からなくなっていました。

Iリーグが開幕するのは7月でした。
しかしその1ヶ月前に今度は左足のもも裏を肉離れしました。
怪我をしないための取り組みは絶対に誰よりもしていました。
さすがにこの時はかなり落ち込みました。
グロインペインの影響や長期間休んでいた影響が大きかったと思います。  

リーグ開幕にはギリギリ間に合ったものの、股関節の調子は悪く、身体のキレも悪くなる一方。

これ以上は痛みを悪化させられない。

目標はあくまで海外でプロになること。

同じようにリハビリして、復帰してを繰り返して良いのか。
部活を続けるべきか悩みました。

何か決断する時にいつも意識しているのは、

後悔しない決断をすることです。

僕は決めました。

一足先に大学サッカーを

引退する事にしました。

何も結果を残せず悔しかったですが、
完璧な状態で海外に挑戦する為の決断でした。

海外に行くのは1月。
その時は8月だったので時間はありませんでした。
かなりギリギリな状況でした。

ここで僕を救ってくれた大きな出会いがありました。
その年にこの大学に新しく勤務してきた先生がグロインペイン症候群に詳しい人でした。
僕はその先生と一緒にリハビリに取り組む事にしました。

この先生との出会いが

股関節を劇的に変えてくれました。

最初に動作分析を行いました。
まず分かったのは元々僕の身体の構造は他の人の身体の構造とは違うということです。

本当に0からのリハビリでした。

呼吸の仕方、歩き方、走り方、身体の使い方、いわゆる自分の癖を修正する必要がありました。
上半身の柔軟性や臀部の筋力もとても大事です。
時間もなかったのでハイペースで進めていき、
試行錯誤しながら毎日実験のような日々でした。
効果があるもの、ないもの。
ここの判断はとても大事でした。

今まで積み重ねてきたもの、新しく始めたもの。
それが上手く噛み合い、僕の身体はどんどん良くなっていきました。  

そして遂に

4年間で1番良い状態になりました。

嘘やろ?と思うかもしれませんが、本当に劇的に良くなっていったんです。
地道で本当に地味なことばかりでしたが、それを継続していく事の大切さを改めて感じました。  

11月に練習を全て消化し、紅白戦も出ました。
フィジカル強化、走り方を少しでも良くするために陸上部の練習にも1ヶ月参加させてもらいました。
紅白戦を90分以上出ても問題ありませんでした。
股関節に違和感がない状態でプレー出来る日が来るとは思いませんでした。  正直無理だと思ってました。
今までは復帰出来ても痛みが残ったままだったり、テーピングをどうゆう風に巻いたら1番プレーしやすいか、どうやったら少しでも痛みなくプレー出来るかばかり考えながら大学生活を送っていました。
その時の事を思い出すと、今全力でサッカーを続けられていることが時々不思議に感じることもあります。
本当に色んな方々に助けてもらいました。

継続すれば絶対報われるとは限りませんが

やらない限り一生報われません。

2020年1月。
グロインペインの症状が完全に無くなった状態で
フィンランドに行くことが出来ました。


最後のおよそ半年間、共にリハビリに取り組んで下さった先生が具体的にリハビリでどんな事をしたのかを書いてくださってるので是非こちらも見てみて下さい!

↓↓↓

Tomoki Ebato - 【グロインペイン(股関節障害)は治らない怪我ではない!再発予防もできる!】

人によって僕のこの4年間の見方は変わると思いますが、僕は濃い4年間を過ごせたと思います。

予想外な状況に直面した時に

柔軟に対応出来る力が必要だと思います。

これは怪我やスポーツ関係なく、どんな事にでも必要な力だと僕は思います。

リハビリを乗り越える上でモチベーションは必要不可欠だと思います。
リハビリ期間が長ければ長いほどモチベーションを維持するのは難しいと思います。
目標設定は特に大事だと思います。
近い目標、遠い目標。両方です。
ノートに書くのもありだと思います。

あと落ち込む時は思いっきり落ち込んで良いと思います。しんどい時はしんどいと言うべきです。
僕も結構我慢しがちだったんですが、それをしてたら身体に影響が出ました。
授業中やリハビリ中に吐き気に襲われたり、ご飯が全く食べれない日が続いて体重が落ちたりもしました。
何事もそうですけど、

頑張り過ぎは禁物です。


僕が乗り越える事が出来た要因を3つに分けました。

1つ目は

どんな時でも応援してくれる人の存在

家族はもちろん、沢山の人達が最後の最後まで僕の目標を応援してくれて、サポートしてくれました。
有難いことに周りの人達に本当に恵まれていました。

2つ目は

海外でプロになるという目標

この目標がブレる時はありましたが、見失う事はありませんでした。辛い状況でも自分が海外でプレーしている所を想像していました。
この目標が僕を悩ませることもありましたが、
大きな支えにもなっていました。

最後は

勇気や希望を与えられる選手になりたい

これが1番大きかったです。
怪我をしなかったらこの気持ちが芽生える事はなかったです。
ただサッカーが好きだからサッカーがしたいというものではなくなりました。
これを感じるようになったのにはキッカケがありました。
次回の記事で勇気や希望を与えられる選手について書こうと思います。


最後に
この大学に入って良かったです!
良くするのも悪くするのも自分の行動次第です!

Believe in yourself👊

最後までお読みいただき有り難うございました🙇🏻




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