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怪我を我慢し続けても意味はない (大学生時代 前編)

怪我を抱えながらプレーする。
これを美談にしてはいけないと思います。

最終的な判断をするのは本人ですが、怪我を我慢してプレーを続けるのはリスクが高いです。
怪我の強度にもよりますが。
場合によっては何年もずっとその怪我と向き合い続けなければならなくなるかもしれません。
そうなると最終的に本人が1番苦しい思いをするという事を僕は学びました。

僕は岡山県のIPU環太平洋大学に入学しました。
毎年全国大会に出ているこのチームでAチームでプレーする。
それが入学当初の目標でした。

僕は小さい頃からずっとMF、ボランチを務めていましたがポジションをFWに変えました。
目に見える結果を残し続けることが上に上がる近道だと思ったからです。

IリーグというAチームの下の大学生リーグでプレーしました。
Iリーグの下のカテゴリーでしたが、
リーグ開幕戦に格上の相手からゴールを決めて僕自身かなり良い感触を掴めていました。

しかし、その試合後から股関節に違和感を感じるようになりました。
走っていたら股関節が引っかかるような感触。
走れば走るほど痛みが出て足が回らなくなる。
ボールを蹴ると痛い。

病院で診察してもらいました。

両足の股関節が

グロインペイン症候群と診断されました

(グロインペイン症候群の説明はまた別でやります)

実は高校の時に1度グロインペイン症候群と診断されていましたがその時は何も影響もありませんでした。

病院の先生にはプレーは控えた方が良いと言われましたが、自分自身良いスタートを切れていただけにシーズンが終わるまでプレーしたい気持ちが強かったです。

結局シーズン終了までプレーを続ける事に決めましたが、

この決断が4年間自分自身を

苦しませるきっかけになりました

そのままプレーを続けたものの、どんどん悪化していく一方。
痛みが増していき痛み止めも効かなくなりました。

2016年10月8日

試合中にさらに悪化してしまい、
試合後歩けない状態になってしまいました。
病院に行くと鼠蹊ヘルニア、両足の恥骨疲労骨折。
両足の内転筋筋断裂と診断(後から違う病院で判明)

全てグロインペイン症候群の影響です。

11月に鼠蹊ヘルニアの手術を受け、
次の年の4月頃から合流出来ると言われました。

そして4月に最後の診断のつもりで病院に行きました。

しかし病院の先生に伝えられた言葉は

「もう元通りプレーするのは難しい。

 だからサッカーを辞めた方が良い。」

伝えられた時はまだ理解出来ていませんでした。
そんな事を言われるなんて考えた事もなかったので。

診察室から出てようやく状況を理解しました。

それを理解した瞬間、

涙が止まりませんでした。

病院の外で1時間ぐらいずっと泣き、

家に帰っても1日中涙が止まりませんでした。

自分自身がようやく変わる事が出来たばかりだっただけに、その言葉はとても重かったです。

この日の事は一生忘れません

僕自身我慢してプレーを続けた事に後悔はありません。自分自身でそうすると決めた事だからです。

怪我を抱えながらプレーを続けるかは本人次第ですが、僕は休むことを勧めます。
長く競技を続けたい人ならば尚更です。

我慢してプレーを続ける選手より

怪我を治すために我慢して

休む事が出来る選手の方が強いと思います

僕にはそれが出来ませんでした。


最後までお読みいただき有難うございました🙇🏻



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