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サッカー応援というカルト。

事象の整理:2023年5月12日、国立競技場

5月12日金曜日(平日)夜の7時半から国立競技場でJリーグの試合(FC東京対川崎フロンターレ)が行われました。ゴールデンウイーク開け、平日夜のキックオフに駆けつけるだけでも社会人には大変なこと。ここでゴール裏のフロンターレゾーン(指定席)に座っていた人たちが、立って応援する人たちに「地蔵」扱いされ、「ここは立つ場所です」と言われる事態となったようです。

座っていた観客は応援団に属しているわけでもなく、応援団の「このあたりを立って応援するエリアにする予定」との告知をわざわざ見に行く義務もありません。チケットは数週間前に購入済で席を変えるわけにもいかない。そもそもチケットの規約に「立って応援してください」と書いてはいない。そのエリアを「立って応援する場所」と決めているのはあくまで観客の一部なのです。運営側でもなく、クラブでもないわけです。

それでも、応援大好き人間である大旗振りのサポーターは隣で座っている人に「ここは立つ場所だ」と声をかけたそうです。声をかけられた人は「それなら帰ります」と言ったとか。

このツイートに全てが現れているように思います。
①大旗を振っていたRYOTA氏(以下R氏)は「自分たち(以下コアサポ)がこのエリアの観客に指示して当然」と思っている。
②R氏は座っている(普通の)人の状態を「地蔵」つまり「悪」「非常識」でもあるかのように決めつけている
③R氏は見知らぬ人を「おっさん」呼ばわりする失礼な態度で接している。
④私有地でもないゴール裏を「熱く応援する人たちの大事な場所」とまるで自分たちが何か権利を持つ場所であるかのように思い込んでいる

「自分もまだ未熟な部分がある」というより「相手に失礼」「非常識」だと思いますね。
そもそも「その結果その人たちを巻き込めなかった」と言うのは何でしょう。自身が他の観客をリードする立場でもあるような、はき違えた意識を持っているように見えます。

「応援大好き」な人の完全にずれた視点。

R氏の思い込みはすべて一般社会から見れば異様な「非常識」と言えます。そもそも、初対面の相手に自分たちの望ましいような行動をとるよう命じること自体が異常です。そのエリアでは彼らのような一部の人が「立ちたい」と希望するので、例外的に「立ってもいい」と許可をしてもらっているだけで「立つのが義務」ではありません。このような勘違いが生じるのはR氏に「熱く応援する仲間」が複数おり、その共同体の中での「常識」に洗脳されているからでしょう。これを世間的には「カルト」といいます

https://twitter.com/YNWAMINAMINO/status/1657369095371911170?s=20

こういう視野が非常に狭くなっている「コアサポ」は、サッカーを観る人のほんの一部であり、一般常識をちゃんと持っているファンも多くいます。上記の反論ツイートはその常識のある方の発言の一例です。

スタジアムには座席があるのだし、サッカー観戦は普通の娯楽です。座って見ている人の方が「普通」で「常識的」なのです。例外的に「立って応援することを許可してもらっている」特殊な集団が、そうでない普通の観客に指示して当然と思っているこの思い込みをカルトと呼ばずに他にどう呼べばいいのでしょうか。

非常識というより、もう法令違反案件。

もちろん、普通のファンの中にも、コアサポと同じように立って応援することを選択する人もいます。自分たちがそうして楽しいならそうすればいいし、周りの人に迷惑にならない限りにおいて、選択の自由がありますからね。しかし5月12日のケースは特殊で、かつ異様だったと思います。というのも、R氏とは別のコアサポであるM氏という人が、実際に座って観戦している人の写真を何枚も映して、ツイッターにさらし「地蔵!立て!」などと中傷していたからです。

多くの写真は人の背後から撮影されていましたが、横を向いている方もおり、個人が特定できる場合もあったと思われます。5月14日現在ではM氏はこれを削除し、謝罪しましたが24時間程度は掲載されていました。本人の合意を得ずに個人情報を拡散することは当然法令違反です。これに、ツイッターという公衆の面前での中傷を加えれば、もし相手が訴訟に出れば負ける案件だと思われます。

M氏のこの行き過ぎた行為は、コアサポの中で「ゴール裏で座るのはダメ」という見方が共有されていることを示しています。そもそも「地蔵」という蔑称が、座っている観客に対する侮蔑的な批判が恒常的にコアサポの中でなされていることを証明しています。応援団やコアサポはよく「一体感」を口にしますが、観戦態度の違う観客をまとめて侮蔑するのは、むしろ観客の間での「分断」を招く行為ではないでしょうか?この人たちは「地蔵」と呼ばれた観客が、次回から「申し訳ございません」と自分たちに従ってくれると思っているのでしょうか。むしろ逆効果だと思うのは私だけでしょうか。

「応援至上主義」の弊害

そもそも座って観戦することを他人に批判されるいわれはありません。一般社会から見れば、人が密集しているエリアで立って大旗を振る、飛び跳ねるなどの行為は安全性を損ね、ドミノ倒し、負傷などの事故にもつながりかねない危険な行為です。自分たちの方が非常識な行為をしているのに、それを「デフォルト」としているのは、コアサポの中に強く根付いている「応援至上主義」があるからにほかなりません。

サッカーを観ない人には「ぶーっ」と大笑いされると思いますが彼らは真面目に「自分たちの応援がクラブを後押しし、それで勝利に導くことができる」と信じています。言ってみれば、宗教の信仰と同じです。信じている方は幸せでしょうが、押し付けられる方はたまりません。

実際、多くの観客の写真を撮って「地蔵!」「立て!」と中傷したM氏を擁護するようなツイートも複数見られました。その中に「ゴール裏には共有された価値観がある。(中略)畏れ(おそれ)が必要」などという、200%カルト宗教なものがあったことは見逃せません。

「立って」を推奨すること自体やめましょうよ

手拍子をしたり、応援歌(チャント)を唄ったりは別に立っていなくても、座ったままでもできます。「地蔵」と言われた観客の皆さんも、その多くが声援や手拍子で応援はしていたそうです。平日の夜にわざわざ来る熱心なファンなのですから、それはそうでしょう。

なのになぜ「立って」を応援の基本形としてしまうのか。これはクラブ側にも問題があります。試合の開始時に「全員が立って選手を迎えましょう」などとアナウンスするため「自分たちが立つと選手が喜ぶ」「立つのは良いこと」という刷り込みがあるのでしょう。

そもそも平日の夜にスタジアムに来るだけでも、世間から見れば立派な「マニア」です。ちなみに私は仕事がその時間までに終わる自信がなかったので国立には行っていません。左足に軽い障害があり、右足が腱鞘炎になっているので、立って跳ねるなんてできないし、行っていたら写真を撮られて「地蔵」扱いされていたでしょう。ああ、嫌だいやだ。フロンターレの後援会員をかれこれ8年やっている私でもそう思うんですから、サッカーに縁のない人がこの一連のコアサポの批判を見たら、間違いなくスタジアムから足が遠のきますよ

サッカー観戦界隈の評判を下げるのはコアサポ

どんな趣味や娯楽でも、その界隈の評判を下げるのは、一番それに熱心な人たちです。「これは自分たちのもの」という執着心が視野を狭くし、見解の違う人たちを否定する方向に働いてしまうのですね。こうしたトラブルがサッカー観戦を怖いもの、面倒なことという印象を与えればコアサポが「愛する」クラブにとっては逆効果。彼らがすべきことは異なる価値観を持つ観客の立場を尊重することで、その行動を変えようとすることではありません

M氏は謝罪したようですが、R氏の謝罪はあったのでしょうか。「自らが未熟」などと言っていましたが、未熟というよりまったくもって失礼なので、声をかけた人に謝罪をした方がいいと思います。まあ、名前も知らない相手にそんなことを言ったわけですから、謝罪のしようもないでしょうけど、せめて、ツイッター上で。(終わり)



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