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読書感想文:歌集っていいな(その1)

カン・ハンナ「まだまだです」

「歌集」というものを人生で初めて読みました。穂村弘さんの「短歌ください」をはじめアンソロジーはいくつか読んでいますが、一人の歌人の歌集はこれが初めてでした。初めて買った歌集はハードカバーで1ページに2首と、スペースが広いのにびっくり。こんな感じなんだ、これはすぐ読めるな!という印象でした。

「生きること千年を超えるイチイの木あなたの時間を少しください」

「水面にふわりと浮かぶ睡蓮の組み合う茎は君に見せない」

「日韓の論百枚を書き始める私の本当の愛」

カンさんは30代、日本に来て10年なのに「日本語がお上手ですね」といまだに言われつつ、日韓関係を大学院で学びつつ短歌を詠んできました。日本での暮らしを詠んだ短歌の中からも、ソウルに残したお母さんへの思いが歌の端々から伝わってきます。日本文化へのリスペクトを持ち、時にSNSでバッシングされながらも日韓の懸け橋になろうと頑張る優しい心がそのまま短歌に表れているように感じられました。

「東京はエレベーターでも電車でも横目でモノを見る人の街」

「植物は親から遠い遠い地で芽生えるらしい晴れた空の下」

「寝なさいと母の代わりに言ってくる歌舞伎の幕のようなテレビが」

カンさんの短歌は、「若い孤独」でできています。東京にいる韓国人という孤独。未婚で、子供もまだいない(友人たちにはいる)という孤独。でもそれは彼女がまだ何かを成し遂げようと懸命にもがいているからで、老年の孤独とは質が異なります。

その「若い孤独」を飾らず、ネガティブな形容詞でくるむこともなく、まっすぐに素直に短歌につむぐカンさん。どうしたって応援したくなってしまうのです。一冊の歌集を読むことで、短歌に投影された歌人の人格を肌で感じることができます。散文と違って韻文は「嘘をつけない」ぶん、まざまざと作者の人間性がにじみるような気がするのです。作者の人格を想像し、好感を持つことが、歌集を読むときの喜びの一つなんだ、と教えてくれた一冊が「まだまだです」でした。

「ネット上で炎上している『カンハンナ』に両国思う私はいない」

「母国から非難を浴びて辛いよねと日本の友が先に泣き出す」

「そよそよと風が吹くようソウルでもサルランサルラン風は吹くだろう」

こうして「まだまだです」を手にとったことをきっかけに、私は異なる歌人の歌集を訪ね歩く、歌集読書を始めていくことになるのです。(続く)

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