見出し画像

クリスの物語(改)Ⅱ 第八話 魔法の呪文

 下のフロアは、床も壁も天井も全部白い大理石でできていた。電気は見当たらないが、部屋はとても明るい。部屋には宙に浮かぶテーブルと椅子が中央に置かれているだけで、他には何もなかった。上階に比べると、部屋の広さもだいぶ小さい。

『部屋を決めるんだよね?』と、クレアが確認した。
『ええ。どこか希望があるかしら?』
 エランドラが聞き返すと『わたし真ん中の部屋にする』と言って、クレアが手を差し出した。
『分かったわ』と、エランドラはクレアにテステクを一本手渡した。それからクリスと紗奈に向かって『あなたたちは?』と、聞いた。

『えっと、どういうことだろう?部屋ってどこにあるの?』
 見たところ、部屋なんてどこにもなかった。さらに下へ下りていくということだろうか?
『なに言ってるの?ここも、ここも、あそこにもマウルがあるでしょう?』
 なんで分からないの?とでも言うように眉間に皺を寄せて、クレアがあちこちの壁をテステクで指し示した。

『マウル?』
『うん』とうなずくと、クレアはふわっと飛んで左手の壁の前に移動した。それから、何かをつぶやいてテステクを壁に向けた。すると、突如壁にアーチ型の大きな入り口が現れた。
 よく見ると、その扉の上には何か記号のような文字が表示されていた。同じように壁の上部には等間隔にその文字がある。書かれた文字はどれも微妙に異なっている。

『ほら、分かった?そしたら、このテステクはあの部屋とリンクしちゃったからあげる』
 クレアは戻ってくると、紗奈にそのテステクを手渡した。
『部屋の中の造りはどれも一緒だから、あなたはその部屋でいいでしょう?』
『まぁ、別にどこでもいいけど』
 クレアからテステクを受け取った紗奈は、ぶっきらぼうに返事をした。

 それからクレアはまたエランドラからテステクを受け取ると、今度はそれをクリスに渡した。
『クリスとベベはその隣ね』
 紗奈の部屋の隣を指し示して、クレアが言った。
『真ん中がわたしで、ラマルはわたしの隣でいいでしょ?それで、エランドラは一番端の部屋ね』
 そう指示すると、クレアはエランドラから受け取ったテステクを一本は自分で持ち、一本をラマルに渡した。
『まあ、それでいいでしょう』
 微笑みを浮かべて、エランドラはうなずいた。

『じゃあ、ひとまずそれぞれのテステクをリンクさせよう。クリスたちは荷物も置いてきたら?』
『うん。でも、リンクさせるにはどうしたらいいの?』
『ああ、そっか』
 部屋へ向かおうとしたクレアは立ち止まり、クリスに向かって手を差し出した。
 クリスは持っていたテステクを渡した。受け取ったテステクを頭上に構えると、クレアはぼそぼそっとつぶやいた。それから紗奈の部屋の隣の壁に向かって、テステクをひと振りした。
 するとテステクの先端が青く光って、壁に入り口が現れた。

『これでもうリンクしたよ』と言って、クレアはクリスにテステクを返した。
『ありがとう。あと、これ閉めるときはどうしたらいいの?』
 クリスは受け取ったテステクで開いた入り口を指し示した。
『マウルの閉め方?そんなの簡単だよ。もうそのテステクがリンクしてるんだから。それを使えば閉められるよ』

 そんなこと言われても、クリスにはやり方が分からなかった。
『それって、どうすればいいの?』と聞き返すと、クレアは腕を組んでクリスを見つめた。
『もしかして、部屋の使い方とかもわかんないのかな?』
『うん、たぶん』
『そしたら、ひと通り説明するから入ってきて。あなたも聞いておいたら?』
 自分の部屋の前でクリスたちのやり取りを聞いていた紗奈にも、クレアが声をかけた。紗奈はうなずき駆け寄った。

 部屋は、10帖くらいの広さがあった。右奥には、さらに下へ下りるらせん階段がある。正面の壁は上と同じように一面ガラス張りで、その向こうには湖の世界が広がっていた。
 部屋の中央には宙に浮かんだテーブルと、それを挟んで向かい合うようにソファが2脚宙に浮かんでいる。

『まず、マウルの閉め方だけど』
 部屋に入ると、クレアが説明を始めた。
『そのリンクしたテステクで、マウルに向かって“ヴェヌル”と言ってみて』
『ヴェヌル?』
 クリスは聞き返した。なんだかまるで魔法の呪文みたいだ。クレアがうなずくと、クリスは言われた通り入り口に向かって「ヴェヌル」と声に出して言った。すると、瞬時に壁が現れて“マウル”が閉じられた。

「すごーい。魔法の杖みたい!」
 クリスの隣で紗奈が感嘆の声を上げた。
『マウルが閉じられている状態を“ヴェヌル”といって、マウルが開いている状態を“ヴァノール”っていうの。だから、逆にマウルを開けるときは“ヴァノール”と言えば開くよ』
 クリスは試しにマウルに向かって「ヴァノール」と言ってみた。すると今度は壁が一瞬で消えて、入り口が現れた。クリスは再び「ヴェヌル」と言ってマウルを閉めた。

『テステクに指示を出すときには、特定の言葉“カンターメル”が必要になるから、もし知らないなら必要なカンターメルはまず覚えるようにね。地底世界では親や学校から必ず教わるけど・・・』
 そう言って視線を向けるクレアに、クリスは首を振った。地上ではそんなものを教わることなどない、というように。そんなクリスにクレアはうなずき返した。

『そしたら、このクリスタルの壁。これに向かって“ムルシニオ”と言ってみて』
 今度は、ガラス張りの窓をクレアが指し示した。クリスは言われた通り、「ムルシニオ」と言ってガラスの窓にテステクの先端を向けた。すると、窓は白いただの壁に変わってしまった。

『こうして透けていない状態が“ムルシニオ”。それで、透けている状態が“ムルスペリオ”だよ』
 クレアの説明を聞き、クリスは「ムルスペリオ」と言ってテステクを振った。するとまた、壁一面が窓ガラスに変わった。
「すごーい!なんかクリス、魔法使いになったみたい!他にもあるの?」
 紗奈が興奮気味に言った。

『そうしたら、クリス。まずムルシニオと言って』
 クリスは言われた通り、「ムルシニオ」と言って窓を壁に変えた。
『それから、天井に向かって“ルーメノクトゥルナ”と言ってみて』
『え?何?』と聞き返すと、クレアはゆっくりと発音した。
『ルーメ・ノ・ク・トゥルナ』

「ルーメノクトゥルナ」
 クリスはテステクを天井に向けて、クレアの言ったカンターメルをそのまま繰り返した。すると、部屋の中が真っ暗闇になった。
『うわぁ、びっくりした』
 どこかからベベの声が響いた。

『この闇の状態が“ルーメノクトゥルナ”だよ。それで、明るくするには“ルーメクララウス”ね』
 暗闇の中クレアが言った。クリスは「ルーメクララウス」と唱えてテステクを振った。すると、部屋はまた一瞬で明るくなった。

『まぁ、こんな感じかな』
 腕を組んですまし顔でクレアが言った。
『ねぇ、さっきのって魔法なの?わたしもこれでできるの?』
 手に持ったテステクを掲げて、紗奈が聞いた。
『マホウ?』
『うん』
『マホウって何?』
『え?魔法を知らないの?』
 逆に聞き返されて、紗奈は戸惑うようにクリスを見た。

『魔法といえば・・・魔法使いとか魔術師が呪文を唱えて人をカエルに変身させたり、ホウキに乗って空を飛んだりするやつだよ』
『ああ、わかった。マージアね』
 クリスの説明を聞いて、クレアは人差し指を立てた。クリスの説明で分かったというよりは、クリスのイメージを読んでクレアは理解したようだ。

『マージア・・・魔法ではないかな。テステクがリンクしたことによってクリスタルが呼応し合って、こっちの意図するカンターメルをテステクが変換して表出させるだけだから、魔法とは少し違うかも。
 マージアを使う場合も基本的にはカンターメルが必要になるけど、その場合使えるカンターメルは使い手の能力によるからね。でもこれは部屋とテステクがリンクしていて正しいカンターメルさえ唱えられれば、誰にでもできることだよ』
 クレアはそう言って肩をすくめると、『そしたら、下に行こう』と言って階段へ向かった。クリスはベベを抱き上げ、クレアの後に続いた。

 階段を下りた先には、大きなベッドがひとつ置かれていた。卵形をしたベッドには白い綿のようなものが敷きつめられ、見るからにフカフカだ。そのベッドも脚がなく、宙に浮かんでいた。
 ベベをベッドに降ろすと、べべは『歩きにくい』と言ってベッドの上でもがいた。

 クレアが『貸して』と言って、クリスの手からテステクを取り上げた。それからベッドの向かいの壁に向かって「ムルスペリオ」と言った。
 すると壁が透き通って、その向こうに浴室のような部屋が現れた。そしてその隣には、壁に謎の器具が取り付けられた小部屋が出現した。
『これがラプーモとポルタールだよ』
 浴室のような部屋と、その隣の小部屋をテステクで示してクレアが言った。

『ラプーモ?あとポ・・・何?』と、クリスが聞き返した。
『ラプーモとポルタール。地表世界でいうところの、お風呂とトイレみたいなものだよ。ラプーモは、フォンソワ・・・えっと、地球から湧き出すお湯のことなんだけど・・・』
 言葉が思い付かないのか、クレアが助け船を求めた。
『温泉のこと?』
 紗奈が答えると、すっきりしたようにクレアはうなずいた。

『そうそう。オンセン。それを溜めて入浴するの。ポルタールは、排泄される便の掃き出し口のこと。地表世界って、たしか排泄物をお尻から出して水で流すんだよね?前に図書館で見たことあるけど』
『こっちは違うの?』
 クリスが聞き返すと、クレアは『ちょっと来て』と頭で合図した。

 それからテステクでポルタールの扉を開けると、中に入るようクリスに指示した。指示されるまま、クリスはポルタールの中に入った。ポルタールの中は、一般的な個室トイレと同じくらいの広さだった。
『向こう側を向いたままちょっと待ってて』

 ホルンのような器具を正面にクリスが気をつけの姿勢をすると、クレアが「ポルタディエーロ」と唱えた。
 すると、その器具がゆっくりと音もなく下に下がってきた。そしてホルンでいうベルの部分がクリスの下腹部あたりまで下りてくると、下降が止まった。
『そのまま、じっとしててね』
 言われた通り、クリスは気をつけの姿勢で待機した。すると間もなくして、ホルンのベルの部分が青い光を発した。その光がクリスの下腹部を少しの間照射すると、光は消えてホルンはまた音もなく元の位置まで上昇した。

 ポルタールから出てきたクリスを、クレアがにやついた顔で見た。
『どうしたの?』
 青い光で何かされたのかと不安になり、クリスは自分のズボンを見た。ところが、特に変わった様子はなかった。クレアは相変わらずにやついている。

『何も感じない?』
『何もって?』
『おなかの具合はどう?』
 そう言われて、クリスはおなかに手を当てた。たしかに、おなかがスッキリしたような気がする。少し我慢していたおしっこも、もうしたくなくなっていた。

『え?何これ。どういうこと?』と、クリスは聞き返した。
『ポルタールはね、溜まった排泄物を粒子に分解して吸い込んで、異空間へ掃き出すゲートみたいなものだよ』
『へーえ』
 仕組みは理解できないが、とにかく“うんち”や“おしっこ”を吸い取ってくれる便利な物だということなのだろう。
『でもこれって、体の上からその・・・排泄物を吸い込むことができるの?』
『うん。体の上からでも、服の上からでも分解できるよ』
『動物もできる?』
『もちろん』
 腕組みをして得意気にクレアはうなずいた。
『それじゃあ、とりあえずベベもやっておこう』
 そう言って、クリスはベベをポルタールに入れて排泄を済ませた。

 それからラプーモの使い方も教えてもらい、バッグの中から着替えを取り出してベッドの奥にあるクローゼットにしまった。

『そういえば、地底世界ってテレビはないの?』
 階段を上がって、クリスが気づいたように質問した。メシオナは広くなんでも揃っているというのに、リビングにも部屋にもテレビが見当たらない。『テレビ?ああ、地表世界で人々が娯楽や情報収集のために観るものね。学校で教わったことある。特定の電気信号で大衆をマインドコントロールするための機械装置だよね』
 クレアは振り返って腕を組んだ。

『そんなのは、もちろんこの地底世界にはないよ。その代わり、図書館へ行けばマルガモルもあるし、娯楽には事欠かないよ』
『何の話?』
 眉をひそめて、紗奈がクリスの顔を見た。クリスが『さあ?』と首を傾げると、『なんで?』とクレアがとがめるように言った。
『マルガモルには、クリスも入ったことあるでしょう?覚えてないの?』
『うん。それは覚えてるよ』
 前世でセテオスの図書館へ行って入ったことがある。他人の人生を見たり、体験したりするための装置だ。

『そうじゃなくて、テレビでマインドコントロールするとかどうとかっていうのが』
『ああ、そう。知らないのね』
 クレアはうなずき、ソファに座った。クリスと紗奈もその向かいのソファに座った。


第九話 メディアによる洗脳

お読みいただき、ありがとうございます! 拙い文章ですが、お楽しみいただけたら幸いです。 これからもどうぞよろしくお願いします!