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クリスの物語Ⅰ 第二十四話 冒険のはじまり

 草原に寝そべっていた。
 起き上がって、背中をまさぐった。
 矢は刺さっていない。白くて小さな自分の手を見て、クリスは自分が“クリス”であることを再確認した。

 それから立ち上がってあたりを見回した。
 どこを見ても、どこまでも続く草原が広がっていた。
 空は虹色に輝き、聞いたこともないような楽器の音色がどこからともなく流れてきている。

 体は軽く、ジャンプをすると何メートルも飛び上がった。
 まるで、トランポリンにでも乗っているみたいで楽しくなり、何度もその場で飛び上がっては宙返りをした。
 しばらくそうしてから、ふと我に返った。

 自分は一体こんなところで何をしてるんだろう?夢でも見ているのだろうか?
 そんなことを考えると、『夢じゃないさ』という声が頭に響いた。

 キョロキョロとあたりを見回すと、クリスの目の前に緑色の髪をした少年が現れた。

「あ。きみは・・・」

『やあ』といって少年は手を上げると、『どうだった?』と聞いた。

「どうだったって、何が?」
『さっき、ファロスの人生を見てきただろう?』
「あ、うん。あれは一体何だったの?ぼくは夢を見ていたの?ものすごく現実的だったけど・・・」
 少年は微笑みを浮かべてうなずいた。

『いや。あれは、きみのもうひとつの人生だよ』
「もうひとつの人生?」
『そう。いわゆる過去世というものさ』

「過去世?前世ってこと?」
『ああ、そうだよ。数千年前のね』
「数千年前?」
 クリスは耳を疑った。

「そんなに前に、ぼくは生きていたことがあるの?」
『いや。もっとずっと以前から君は存在しているよ』
「そうなの?でもなんで、今になってそんなものを見に行くことになったの?そういうのって、みんな見に行くものなの?」
『いや、そんなことはないけどね。きみは今それを見ておく必要があったのさ。きみ自身がそれを思い出す必要があることを知っていたから、きみはそれを見に行ってきたんだよ』

「どういうこと?」
 言葉の意味が、クリスにはよく分からなかった。

『その内分かるさ』
 そう言って、少年は片目を瞑ってウィンクをした。

「でも、ファロスは・・・その、ぼくは、あのときやっぱり死んじゃったの?」
『その人生においてはね』
 少年は、うなずいてそう言った。

「オルゴスやエメルア、それにホズピヌスたちはあの後どうなったの?」
『それについては、きみも知っているはずだよ』

「やっぱり、みんな助からずに死んじゃったんだよね・・・?」
『その人生においてはね』
 少年は、また同じ言葉を繰り返した。

「なんで?あんな人生ってひどいよ。あんな風に殺されちゃうなんて・・・」
 思い出して、クリスは思わず泣き出しそうになった。

『でも、今きみはこうして生きているだろう?』
「そうかもしれないけど、でも、あんなの何も生まれてきた甲斐がないじゃないか」

『そんなことはないさ。その人生があったからこそ、今きみはこうしてその輝きを放っていられるのだからね。
 それに、王やヘラスムスのことをひどいと思っているようだけど、別の人生できみは逆の立場だったこともあるんだよ。
 魂が成長していくっていうのは、そういうことなんだ。そうやって色んな立場の人生を経験して、少しずつ理解を深めていくのさ。
 単に頭で理解するのではなく、魂のレベルで理解するという意味だよ。そうしたい欲求を魂は持っているからね』
 腕を組んで、少年は言った。

 少年の言葉と同じようなことを、クリスはどこかで聞いたことがあった気がした。

「それじゃあ生まれ変わるっていうのは、マルガモルに入って他人の人生を体験するのと同じってこと?」
 クレアがマルガモルの説明をしていたときの話を思い出して、クリスは聞いた。

 少年は微笑み、『そうだよ』と言ってうなずいた。

『魂の究極の目的は、無限の存在、光のエネルギーへと立ち還ることなんだ。そのためには、自我が抱え込む価値判断を捨てて、すべてを赦していくことが必要なんだよ。どんなに醜いと思う物や行動に対しても、愛せるほどにね。
 そしてそのために、魂は転生を繰り返して様々な人生を体験しているんだよ。

 たとえば、きみが誰か他人の行動を理解できないとするだろう?でもその人に成り代わってみれば、なぜそうしてしまうのかが分かるようになる。
 本人はそうしたくないと思っているかもしれない。改善したいとも思っているかもしれない。でもそうしてしまうのさ。

 それは、その当事者になってみなければ決して理解できないことなんだ。そして、それは誰にも責められることじゃない。
 それぞれの魂は、それぞれの段階を歩んでいるわけだからね。どちらが優れているということもない。
 どちらも、無限の存在へと立ち還る途上にあるのさ。

 だから自我の物差しで他人を判断することは、自分の魂の成長を余計に遅らせるだけで、何の意味ももたらさないんだよ』

 少年のその話を聞きながら、クリスはいじめっ子のタケシとヨウヘイのことを思い出していた。
 彼らも同じ進化の途上にいて、だけど理由が分からずに人をいじめるのだろうか?
 そんなこと、決して許されることじゃない。タケシとヨウヘイの顔を思い浮かべてクリスはそんな風に思った。

 すると、突然二人の顔がホズピヌスとスプラトゥルスそれぞれの顔とダブって見えた。
 そして、二人の死に際とその悔しい思いがクリスの胸を抉るように伝わってきた。

 クリスは顔を上げて少年を見た。クリスの目からは涙がポタポタと流れ落ちている。
 そんなクリスを見て、少年は優しい笑顔を浮かべた。

『そうだよ。必ずどこかに理由があるんだ。理由が分かれば、許せるだろう?そして許した瞬間、そのドラマは終わるのさ』

 タケシとヨウヘイが前世でどれだけ悔しい思いをしたことか。
 たとえ誤解とはいえその憎悪、悲しみ、復讐心を知ってクリスは声を上げて泣いた。

 しばらく泣いて気持ちが収まってくると、胸がとても温かくなるのを感じた。
 そして目に映るものすべてがより輝きを放っているように見えた。

 クリスは涙を拭って、笑顔で見つめる少年に微笑み返した。
 そんなクリスを見て、少年は満足そうにうなずいた。

「ところで、ここはいったいどこなの?」
 少年と肩を並べて草原を歩きながら、クリスが尋ねた。

『ここは、きみの魂が属しているもうひとつの世界だよ』
「どういう意味?」

『今きみが見ている現実の世界があるだろう?それとは別に、魂が本来属している世界があるんだよ。それはいくつもの次元に分かれていて、それぞれの魂は、それぞれのレベルに見合った次元に属しているんだ。
 そして成長に伴って、魂はその属する次元を移行していくのさ。だから、きみもそうだし誰もが皆自らの成長を望んで一番最適だと思う環境に身を置いているんだよ。
 そしてその最適な環境が整うというのは、万にひとつの確率なんだ。

 つまり、今物質世界に生まれついた人たちは皆、自分が待ちに待った環境がようやく用意されて、やっとのこと魂の成長を図る機会を得られたということさ。
 だから、どんな人生であっても決して無駄にしてはいけないんだよ。次に同じような環境が整う保証はないのだからね』

「無駄にしてはいけないって、どういう意味?自殺しちゃいけないっていうこと?」

『もちろん、自殺をすることは著しく魂の成長を遅らせることにつながるから、そんなことはすべきではないよ。
 万にひとつの確率で与えられた人生を、棒に振ってしまうわけだからね。後悔の念や罪悪感に苛まれて、当分の間、自分で自分のことを責め続けることになってしまうよ』

 クリスの目を覗き込んで『だから、自殺はしない方がいい』と少年は念を押した。

「でも、自殺をしちゃう人って、やっぱり生きてることがすごくつらいから自殺をしちゃうわけでしょ?死ぬほど辛いのに、それでも生きなきゃいけないの?」

 少年はうなずいた。
『魂が望んでいるからね。その人生で精一杯光り輝くことをね』
「光り輝くって、有名になるっていうこと?」

 少年は笑って首を振った。

『光り輝くというのは、別にステージの上に立つとか、有名になるとか、そういう意味じゃないよ。
 人はそれぞれ、持って生まれた役割というものがあるんだ。その本来の役割を生きることによって、魂は光り輝いていられるのさ。

 魂はもちろん、本来の役割を知っているからね。だから自分が本来の役割を生きているかどうか、感情がしっかり教えてくれているのさ。

 人生を無駄にしない、というのはつまりはそういうことだよ。魂が本来望んでいない生き方、本来の役割ではない人生を歩むのではなく、感情に常に耳を傾けて愛や喜びを選択することで魂は輝きを取り戻せるんだよ。

 自殺をしてしまう人というのは、そのときの辛い状況や悲しい状況だけに目がいってしまい、将来にも生きる展望を見出せずに生きていても仕方がないと思い込んでしまう。
 人は誰でも、そう思うときがあるものなのだけどね。でもそこで実際に自殺してしまう人っていうのは、魔が差してしまうのさ。死ねば救われるよ、と差し伸べる悪魔の手を取ってしまうんだ。
 同時に差し伸べられている天使の手には気づかずにね』

 理解できているか確認するようにクリスの目を見つめると、『これだけは覚えておいてほしいんだけど』と少年は続けた。

『悪魔にそそのかされて、命を絶ったところで決して救われることはないんだよ。どんなに辛い状況に直面して、これ以上生き続けることが困難だと思えても、それは乗り越えなくてはいけないんだ。
 魂が成長するために、その状況に直面することを自分自身で選択しているわけだからね。

 たとえ命を絶ったところで、何度も転生を繰り返して乗り越えられるまで同じ状況に直面することになるんだ。それには何千年も、時には何万年もかかる場合があるんだよ。

 だったら、せっかく今その状況にあるのだから今乗り越えておいた方がいいだろう?それに、それは必ず乗り越える準備ができているから、与えられた問題なのだからね』

 その話を聞いて、クリスは突然べべを失った悲壮感に襲われた。
 ベベがいなければ、現実世界に戻っても楽しいことなんて何ひとつない。
 心を許し合える友達もいないし、自分がいなくなっても困る人なんていない。
 この先、生きる意味なんて見出せそうにない。

 クリスがひとりそんなことを考えていると、名前を呼ばれた気がした。
 振り返ると、尻尾を振ってクリスを見上げるベベの姿があった。

「ベべ!」

 クリスは駆け寄って、ベベを抱き上げた。

「ベベ!生きてたの?」
 そう言ってクリスが両手でベベを抱え上げると『ううん、違うよ』という声がした。

『ぼくは死んじゃったよ』

「え?べべ?」
 クリスはべべの顔をじっと見つめた。

「ベベが喋ったの?」

『そうだよ』

「ベベ、喋れるようになったの?」
『前からぼくは喋っているよ』
「そうなの?」

 クリスはそっとベベを下に降ろした。

『うん。この世界では、ぼくが話す言葉がきみにも通じているというだけのことだよ』
「そうなんだ・・・。待って。ベベは死んじゃったけど、こうして目の前にいるっていうことは、ここはもしかしてあの世っていうこと?」

 辺りを見回すと、いつの間にか緑色の髪の少年はいなくなっていた。

『うん。あの世っていうか、もうひとつの世界だよ』
「ってことは、ぼくも死んじゃったってこと?」

『ううん。クリスは死んでないよ』
「そうなの?」

『うん。今クリスの意識がこの世界とリンクしているから、こうして意識を持ったままぼくとここで話ができているんだよ』
「そうなんだ・・・。でも、ベベがこっちにいるなら、ぼくもこのままこっちにいたいな」

『そんなわけにはいかないよ。クリスには、向こうでまだやることが残っているんだ。きみと、そして地球のためにね。それに、ぼくもすぐにまたクリスのところに戻るから』

「本当?」

『うん。もう決まっているんだ。もちろん肉体は死んじゃったから、別の肉体に生まれ変わるわけだけど』
「そっか。良かった!」

 クリスは目を輝かせて、その場に飛び上がった。

『うん。だからそろそろ現実世界に戻ろう。これからまた冒険が待っているよ』

 すると、クリスの周りを白い光のもやが包み込んだ。

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 10月も下旬になると、朝はやっぱり寒い。
 紗奈は白いロングTシャツの上に淡いラベンダー色のカーディガンを羽織った。

 肩にショルダーバッグをかけ、姿見の前でポーズを決める。でもなんだかしっくりこない。
 ピアスだろうか?両耳につけたチワワのピアスを左右それぞれ確認した。
 そこでインターフォンが鳴った。

「紗奈―!クリス君よー!」

 母親に呼ばれ、紗奈は鏡に映る自分に向かってため息をついた。
 まぁ、いいか。

「紗奈―!」
「分かってるってば!今行くから!」

 机の上のスマホを拾い上げると、勢いよくドアを閉めてドタドタと階段を下りた。
 玄関にはクリスが笑顔で立っていた。

「ごめん、お待たせ」

 クリスは笑顔のまま首を振った。

 紗奈がブーツを履くのを待って、クリスが玄関のドアを開けた。
 紗奈の母親は、車に乗るクリスの母親と立ち話をしている。

 クリスと紗奈は車の後部座席に乗った。
 それから、見送る紗奈の母親に手を振った。

「やっとこの日が来たね」

 紗奈の言葉に「うん」と、クリスは嬉しそうにうなずいた。
 その日は、クリスにとって待ちに待った日だった。

「名前はやっぱり・・・」紗奈がそう言いかけたところでクリスが遮った。

「もちろん、べべだよ」
 輝く笑顔を見せて、クリスが言った。

 それから三人を乗せた車は、新たな家族を迎えるためにクリスの親戚の家へと向かった。

──────第一章 過去世の記憶 完──────

お読みいただき、ありがとうございます! 拙い文章ですが、お楽しみいただけたら幸いです。 これからもどうぞよろしくお願いします!