クリスの物語(改)Ⅳ 第52話 苛立ち
男の存在が頭から離れず、アメリアはその日仕事が一切手につかなかった。
ぼーっと窓の外を眺めては、自分へ向けられた誠実で優しそうな男の眼差しを思い出した。
とっさにオーラムルスで確認していたから、男の名前は分かっている。服装からしても、地表からやってきたばかりなのだろう。
きっと、次元の狭間に迷い込んでここへ辿り着いたのだ。それを監視局のイビージャが見つけた。
監視局へ連れてきたとなると、イビージャが気に入ってまた自分の家に滞在させるつもりなのだろう。
イビージャが複数の男性と関係を持つことについては、わたしが口出しすることでもないし特に何とも思わない。
でも、彼に関してだけは違った。なんというか、イビージャとそういう関係になってほしくなかった。
だって、彼の気持ちはわたしへと向けられていたのだ。
男性に対して、こんな感情を持つことは初めてだった。でもきっと、あれだけオープンに感情を表現されたから、わたしも戸惑っているだけなのだろう。
忘れよう。わたしには、闇の勢力を地球から追放するという野心がある。そして、それがわたしの今世における使命なのだ。
仕事に専念しよう。
イビージャは、ルキウスを自分の思い通りにさせることに手を焼いていた。
これまでは、自分の家に滞在させてこちらがその気を見せさえすれば、どんな男もすぐに物になった。でも、ルキウスは違った。一向に自分に興味を示さなかった。
一緒にいる間は街を案内したり、食事や身の回りの世話をしたりした。しかし、それでもダメだった。
寝ている隙にベッドに潜り込んでも、すぐに起き出して部屋を出ていってしまう。
逆に世話を焼きすぎなのかと思いしばらく放っておくと、ルキウスは自由になったとばかりにひとりでどこへでも出かけてしまった。
そんなルキウスに、イビージャは苛立った。
なぜそんなに自分に興味を持たれないのか。
理由は明白だった。アメリアだ。
ルキウスの中は、アメリアでいっぱいだった。
事あるごとに、ルキウスはアメリアのことを聞いてきた。名前や生い立ち、趣味から好みに至るまで、なんでも知りたがった。
最初の頃は、イビージャも聞かれるまま何でも答えた。いずれは、自分に振り向くと思っていたからだ。
しかし、そんな様子がまったく見られそうにないと悟ってからは、アメリアのことを聞かれることにイビージャは辟易した。
次第にイビージャは、アメリアのことを悪く伝えるようになった。性格も悪く男遊びも盛んで、平気で嘘をつくし平気で人を裏切る悪女だ、と。
しかし、そんな風に言ってもルキウスは耳を貸さなかった。彼女はそんな人じゃない、目を見ればわかると言い張った。
なぜいつも一緒にいて世話をしてあげる自分ではなく、ひと目見ただけの女のことをそんなに思うのか。
イビージャは悔しくて仕方がなかった。自分がアメリアより劣っているなんて、認めたくなかった。わたしの方が、すべてにおいて優れているはずだ。
『実は、彼女には夫も子供もいるの』
気づくと、イビージャはそんなことを口走っていた。
『今まで黙っていてごめんなさい。でも、それを伝えてしまったらあなたは地表へ戻るといって、わたしのそばから離れていってしまうんじゃないかと思って、怖くて言えなかったの。
あなたが彼女のことを好きだということは知っていたわ。でも、一緒にいられるならそれでもいいと思ったの』
ルキウスはうつむいていた。下唇を噛んで、何かを言いたそうだった。
自分で確かめるとでも言い出しそうだ。そこで、イビージャはさらなる嘘をついた。
『それに、これは本当は口外できない内容なのだけど、彼女、実は闇の勢力の人間かもしれないの。それで、ここへはスパイとしてやって来ているのかもしれないのよ』
あり得ない、というようにルキウスは首を振った。
『だって、君は子供の頃から彼女と一緒だったんだろう?』
『そうだけど、その・・・いつからかすり替わったようなのよ。だから、今彼女には中央部の監視が付いているの。そんな人に外部のあなたを近づけたとあったら、わたしも中央部から追放されてしまうわ。だから、お願い。彼女のことはもう忘れて』
イビージャは必死だった。そして、必死にそんな嘘をつく自分がみじめで仕方なかった。
それもこれも、全部アメリアのせいだ。
しばらく黙り込んでいたルキウスだったが、最終的には納得してくれた。
しかし、それ以後ルキウスはあまり口をきいてくれなくなった。地表世界へ戻ると言い出すかと思ったが、それもなかった。
地底世界で仕事を探しているようだった。わたしが仕事を世話するとイビージャが申し出ても、自分で探すと言って断った。
お読みいただき、ありがとうございます! 拙い文章ですが、お楽しみいただけたら幸いです。 これからもどうぞよろしくお願いします!