クリスの物語(改)Ⅱ 第二話 お城へ散歩
ガレージに停められた子供用のマウンテンバイクの脇に、紗奈は自転車を停めた。
それからクリスの後について玄関へ続く階段を上がった。すると、家の中から子犬の鳴き声がしてきた。
その鳴き声を聞いて、紗奈の顔がぱっと明るくなった。
「ベベ?誰か来たってもう分かるの?」
「うん。たぶん紗奈ちゃんが自転車を停める音が聞こえたんだと思う」
クリスが玄関のドアを開けると、ワンワン吠えながら勢いよく子犬が飛び出してきた。短い尻尾を振り、前足を広げた子犬がクリスの足に飛びかかった。
それから紗奈の存在に気づくと、今度は紗奈に飛びかかった。
「ベベ、久しぶり!大きくなったね」
しゃがんで手を広げた紗奈の膝に飛び乗ると、ベベは顔をぺろぺろと舐めた。
「あら、紗奈ちゃんいらっしゃい」
玄関の外でふたりベベと戯れていると、クリスの母親が出迎えた。
「ただいま」とクリスが言い、「こんにちは」と紗奈が頭を下げた。
「二人とも卒業おめでとう!」と言って、母親は手を叩く仕草をした。
「卒業式で見ていたけど、やっぱり紗奈ちゃんが一番かわいかったわよ。どうぞ、あがって」
そう言った母親に紗奈は笑顔で応じると、「おじゃまします」と言ってベベを抱えたまま家に上がった。
玄関を上がった途端暴れ出したベベに耐えかねて、紗奈はベベを床に降ろした。
「ちょっと、ランドセル置いてくるね」
クリスがそう言って部屋へ向かおうとすると、「わたしも行く」と紗奈が言った。
それでクリスは、今日紗奈が来た目的を思い出した。
「あ、そうか」と言った後に(行き先を決めないとね)と、クリスは小声で言った。紗奈はうなずき、クリスの後に続いた。すると母親に呼び止められた。
「紗奈ちゃん、今日おばさんすごくおいしいケーキ買ってきたのよ。ル・シャンテの。一緒に食べましょう」
母親が胸の前で両手を合わせると、紗奈は「本当?」といって目を輝かせた。
「わたしもあそこのケーキ大好きなんです。うれしい」
「よかった!じゃあ、ソファに座って待っていて。いま紅茶もいれてくるから」
母親はそう言うと、嬉しそうにキッチンへ向かった。それから紗奈は、クリスに向かって肩をすくめた。
どうやら、母親を気遣っての演技だったようだ。それにしても、ケーキと聞いたときの目の輝かせようは演技とは思えないほどリアルだった。
紗奈ちゃんは女優にでもなったほうがいいかもしれないと、階段を上がりながらクリスは思った。
クリスがランドセルを置いて下へ降りてくると、ベベがものすごい勢いで吠えた。
「どうしたの?」と、紗奈が聞いた。
「うん。散歩に連れて行けって言ってるんだ」
部屋にランドセルを置いて戻ってくることが、いつの間にか散歩に連れて行く合図になってしまっていた。
「すごい吠えてるね。先に連れて行ってあげたら?」
「うん・・・」
母親はキッチンで鼻歌を歌いながらカップを並べていた。テーブルの上にはすでにケーキが用意されている。
「ねぇ、おかあさん。ちょっとベベを先に散歩に連れて行ってもいいかな?すぐ帰ってくるから」
「あら、そう?」と言って、母親はクリスの方ををちらっと見た。
「いいわよ。いってらっしゃい。ちゃんとあなたの分も残しておくから」
「うん。じゃあ行ってくるね。紗奈ちゃん、ごめん。すぐ戻って来るから」
クリスが両手を合わせると、紗奈が立ち上がって「えーわたしも行きたい」と言った。
「あ、えーと・・・」クリスは構わなかったが、母親が何と言うか分からない。すると、紗奈が母親に向かって声をかけた。
「おばさん、わたしもベベのお散歩に行きたいのだけど、行ってもいいでしょう?」
「あら、そう?」と、母親は少し残念そうな顔をした。
「まぁ、でもせっかくだものね。いいわよ、いってらっしゃい。帰ってきたらお茶にしましょう」
「はーい」と、紗奈は元気よく返事をした。
通りに出ると、ベベはものすごい勢いで駆け出した。クリスと紗奈も走って後を追いかけた。
ベベは丘の上の“お城”へ向かって勢いよく走っていった。
「ベベって本当に元気ね」
立ち止まって草むらの匂いを嗅ぐベベを見て、紗奈が言った。
「うん。なんか疲れを知らないって感じだよ」
「でもベベって、本当に“ベベ”の生まれ変わりなんだろうね。仕草とか、元気だった頃の“ベベ”にそっくりだもん」
「うん」
クリスの愛犬“ベベ”はクリスが生まれる前から飼っていた犬だが、半年前に死んでしまった。
ところがその死んだ日に夢に現れて、生まれ変わってまたクリスの元にやって来ると約束したという。
「“ベベ”は死んじゃったけど、生まれ変わった」と、興奮気味に電話してきたクリスのことを紗奈は思い出した。
それからクリスに誘われて、クリスの親戚の家までこの二代目のベベを一緒に迎えに行ったのだった。
そんな思い出にふける紗奈のことを、草むらの中からベベが見上げた。いまいち目標が定まらないのか、納得のいかない表情をしている。それから、仕方なさそうに草むらの中で片足を上げておしっこをすると、またお城に向かって駆け出した。
お城に到着し、クリスたちはいつものようにお城のへりに腰かけた。壁の高さは4mほどあり、丘の上にそびえるこのお城の天辺からは、街が一望に見渡すことができる。
「やっぱり、いつ来てもすっごくいい眺め」
ベベの隣に腰かけると、紗奈が言った。
クリスはうなずき、隣で前足を立てて座るベベを撫でた。するとベベは立てていた前足を投げ出して、その場に横になった。
それからふたり(プラス一匹)は、互いに無言で目の前に広がる景色を眺めた。
しばらくそうしていると、クリスはふと自分の秘密を打ち明けたいという衝動にかられた。
なぜそう思ったのかは分からない。自分の心の内にしまっておくつもりだったのに・・・。
「あのさ」
クリスに話しかけられると、紗奈は「ん?」と耳をそばだてた。
「実はね、ベベが死んだ日にある夢を見たんだ」
頬に垂れた髪を耳にかけ、紗奈は振り向いた。
「知ってるよ。それでベベが生まれ変わってまた会いに来るって言ったんでしょう?」
「あ、ううん。それはそうなんだけど、その前に長い夢を見たんだ」
それからクリスがその夢の内容を話そうとした。ところが、突然ベベがその場に立ち上がって吠え出した。
何事だろうか。クリスと紗奈は、二人同時に前方を振り向いた。すると、巨大な鳥がクリスたちの方へ向かってやってくるのが見えた。
いや、あれは鳥なんかじゃない──────
クリスは目を疑った。
「え、何あれ?」
怯えるように、紗奈がクリスの腕を掴んだ。
近づいてくるにつれて、クリスはその正体に確信を持った。
馬のように長い頭部に2本の角を生やし、ワニのように長い尻尾を揺らしながら、ジェット機みたいに大きな翼を広げて悠然と空を飛んでいる。
あれはまさしく──────
「ドラゴンだ」
お読みいただき、ありがとうございます! 拙い文章ですが、お楽しみいただけたら幸いです。 これからもどうぞよろしくお願いします!