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働くことを振り返る その⑤ 医療系企業でのこと(前編)

まえがき

ファミレスでのアルバイトで初めて社会を見た、店長の長時間労働や過大な責任に社会を疑問視。そして新卒でSEをとして社会に出るも、初めての配属先での大炎上プロジェクトから長時間労働や、先行きを不安視し、半年で退職。そして2ヶ月の転職活動を経て、飲食関連企業へ入社。しかし、入社前のバックオフィス業務を担ってほしいという言葉とは裏腹に、入社してみると、各現場のフォローがメイン業務となっる。2社目ということもあり、転職活動をしながら、仕事をする。そして総合病院に転職。同世代と仕事をする環境で人間関係は良かったが、当直36時間勤務などを経験。そんな中体調を崩し、一度退職し、パートとして復帰。1年後にはプロジェクトへ参画するなどし、契約社員へ登用。そんな中、他社より声がかかり転職を決める。
その① ファミレスでのアルバイト
その② 新卒でSEとして入社したIT企業
その③ 飲食関連企業でのミスマッチ
その④ 総合病院勤務時代

すべて理解してくれての転職

転職を決めた際、以前現在契約社員という身分であること、ゆくゆくはやはり社員に戻りたいと考えている。しかしクローン病という持病があり、通院しながら仕事をしている。そんな事をすべて打ち明けていました。おそらく、社会は厳しいもので、そんな人を受け入れる企業はなかなかないだろうし、嫌悪感を示されると思っていました。しかし、違いました。病気の事を打ち明けた際に返ってきた言葉は「私だっていつがんになって、通院が必要になるか分からない」と言われたのです。病気になった人、なっていない人と明確な線引はありますが、誰にだって病気になるリスクはあり、それと向き合いながら生きているのだと思います。その一言に安堵し、入社を決めたのでした。

システム関連業務に裁量を持って仕事ができた

入社してみると、とにかく全てがアナログ文化で、属人化している組織だなと感じました。○○さんに聞けばわかると、よくまじめな会議などでも固有名詞が出てきていて、自分にはなんとなく違和感がありましたが、それだけ人に任せているのなかなぁと20代後半の自分には、その程度にしか思えませんでした。そして企業向け健康診断サービスを提供する企業でしたので、2008年に特定健診が企業に義務化されたことをきっかけに、会社としても対応していかなければなりません。この特定健診、XMLデータという特殊は形式で健診結果を報告する義務があり、そのため新たなシステム導入が必要と考えたようです。システムに長けた人はおらず、入社してすぐベンダーさんとシステム導入に勤しみます。企業としての必要性はみんな理解してくれていたので、協力を求めれば、みな分からないなりにも受け入れてくれていました。1年程システム導入に専念し、その後使い方の指導や教育まで行いました。

管理部門へ移る

1年経ち、システム導入も落ち着いた頃、管理部門へ移ります。理由としては、プライバシーマークを取得したいという会社の意向があったからです。取得するためには、システム面のセキュリティ等知識がないと難しいと判断したようで、なんの知識もないまま、研修に参加したりして、規程類の整備から内部監査、そして認証機関の審査までほぼ一人で行っていました。これに関しても、ほぼ任されていたので、自分の裁量で仕事をすることができ、とてもやりがいを感じていた頃でした。また、継続してシステム面のサポートや、ベンダーとのやりとりも行い、実質2つの部署にこの頃から関わっていました。

バックオフィス業務へ

プライバシーマークを取得した後は、そのまま管理部門に在籍し、バックオフィス業務を行います。経験も知識もなかったので、何をしているのか分からなかったのですが、前述した通り、結構属人化していたので、言い方を変えればその人任せ。部内にはパートの方も多く、その方々に依存している組織はどうなんだと思い始めたのはこの頃です。その方が休めば、その仕事が止まってしまう、そんな事も日常茶飯事でしたが、「しょうがないね」というような雰囲気で、特に問題になることもありませんでした。しかし、自分自身が業務を知っていく上で、人によって言うことや、やり方がバラバラであったり、今誰が何をしているのか見えず、とても苦労していました。

保守的な社長のものと進まない改革

属人化は一見、その人がいるから問題ないと思いがちですが、人はいつか変わっていきます。その時にきちんとした引き継ぎもできない、マニュアルも整備されていない、これでは次に入ってくる人が大変です。早期離職してしまう要因でもあります。そんな事を問題提起し、上司であった社長へ提言するも、価値観が合わず、抜本的な改革はできずに数年すごしました。定例の会議でも何か問題が提起されたり、新しい事を提案したり、そんなことがされる事もなく、ただの報告会になっていました。
一応ISOの認証も取得していたので、なおさらマニュアルが整備されるとか、業務が見えるかされている事は必要と考えましたが、監査前になると書類だけ取り繕っておく、外部の認証団体も書類審査しかしないので、特に指摘される点もなく、完全に形骸化してたのでした。とは言え、自分の仕事だけは、そのような事にのないように、誰でもわかるようにしたり、システム化できる部分はしたりしていました(VBやマクロを駆使しシステム化していたのでした)。

赤字改ざんで抜本的改革を求められる。

この会社親会社があったので、毎月の収支は親会社に報告します。この収支を社長がうまく黒字に見えるように取り繕っていたようで、それがある時バレてしまいます。当然ですが、親会社から毎月のように借り入れをしているのに、収支が黒字で出てくるわけがないのです。それに数年間気づかなかった親会社側もどうかしてますが、いよいよ何とかしなければいけない状況となるのです。一度社内業務の精査と、基幹システムの導入プロジェクトが立ち上がりますが、散々紆余曲折した後に、資金不足から頓挫します。社員はこの基幹システム導入には否定的な人が多かったです。前述したとおり、アナログ文化、属人化しているわけですから、仕事量もそれで決まり、自分の存在意義もそれで決まっているようなものです。システム化=業務削減、属人化解消ですから、仕事が減る、残業代も減ると、自分にはよくわからない価値観を持っている人が多かったです。一方で、こうしてこの会社は成り立っているのかと確信した頃でした。

リテラシーが低かった

当初のシステムへも継続して関わっていました。例えば設定変更が必要な時や、何か不具合が出た際に対応するような関わり方です。色々な理不尽な要望もありました。その根源は営業です。お客さんから言われることをそのまま鵜呑みにし、社内に持ち帰りシステム部門にやらせる・・・という流れがあったようです。例えば、結婚した方がいて、紙への印字は新姓にしてほしいが、出力したExcelデータには旧姓にして欲しいなど。マスタには氏名という欄しかないので、そこの登録したものが出てくる他ありません。なので新姓か旧姓かどちらかしか出力できないのです。その依頼を受けた時、「どちらかしか難しい」と半分できないという返答をしたのですが、その後担当者レベルで新姓で登録→紙に印字→旧姓に登録し直す→データを出す、みたいな事をしたようで、何も知らない営業側はできるものなのだと勘違いするわけです。そして他のお客さんでも…となります。その場ではそれで対処できるわけですが、誰がこれを管理するのでしょう。もし「もう一回再発行して~」と言われたら、誰がこの変更の流れを覚えているのでしょう…。
とても違う世界に来たようで、唖然としたのを覚えています。他にもこういったその場凌ぎのような事が横行していました。

社長交代

そんな世界でしたが、システムでできない事をマクロやVBを駆使して、なんとか管理できる形で対応できるようにしていったのです(本当はこんなことすべきではない)。それが楽しかった面もあります。そうして数年が経った頃、現社長が親会社へ戻り、新しい社長がやってくることに。現社長では黒字化できないとの判断で、親会社で業務改革などをしていた新社長がやってくることになったようです。そしてこの社長との出会いが自分の人生や価値観を大きく変えるのでした。(続く)

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