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働くことを振り返る その② 新卒SE時代

まえがき

高校時代は情報処理科、大学では経営学科に所属し、プログラミングや簿記などを専門的に学ぶ。そして迎えた就職活動。
その①アルバイト時代のお話
https://note.com/daichi_worklife/n/na9a0c676d736

就職活動を迎えた時期

自分が新卒で就職したのは2005年。就職活動をしてその頃は就職氷河期でした。ひとり1社内定が貰えれば良い方。内定がもらえたのは大学4年のゴールデンウィーク頃でした。というご時世。やりたいことを目指す、というよりやってきたことを社会に出てどう生かすか、という視点で方向性を定めていました。よってプログラミングスキルを生かし、SEとしてIT業界を主に目指します。アルバイトで店の在庫管理や物流に興味があったので、当初はそちら方面を考えますが、求人自体が少なく、しばらくして業務システム開発の方へ流れていきます。そして渋谷にある(今はもうない)30名規模の企業に内定を頂くことができました。ここでまだ就職活動を続けるか考えましたが、これ以上続けても見込みが感じられなかったので、この企業にお世話になることに。

一応飲食業界も考えた

その①で書いたようにファミレスでアルバイトをしていたため、飲食業界にも興味はありました。一応滑り止め程度の感覚で某牛丼チェーンを受けます。やはりアルバイト5年の経験がとても評価され、こちらからも内定をいただきました。たしか店舗勤務ではなく、一定期間店舗勤務はあるものの本社勤務でした。しかし、面接を通して面接官の服装がちょっと昭和っぽい事や、服装・身だしなみにこだわりがない=仕事ばかりでそこまで気が回ってないのでは、という印象を受け、辞退しました。

入社までのサポート体制

内定受諾した後、メンターのような先輩社員が入社まで付き添い、社会人になることへの不安や、課題の提出など様々面倒を見てくれる仕組みがありました。プログラミングの経験があったので、そこまでスキル面で不安視されてはおらず、あまり連絡を取り合うようなこともありませんでした。
しかし、IT業界は残業が多く、プロジェクト単位で勤務地を転々とするということは入社前から分かっていて、それに耐えられるか不安はありましたが、他に内定もなかったので不安のまま入社を迎えます。

研修期間

入社して数ヶ月は研修期間でした。社会人としての最低限のマナーから始まり、初歩的なプログラミングまで。ここで自分は一番の過ちを犯してしまいます。それはプログラミングができるが故に、頑張りすぎたことです。学生時代はCOBOLという言語を扱っていましたが、研修で扱ったのもCOBOL。研修でやることは大体把握していて、質問にも課題にもスラスラ答えてしまったのです。そして「こいつはできる!」と思われてしまったのか、この後に続く大炎上の配属先につながるのでした。

配属されたプロジェクト

研修期間を終えて、無事プロジェクト現場へ配属となります。配属されたプロジェクトは当時大手銀行の統合があり、そのシステム統合のプロジェクトでした。◯FJ銀行と東京◯菱銀行の統合です。この現場での開発はJavaをメインとしていて、開発に携わった事がある方ならお分かりになると思いますが、COBOLはウォーターフォールモデルですが、Javaはオブジェクト指向というスタイルを取っていて、言語の考え方が違います。しかも現場は大炎上していて、早朝から深夜まで稼働しているような現場。付き添って教えてくれる先輩もおらず、自分でやりながら習得していくしかない現場でした。
新卒一発目の仕事にしては重すぎて、メンタルはどんどん疲弊していきます。朝は始発で行き、良ければ終電で帰る、泊まり込みも当たり前。食事もデスクで仕事しながら取っていたり、午後に机にうつ伏せになって寝ている人がいたり。この現場に3ヶ月いて、とうとう白旗を上げたのです。
小さな企業で、孫請くらいの仕事の受注だったので、開発に関する旗振りをするのは難しく、元請けの従うしかなく、よく仕様変更が起きていました。
結局、プロジェクトの進捗に関しては、マネージメントに尽きます。これはシステム開発だけでなく、どの仕事にも言えるでしょう。マネジメントが行き届いている職場は長時間労働になることも、メンタル不調を訴えることもありません。一方でマネジメント層が目先の仕事に手一杯になっていたりすると、メンバー層に目が行き届かなくなったり、仕事の先行きを見通すことが疎かになるのでしょう。

社長に直訴し社内開発へ

研修でとても積極的だった姿勢が、誤った方向へ向かったのか、こいつは頑張れると思われ、激務のプロジェクトに配属されるも、明らかに新卒が熟せる業務ではなかったのですが、社長と面談の機会を持ちます。そして「ちょっと配属先を誤った」と社長は口にし、社内開発のプロジェクトへ一時的に配置転換になりました。しかし、今後のプロジェクトへの配属や、IT業界を考えると、ここでは無理だなと感じ、8月末に退職を決めるのでした。

心を打ち明ける相手や場がなかった

配属された先には先輩が2名いましたが、仕事で手一杯。困りごとも心配も聞いてくれる人はいませんでした。そのモヤモヤの蓄積が最終的には大きなものになってしまったように感じます。やはり不安は都度打ち明け、解消していける先があると、大変な環境でも身の振り方を考えることもできたでしょう。

半分以上退職した同期

同期として入社した7名のうち、私を皮切りに5名がその後退職したそうです。辞めずに残ったのは、プログラミング経験もなく、社内開発プロジェクトに長く携わっていた女性、それともうひとりです。また私が辞める時に社長に「失業手当」をもらえば大丈夫だから・・・と言われましたが、退職後ハローワークに行くと、受給資格はなく手当を受給することはできませんでした。今であれば知識があるので、最低1年働かない限り資格が得られないのはわかります。でも、当時は何の知識もなく、言われることが正しいと鵜呑みにするしかありませんでした。
そういった経験から、労働者には知識が不足していて、言いように言いくるめられてしまうのかなと感じています。
頑張って激務のプロジェクトに配属し、早期退職した人、一方で仕事のできない人が落ち着いたプロジェクトで長期間勤続する。社会は後者を評価しがちです。頑張った人がその後の苦労するのはおかしな社会だなと感じました。

退職後

退職後2ヶ月間は、転職活動に費やします。焦りと不安、方向性も見えないままハローワークに通う日々。そして決まった2社目。ここから先は第3回で。

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