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働くことを振り返る その① 初めて社会に出た時

ファミレスでのアルバイト

自分が初めて社会に出たのは、高校の部活を引退したあと始めたファミレスでのアルバイトでした。なぜファミレスを選んだのかは、あんまり覚えていませんが、通学路から少し離れたお店にアルバイト募集の掲示がされていたのを見たという単純な動機だったように思います。結局大学を卒業し、社会人になるまで約5年間続けた訳ですが、この経験は社会を知る良いきっかけになりました。

落ちたコンビニ

実はファミレスの前に少しだけやっていたアルバイトがあります。それはコンビニでした。もうひとり同世代の人と一緒に入り、研修期間を経て、どちらか一人だけ正式に採用するというもの。当時は大きな声で「いらっしゃいませ~」と言うのが苦手。一方でもうひとりの方は全然苦ではないよう。もちろん研修期間後に採用されたのは、自分ではありませんでした。

ファミレスでの働き方

最初は学校が終わってからの17時、18時くらいから21時、22時までの時間帯で働いていました。大学での定期代、教科書代とお小遣いは自分で稼ぐという家庭のルールがあったのですが月8万円くらい稼げればよかったのです。
しかし、飲食業界は慢性的な人手不足。徐々に勤務時間が長くなり。土日は朝から晩まで働いているような状態へ変化していきました。アルバイトという身分だったので、タイムカードを改ざんするような事はなく、働けば働いた分だけ収入を得ていました。その代償に友達と遊ぶことや、本当は教職課程を履修したかったのですが、片道2時間の通学時間にアルバイトで断念せざるを得ませんでした。

店長や社員の働き方を見て・・・

今はどうか分かりませんが、当時は各店舗に店長が一人とアルバイトという人員構成でした。店長基本的に12時から21時という勤務時間でしたが、人手不足ということもあり、オープン前からいたり、深夜も店長自身が入るという事も多々ありました。これが社員か、と社会の厳しさを感じると共に、働く事って楽しいのかな?店長は何を生きがいにしているのだろうと感じたことを今でも覚えています。人件費削減という上部からの圧力もあったのでしょう。店長自身がシフトに入り、労働時間を申告しなければ数値上は削減できるわけです。こんな事が横行していました。ご飯もいつもファミレスのメニューで、時間があれば駐車場に停めた車で仮眠。仕事以外この人達に認められないのだろうか・・・

いつ上がれるか分からない繁忙期

土日となると店は戦場と化します。アイドルタイムと言われる14時から17時くらいに落ち着くこともあれば、ランチタイムの忙しさが、そのまま続くこともあります。夜も同じです。21時になっても、22時になってもお客さんが絶えないこともよくありました。こうなってくるとシフトも何もありません。忙しさが落ち着くまで上がることはできず、朝9時から働き始め、夜の22時までという日もありました。スタッフ全員で忙しさを切り抜けるという雰囲気や一体感は好きだったのですが、このような働き方を一生するのは無理だなと痛感します。また経験によって任されるポジションが変わってきますが、経験のある人が少なく、変わってもらえる人がいないという現状もありました。

社員にならないかと誘われる

大学3年の頃、突然エリアマネージャーに呼ばれます。時給でも上げてくれるのかと淡い期待をしていましたが、全然違いました。社員にならないかと誘われたのです。一応上場企業で企業規模も大きく安定だとか。店舗の運営や、人のマネジメントみたいなことは好きだったので、一つの店を任されることに興味はありましたが、店長のあの働き方を見ていると、無理ですと即答せざるを得ませんでした。この頃から、長時間労働への嫌悪感、仕事とそれ以外の両立、それができる社会人になりたいと思っていたのかもしれません。しかし、新卒で選んだ会社は・・・(続く)

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