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小さなお祭りの魅力と課題

先週の日曜日、初めて地域のお祭りに家族で参加してきた。この土地に家を建ててすぐにコロナが始まってしまって、しばらく開催されていなかったお祭りが4年ぶりに復活すると聞き、ほとんど知り合いのいない中に飛び込んだ。

そこで感じたのは、小さなお祭りの持つ大きな魅力と、地域になくてはならない役割を担っているということ、そして地域が外に開くための課題でした。

新潟の祭りバカ、浜松へ

地元、黒川大祭の山車

僕は子供の頃から、地元新潟県は胎内市の小さなお祭りが大好きで、当日の朝に熱が出ても点滴を打って無理やり参加するほどの祭りバカだった。

小学校5年生までは2つ隣の町に住んでいたから、いうなれば"ヨソモノ"だったわけだけれど、お囃子の太鼓も笛も、誰よりも上手かった。それはもちろん祭りシーズン以外の時もしょっちゅう吹いて叩いて練習していたからだ。

高校生になって山車の天儀に初めて掴まったときは、本当に感動したのを覚えている。お囃子を吹きながら山車の中からいつも見上げて憧れていた天儀に、僕もようやく掴まることができた。お祭りの2日間、一度も天儀から離れずに過ごすこともあった。

蒸し暑い空気、車輪の鳴く音、杉っ葉の匂い、山車の中から眺める町の景色、そして楽しそうにお酒を飲み交わす大人たちの活気あふれる姿。今でも僕の記憶に強烈に残っている。

山車と踊り子

そんな祭りバカの僕だけれど、浜松に引っ越してきてからは新潟のお祭もなかなか参加できず、浜松地域のお祭りにも参加せずにくすぶっていた。

会社の寮やアパートでの生活だったため、いずれこの地域を離れるのだと思うと、なんだか腰を据えて祭りに参加する気にもなれなかったからだ。

そうこうしているうちに結婚し、娘が生まれ、家を建てた。そう、家を建てたのだ。この地域に。

つまり、ここが娘たちの実家になり、ここが娘たちの地元になる。そして運良く、ここには地域のお祭りがあったのだ。

地域のお祭にヨソモノとして参加する勇気

参加したお祭りの屋台

かつて僕が胎内市のお祭りに参加して肌で感じて理解していたのは、地域の祭典というのは、内輪文化の最たるものだ、ということだった。

小さな頃からお祭りに参加していなければ分からない文化やしきたり、そして言語がたくさんある。

山車、天儀、煽り、踊り子、頭取、上中組、下組。山車の屋根に庇を取り付けて藤の飾りを下げ、桜の枝に花を付け、杉っ葉で仕上げる。

誰も教えてくれない囃子のメロディーは耳で覚え、踊り子は小学生の頃から練習を重ねて踊りを覚える。

地下足袋にパッチ、天儀はサラシをきつく巻き、前掛けを着て法被を羽織る。頭取が振る提灯一つで山車が動き、煽り、そして三連鳴子笛が鳴れば止まるのだ。

地域の外にいる人からすれば、全く理解できない文化がそこにはあるし、逆に地域の中にいれば、誰もがそれを理解していて説明の必要もない。だからこそ地域特有の文化が育ってきたし、そこに伝統や畏怖のようなものまで付随してくるのだ。

そんな極局所的に発展してきた内輪文化の中に、夫婦とも県外出身者の僕らのような家族が飛び込むにはそれなりの勇気と覚悟が必要になる。けれど僕は、そこに飛び込む選択をした。

子供たちの地元

お祭りTシャツを着る娘たち

僕と妻にとっては、言ってしまえば縁もゆかりも無い場所だ。たまたま就職した場所で、偶然出会った土地で、数年前に建てた家。けれどここで生まれ育った子供たちにとっては違う。彼女らにとってここは、紛れもない地元になるのだ。

僕にとって地元というのは、すべてを受け入れてくれる場所だった。大学生としての僕でもなく、社会人としての僕でもない、ただ一人の小さな人としての僕を、何の条件をつけることもなく待っていてくれて受け入れてくれる場所。

小さな頃から顔見知りのご近所さんや、祭りに帰ればよく帰ってきたと喜んでくれる自治会のおじさんたち。山車の中から眺めた風景や懐かしい匂い。そういう地元を持っているということが、少なからず僕の精神的な支えになっていると感じる。

だから僕は、子供たちにもそんな地元を持ってほしいと思う。そのためにはやっぱり、地域の人との関わりや地元の文化に触れながら育つことが大事だと感じる。

そういった関係性が、地域を地元にし、そして地元と人を繋ぎ止めるのだ。顔を見れば「大きくなったね」と嬉しそうに話しかけてくれて、帰ってくれば「おかえり」と言ってくれる。そういう地元を、娘たちにもつくってあげたい。

そして地域に飛び込む絶好のチャンスが、お祭りだ。

お祭りを通して見える地域の構造、関係性

お祭りに参加すれば、地域の人たちの関係性が一目瞭然に分かる。地域をまとめる要になる自治会長や役員の人たち。若者を束ねる元気な兄ちゃん。ママさんたちのつながりや関係性や派閥。そして元気な子供たち。

これらが一度に見える機会は、お祭りを除いてそうそう無いだろう。自己紹介の場としても、子供を紹介する場としても、そしてその後の関係性を保つためにも、最適だと思う。飛び込むのにかなりの勇気を必要とする、という欠点があるけれど。

運良く、僕らの地域はとっても仲が良いように見えた。僕ら家族をあたたかく受け入れてくれたし、いろんな方が話しかけてくれて、面倒を見てくれた。

小さな娘を連れて暑い中一日屋台を引いて歩くのはそれなりに重労働なのだけれど、飲み物の場所を教えてくれたり、トイレを教えてくれたり、熱中症予防の飴をくれたり。右も左も分からない僕らのことを、優しく迎え入れてくれた。

屋台に乗ってご機嫌の2人

そして何より、子供たちが楽しそうに参加してくれたのがとても良かった。みんなとおそろいのお祭りTシャツを嬉しそうに着て、小さな手で屋台の引縄を一生懸命引っ張って、大きなお囃子の音に泣きもせず一日中歩き通した。それもこれも、地域のみなさんが面倒を見てくださったおかげだと思う。ありがとうございました。

文化の継承と、外への開き方

お祭りの終盤、自治会の副会長さんと少し話ができた。彼が言うには、やはりこの地域も人が減ってきているのだという。特に、こういった文化的なイベントに参加してくれる人が減っている。僕らのような新しく地域に越してきた人たちがもっと参加しやすくなるように、情報を発信しなければいけないと言っていた。

僕の地元、胎内市もそうだ。目に見えて人が減ってしまって、いつまで山車を出せるか分からない。外から人を呼ぼうにも、先に説明したような内輪文化的要素が多分にあるものだから、中々人が集まらない。知り合いや友達に声をかけるけれど、やっぱり新しく入ってきた人たちにとっては一層ハードルが高いのだろう。

その人たちをどう引き込むか。どうやって関わってもらい、文化を継承していくのか。今地方が抱えている課題の一つなのだと感じた。このまま文化が衰退して消えてしまうのはなんとも悲しい。

僕を育ててくれた地元、そして娘たちが育っていく地元。ヨソモノの僕らだからこそできることがあるかも知れない。そんなことを感じたお祭りだった。

荘厳な屋台の姿

来年は、フルで参加しようと思う。願わくば、お隣さんも誘って。お祭りは、見るより参加するほうが絶対に楽しいのだ。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン。

そして一度飛び込んでしまえば、あとはどうにでもなるものだ。勝手に話が進んで、勝手に仲間ができて、勝手に楽しくなっていく。そのきっかけをどう作っていくか。僕なりに考えて、娘たちの地元づくりに貢献しようと思う。

なにはともあれ、お祭り最高!!

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