「頑張ることに意味はない」 と知って前向きになれた話
今の会社に入社してから6か月が経ち、今までで一番学びになったことがあったので言語化してみようと思う。
なぜnoteを書こうと思ったのか。
①同じ失敗をまた自分が繰り返さないように、少しでも言語化をして記録に残したい
②これまで怖くてできなかった自己開示を始めるきっかけにしたい
これが理由だ。
備忘録的な要素が強いし、多くの人にとっては「普通」の話だと思う。
でも1人くらいは共感してもらえる人がいるんじゃないかと思って、書いてみる。
自己紹介
・社会歴:2年目
・前職:化学メーカー 研究職 / 今:ITベンチャー
・今やっていること:amiという事業の立ち上げ(記事の作成がメイン業務)
・入社前は実力をどんどん発揮したいと思っていたが、頑張っているのにうまくいかない現状に悩む。
「頑張ることに意味はない」
この記事で言いたいことは、タイトルの通り頑張ること自体に意味はないということだ。
誤解しないで欲しいが、頑張ることを否定するつもりは一切ないし、頑張る必要がないと言っているわけでもない。むしろ頑張ることは、成功する上で必要不可欠とすら思っている。
ただ、頑張りは結果を出して初めて意味があるというのが、今回言いたいことだ。
「頑張る」はあまりに抽象的すぎる
今までタスクをこなす時、たしかに頑張っていた。夜中まで編集をしたし、休みの日にも仕事をした(もちろん勤怠はきちんとつけています)。心の中では「なんて自分は頑張ってるんだ!すごい!」くらいは、正直思っていた。
しかし肝心の結果はというと、ほとんど出せていない。「次こそ結果を出す!」と毎週のように意気込み、毎度のごとく「頑張って」結果をだそうとしていた。
そうすると次のようなループが起こる。
タスクを振られる⇒「頑張って」やる⇒結果が出ない⇒タスクを振られる⇒さらに「頑張って」結果を出そうとする⇒結果が出ない⇒(以下ループ)
そして、やはり例のごとくこう思うのだ。
「頑張っているのに、全然うまくいかない。きっとこれは頑張りが足りないからだ。もっと頑張らないと」
一度こうなってしまうと、あとは上のループをひたすら繰り返し、疲労は蓄積し、思考は停止する。そして、成果は余計に出なくなっていく。自分の心には、タスクに対する怖さや不安が日に日に積もっていく。自分でも気づかないうちに、負のループに突入していくのだ。
なぜこうなってしまうのか?
それは、「頑張る」ことが抽象的過ぎるからじゃないかと思う。
「頑張る」ことの問題点
「頑張る」ことは本当に厄介だ。
頑張っている本人は、自分に負荷をかけてタスクをこなしている(気がしている)ので、なんとなく達成感や承認欲求を募らしていく。しかし周りからしたら、「頑張ってやった」と言われても、どこをどう評価したらいいかが分かりにくく難しい。というより、評価ができない。
頑張りには「頑張り度:20」とか「頑張り度:100」といった定量的な指標がある訳でもないし。そのプロセスを評価しようとしても、「頑張っている」過程を正確に知るには、その個人を24時間モニタリングでもしない限り不可能だ。
なので周りに人は、大抵の場合「頑張りました!」と言われても、口に出すか出さないかは別として、「そっか頑張ったんだね。で、頑張って結局なにを達成したの?」と感じるのではないだろうか。
だからやはり、成果を出すことが重要なんだと思う。
頑張っている気持ちを唯一評価する方法。それは誰でも評価ができる「成果」という指標を出すことだと思う。そうすれば、「頑張る」という評価しづらいものも、成果をもとにして評価できる。「頑張る」ことに、自分も周りも意味を与えることができるのだ。
だから、1度立ち止まって考えてみる
そんなこんなで社会人になり、1年の時を経てやっと、なぜ成果を出すことが大事かが、自分事として腹落ちした気がする。なぜなら、成果こそが自分の「頑張り」を、自他問わず評価できる唯一の方法だから。
ではどうやって成果を出そう。
(この部分はあくまで個人的なHowなので、さらっと書こうと思います。もっといい方法があるよという方はぜひ教えてください!)
僕が1年もの間、成果を出す意味に気付かなかった1番の理由は、落ち着いて思考する時間を取らなかったことだと思う。
思い返せば、日常を蝕んでいたほぼ思考停止的な状況に対して、一定の違和感を感じてはいた。しかしその違和感を、「仕事がたくさんあるから、仕事が全部終わったら考えよう」という、やるやる詐欺を繰り返すことで直視しないようにしていた。
シンプルに阿保だ。日常が進めば仕事は際限なく出てくる。そこに、終わりなんてないことは誰でもわかる。
もしかしたら、怖かったのかもしれない。自分が成果を出せていない現実を見るのが。だからこそ、「頑張る」ことに逃げたのかもしれない。幾ばくかの満足感と承認欲求を一時的に満たしているに過ぎないと、頭のどこかでは薄々感づいていたのに。
ではどうやってその状況を打破するのか。その答えは「1度立ち止まって考える」ことだ。立ち止まらずに突っ走った結果、失敗したのだから立ち止まって考えればいい。
その上で次の3つを特に意識しようと思う。
①タスクの目的をまず考える
②明確な数値や成果をゴールとして設定する
③大きなゴールを達成するための小さなゴールを考え、設定する
まずはこれでやってみようと思う。やってやろうぜ自分。
15人いたら10人は「当たり前」を続けない
ある人が言っていた。
「自分の課題に対して、何をやればいいのかが分からない人は殆どいない。ただそれと同じくらい、実際に行動しそれを続ける人もいない。」と。
おそらく、15人決意をした人がいたら、それを実行し、続ける人はきっと5人もいないだろう。「弱みの言語化、やるべきタスクの細分化、目的達成のためのスケジューリング」。自分が続けられなかったことを挙げ始めたらきりがない。
今回もこうして文字にしてみたが、もしかしたらすぐに忘れて、今までと同じことをまた繰り返してしまうのかもしれない。
だからこそ、まずは立ち止まって考える方法について、今回考えたステップで考えてみよう。そして、数週間後、数か月後、数年後にこのnoteを再び見たときに「なんだ、こんなこともできなかったのか」と言えるようになろうじゃないか。
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締め方がよく分からないので、ドリュー・ヒューストン(Dropbox創業者)も言っている、僕の大好きな言葉を自己満足的に呟いて締めようと思います。
”Excelsior(より高みへ、向上し続けろ)”
長々とした駄文にも関わらず、ここまで読んで下さりありがとうございました。
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