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開かれた場をつくりたい ーPodcast番組「超相対性理論」#111~113「出雲から地方の可能性を考える」を聞いて思ったことー

ものごとには人それぞれのリレーションがある


Podcast番組「超相対性理論」のヘビーリスナーだ、たぶん。

これは、元々COTEN代表の深井龍之介さんが荒木博行さん、渡邊康太郎さんと始めたポッドキャスト番組で、「具体と抽象を行き来して、あることを見ていくと、様々な解釈が生まれることを楽しむ」番組だ。(だと私は思っている)発起人の深井さんは今抜けて、荒木さんと渡邊さんの2人がゲストを呼んで話す番組になっている。

ちょっと前のエピソードになるが、深井さんが再び登場した回があり、これを聞いていて、自分が最近ぼんやり考えていたことが、像を結び始めた気がする。少し考えが先に進んだ気がする。

それがこのエピソード
「#111~113 出雲から地方の可能性を考える」

いつも以上に的を得ない、具体なのか抽象なのか、わからない話が展開していた。
(個人的には具体の話しかしようとしないのに、具体的に話さない深井さんが面白かった)

ざっくりと深井さんの故郷である出雲という土地が持つ可能性について話していて、それは田舎であること(なにもないこと)、人により違ったリレーションを結べること、都会にいるときとは違うアウトプットができることなどが語られた。(ざっくりとです。誤読ありかもです)

さて、これを聞きながら、像を結び始めたこと。
それは、当たり前だけど、あるものごとと人との関係性は個別なので、人それぞれの関係があり、おそらく、それを認めたい、担保していきたいと自分は思っているということ。
ざっくりしているので、少しずつ深めていこうと思う。

それは場所でも、コミュニティでも、コンテンツでも、同じこと

例に出すのがわかりやすいかもしれないので、具体例を出そう。

読書会というのものを主催している。

小説に限定した読書会で、好きな小説を持ち寄って紹介し合うという会だ。コロナで休止したり、毎月開催できているわけではないが、もうかれこれ5年以上やっている。
読書会に来る人は様々だ。定期的にやっていると毎回来てくれる人や2回に一度来る人、年に一回来る人など、本当にそれぞれだ。もちろん、一回来たきりの方もいる。
つまり、人は自分の読書会と、それぞれに様々な関係を結んでいく。得たい価値はそれぞれだし、どう関わりたいかもそれぞれだろう。切り捨てられることもある。
基本はみんな楽しみたいと思ってやってくるのだろう。それは一緒だと思うがレベル感や楽しみ方が人により異なってくる。
好きな本を紹介して誰かの共感を得たい人もいれば、新しい本と出会うことを楽しみにしている人もいる。なんとなく本が紹介される空間に身を置きたい人もいるだろう。それぞれの気持ちを抱えてやってきて、満足できたら、楽しかったらまた来ようと思う。そんな感じだろう。

この読書会自体、コンセプトやら何やらの設計は、自分をターゲットにして構築した。自分が行きたくなるような要素を詰め込み、そして自分が嫌だと思ったことを排除した読書会にした。そこを開催するときに徹底した。
その裏側には、自分と同じような思いの人がいて、きっとその人たちに届けば気に入ってもらえるだろうというものがあった。
結果的に言えば、属性が似たような人が集まる会になったと思うが、やはりそのなかでもグラデーションがあり、どう参加するか、どう関わるかは様々である。
ただ自分としては、常連、つまり毎回来てくれる人が増えることをどうかで望んでいた。それはきっと自分の読書会には価値があると感じることができる大きな根拠になるからだろう。数字の奴隷、というわけではないが、自分がやっていることの価値の根拠を外側に求めていたのだと思う。
これはきっと無意識のうちに、参加者への方たちへ何かしらの基準というかレベルを求めていたのではないかと思う。参加の仕方や関わり方のレベル感にひとつの基準があって、それを越えて欲しいというか。なかなか偏屈な話である。

その期待のようなものを意識して外していったらどうなるだろう?
参加者それぞれが、自分の読書会とそれぞれのレベル感で関係を結んでもらえたらいいと意識的に思えたら、どうなるだろう?
会の運営の仕方は変わらなくても、自分の意識は大きく変わるような気がしている。

これは読書会というイベントやコミュニティだけではなく、コンテンツでも同じではないかと思う。
これも具体例を出そう。

文学ラジオ空飛び猫たち

海外文学を中心に紹介するポッドキャストをかれこれ3年ぐらい続けている。じわじわと伸びてきて、現在リスナー規模は1000人ぐらい。ヘビーリスナーは肌感だと700人ぐらいである。(毎週最新エピソードの配信後1週間の再生数が700~800なので、700ぐらいはいるのではないかという想定)いやはや、びっくりする。

毎週月曜日に最新エピソードを配信しているが、すぐ聞いてくれる人もいれば、1週間のうちどこかで聞く人も、もしくは1ヶ月分まとめて聞く人や、気になったエピソードだけ聞く人もいるだろう。あとは聞いてみたけど、途中でやめる人もいるはず。(ラジオを最後まで聞いてくれる人は全体の6割ぐらいとアナリティクスでは出ている)

ラジオをやっていると、再生数と最後まで聞いてくれる人の割合が気になる。ここを、いわゆるKPIとして捉えて、なんとなく数字を追っている自分がいる。アナリティクスをみるのは重要だが、それだけでは見えてこないものがある。

ここも全く気にしないでいることは無理だしコンテンツ制作のうえでは危険かもしれないが、過度に気にするのもよくない。コンテンツに対しての楽しみ方はそれぞれでいいはずだ。それをもしかしたら、読書会と同じように、どこか無意識のうちに求めてしまっている部分があったかもしれない。聞いてくれる人がすべてすぐ聞いてくれるヘビーリスナーであって欲しいというような。だいぶ、わがままな気持ちだけど。

だけど、そんな気持ちがあると認識したうえで、意識してコンテンツを作ることができたら、どうなるだろう?

目標やKPIに縛れない活動ができるかもしれない

活動するうえで目標は大切だし重要だと思う。ただそこに縛られてばかりでは意味がないかもしれない。これはなんとなく、ずっと、ぼんやりと自分の中にあることだった。
それはきっと趣味でやっている活動においては、尚更だろう。

もしかしたら自分が目指している価値とは、提供するのではなく、拾っていってくれるものなのかもしれない。ならば、それぞれが拾いやすいように、開かれた状態をどうやって作っていくか、維持していくか。それを意識してものごとを進めていけば、開かれた場を作ることができるのかもしれない。

もちろん、場を形成・維持するには、パワーがいる。自分1人で出来ることは限られている。ただ、もし一緒に何かを場を作ってくれる人がいるなら、このあたりの意識はなんとなく共有しておきたい。なんとなくでいいので。

個人的には最近ずっとブックカフェ&バーを作りたいと思っている。それももうちょっと本気で考えるべきときに来ているのかも。(資金も何もないが・・・)
というか、ブックやカフェやバーに限らず、本や映画や音楽が好きな人たちが集まって、自分好きなことについて話せる場所であればなんでもいいのだけど。

なにせよ、少しだけ、どういう場を作りたいか、理解が深まった気がする。

閉じた場も好きな自分がいる


ただ、一方で閉じた場というか、レベル感がぐっと一緒の人たちが集まって話したときに生まれる、意気投合感というか妙な一体感も好きだったりする。これは完全に閉じていくイメージで、あるときは開いて、あるときは閉じる、みたいなことが良い感じにできる場がいいのかもと思っている。めっちゃ無理臭いけど。でもやってみたい。

このあたりのことを誰かと思いっきり話したい。

ペアリングトークラジオというサシ飲み公開ポッドキャストをやっている。


「開かれ場を作ること」
このことについて思いっきり話してみたい、何かしらの場を作っている人もしくは場を作りたいと思っている人がいたら声をかけて欲しい。
ワインを1本飲みながら、じっくり語りたい。


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