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「本で人生が変わった」と言う人への違和感について

「あなたの人生を変えた一冊は何だろう」

本が好きだと公言していると、たまに「あなたにとって人生の一冊とはなんですか?」という問いをもらうことがあります。
このとき、一体何を聞かれているのか判断するのが難しい。
単なる人生で一番お気に入りの一冊なのか。
それとも、もっと深い意味があり、自分の人生を左右したほど影響力があった一冊を聞きたいのか。

自分では判断がつかないので、だいたい聞き返します。
「それは、人生で一番好きな本ということでしょうか??」
でもそれでだいたいは「いや、この本読んで人生が変わった!みたいなやつです」と返ってきます。

うーん。

結構困ります。
私は本が好きなので、言ってしまえば読んだ本全部に影響を受けていて、読んだすべての本に人生を変えられたと言ってもいいし、逆に全部に影響を受けているので人生が変わっていないともいえる。
とんでもない禅問答になってしまいます。
この感覚を、うまく説明できるかわかりませんが、もう少し言葉にしてみると、

日々本屋で見つけたり、人に薦められたり、SNSで見つけて興味を持ったり・・・いろんなきっかけで本のことを知り、読んでいます。読んだときの自分の感情の動き方はそれぞれでどうしようもなく揺さぶられることもあれば、知識として自分に留まっていくこともあれば、単なるストレス発散的に読んでいるときもあります。読んだ本を自分のなかでランク付けされていく感覚もあります。これは今まで読んだ本の中でトップ10に入りそうだなあなど。

でも、この本は人生のトップ10に入る本だからといって、人生を変えた!、みたいには私はならないんですよね。面白かった! 以上!みたいな。

そもそも人生を変えるってなんでしょう?

人生が変わるって、私の感覚的には、「異世界転生」か「生まれ変わり」のイメージです。そこまでいけば「人生変わったぞ!」と言い切っていいと思うのですが、普通の人生には起こり得ないはず。少なくとも私が生きている世界ではそうです。

とまあ、極論はおいておいて、一般的に「人生が変わった」というのは、きっと「自分が思いもよらなかった方向へシフトしていくこと」なんだと思います。想定外の方向に自分が向かい出した瞬間が、人生が変わった瞬間でしょうか。

でもこの世の中、想定外のことだらけですよね。
学校や仕事関連の人と朝出かけるときにどんなコミュニケーションを取るかわからないし、SNSを開いて何かを投稿すればどこかの誰かから想定外のリアクションがくるかもしれないし、ちょっと知り合い程度だった人が自分と同じ本を好きなことを偶然知って急に仲良くなってしまうかもしれない。昨日と同じ日は来ないわけで、一寸先は闇なわけで、想定の範囲内で起きることのほうが少ないはずです。

なので、偶然読むことになった本に「人生を変えられた」というのは、もはや自分にとってはあまり意味がないことなので、「この本が自分の人生を変えてくれました!」とは言いにくい。すべての本は自分の人生を変えているし、すべての本は自分の人生を変えていないと言えるわけです。
説明になったでしょうか。なってないかな。

そして自分が違和感を覚えるのは聞いてもいないのに「人生を変えた一冊」というのを語りたがる方です。「あなたにとっての人生の一冊はなんですか?」と聞いてくれる人は、だいたい自分の人生の一冊を語りたい人なんですよね。
彼らに妙な違和感を覚えるのです。
この人たちは人生を変えた一冊という話を通して、何が語りたいのだろうか、と。

「人生を変えた!」という言葉のパンチ力

聞いてみると、いろいろとパターンはありますが、大枠はふたつ。
ひとつは興味付けのためです。そこまでの内容の本じゃないけど「人生を変えた」と言えば、引きが生まれて、自分の話に興味をもってくれるだろうというパターンです。中身のない本の帯に書かれていることもあります。「いつも失敗ばかりの人生が、この本を読めば劇的に変わる!」みたいな煽り文句のようなやつ。発売時の帯に書いてある時点で嘘ですよね。サンプル0だろ、それ!みたいな。

そしてもうひとつは「人生を変えた」という言葉に頼っているパターン。本を読み終わった時に「すごい、面白かった、感動した、これを最上級で表現したい!」そんな思いが早まってしまい、空回って、「人生を変えた」と言えば、伝わると思って言っちゃうパターン。言っているうちに自分のなかで常套句になっていく人もいますね。そんな人にはこういいましょう。「で、どう自分の人生を変えたんですか?」と。だいだい答えられないか、「え?それ人生変わったに入る?」みたいな話が飛び出してきます。言葉のパンチ力に頼りたくて中身がないけど打ち出しちゃうわけですね。「これ、人生変わるほどの本なんだよ!めっちゃ面白かった!人生変わるぐらいに!」一ミリも伝わりません。
ちょっとこのテンションの高さの例は書き手の私に悪意があったことを認めつつ、まとめると、だいたいどう人生を変えたか言えない場合がほとんどです。つまり思考が停止しているんですよね、そこで。私もいろんな言葉に頼るので、自戒の念も込めてですが、こういうパンチ力が高い言葉はガードががら空きになるから要注意です。

そして「人生を変えた」で、なんとかしようとするやつ

さて、今回の結論です。
この考えを整理するために今回この記事を書いたといっても過言ではありません。
「人生を変えた」発言が多い人はだいたいにおいて、何か薦めたいものがあります。それがマルチビジネスなのか、よくわからない副業なのか、やたら排他的な宗教なのか、中身がない自己啓発本なのか、それとも本人は気付いていない自己顕示欲にまみれた自分なのか。とにかく彼らにはこちらに薦めたいものがある。それを「人生を変えた」というパンチ力をもって打ってくるわけです。

多分今までうっすら感じていた彼らへの違和感はここにある気がしてきました。

SNSで「人生を変えた本」について語りだす人の多くが、これに含まれると思います。

ただ、ちゃんとした「人生を変えた」の場合もある

やや悪意もありつつ、まとめてしまいましたが、「人生を変えた」と言う人の中には、しっかりとその理由や背景を語れる人もいます。例えば本であれば、とても大切な本で、自分の人生の宝ものであるような語り方をします。そういう人の話を聞いていると、その本を読みたくなります。完全に勢いだけではないですね。こういう人は自分から話し出すのではなく、聞かれた時に語る場合が多い気がします。

そう考えると「人生が変わった」というのは、行動や出会いの結果な気がしてきます。ある本の内容との出会いで、自分の中に大切なものがひとつ生まれたような感覚でしょうか。

実はこの記事、二ヶ月ほど寝かしていました笑

大枠を書いてからこの記事は二ヶ月ほど寝かしておりました。結構きつい内容を書いてしまったと思い、公開するか悩みました。書いてみたら自分の中の違和感は整理できたし、自分みたいな広いネット世界の片隅で好き勝手話しているだけの人間だから叩かれる心配はないだろうけど、何かの偶然で見かけてしまった人の中で傷つかない人も0ではないかもと。

でももしかしたら同じ気持ちを抱いてる人がいるかもしれないと思い、公開することにしました。

読んでもらえたらわかると思いますが、自分のスタンスを理解してもらい、私と考え方が違うなと思う人は、それはそれで間違っているわけでもなく、世界には相容れない人もいるということで。

実は最近SNSで見かける「○○な本、××選!これを読めば間違いなし!」みたいな投稿についても違和感を感じているのですが、ここを深ぼると、もっとひどいことになりそうなので、何かの機会に!(むしろ飲みの席で話したい笑)

次回は「本を読むことに使うエネルギー」について書いてみたいと思っておりますが来月公開できるといいな。

それではまた!


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