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待ち合わせたのはあなたでもあなたでもない

待ち合わせには必ず10分の余裕を持つ、これが僕の流儀だ。

今回待ち合わせたのは駅改札の前、広場となっている場所だった。
待ち合わせ時間は朝8時20分ととても早かった。

会社の先輩との待ち合わせだから、当然遅れるわけにはいかないと意気込んだ。
結果、待ち合わせ時間の50分前と言う、待ち合わせ時間を間違えた人がやってしまう時間差で到着した。

いや、ありえないでしょ、そう思う方もいるだろうが、僕もそう思う。
ただ現実は変えられない。
この時点で僕の流儀は、逆の意味で崩壊していた。

しかし、早起きは三文の徳と言うから、素晴らしい朝を迎えられたと僕は感じていた。
空も青いし、朝の空気は気持ちが良い。
何より時間に余裕があることで、心にゆとりができた気がした。

待ち合わせ場所に到着した僕は、少しお腹が減っていた。
朝早すぎたせいだ、お腹いっぱい家で白飯を食べるべきだった。
そうは言っても現場に到着してしまったものは仕方ない、近くのコンビニに入って、パンをひとつ買った。

木の周りを囲う様に円になったベンチが設置されていたが、350mlのハイボール缶やビールの缶、ペットボトルやらお菓子の食べ残しと袋等、様々なゴミが置かれた状態になっていたので、座る事を躊躇ためらった。
周囲を見渡すと、座る用のパイプと背もたれ用のパイプで構成されたベンチがあった。
調べてみたらどうやらこれを「サポートベンチ」と言うらしい。

気持ちは若くてもアラフォーの僕だ。
50分立ちっぱなしは正直厳しかった。
腰掛け程度のベンチでも、とにかく何かにすがり、休みながらパンを食べたかった。
そう思ってサポートベンチに腰掛けた。

サポートベンチに腰掛けながらパンを食べること5分。ゆっくりとパンを3分の1ほど食べたところのことである。
とある男が円になったベンチを2周したあたりで、その動きから目を離せなくなった。

目は細目で鋭く、わりと恰幅の良い、ラフな服装の男だった。
何かの儀式、もしくは日課にしている行動なのだろうかと考えを巡らせていた。

その時、男はあろうことか、ベンチ上にあるゴミの中から、残りカスの入ったスナック菓子の袋を取り上げた。

僕はその時、安易に「あー、お金がなくてお腹が減ってどうしようもないんだな」と思い、少し哀れみの目で見てしまっていた。

するとそのお菓子を食べるでもなく、僕の方に男が近づいてきた。
待ち合わせたのはあなたじゃない、くるな、心の中でそう強く感じていた。

念のため言っておくが、断じて目はあってはいない、そして、こちらに目を向けられた様子もなかった。
恰幅の良い男だ、絡まれたらタダではすまない、そんなオーラがあった。
だからこそ僕は、細心の注意を払いながら人間観察をしていた。
しかし、シックスセンス的に何かを察する、そんな人間もいるかもしれない、そう感じた。

だから、僕は焦った。
冷や汗が出て、緊張感で金縛りにあったかの様に身体が強張っていた。

「まずい。」

気付けば一言、ぼそっと呟いていた。

哀れみの目で見てしまったことに対し
「何ガンつけとんねや」
みたいなことを言われるとしたら、もうひたいを地面に擦り付けるしかない、そんな覚悟が必要な状況だった。

男との距離が膝と膝5mくらいに差し迫った時、僕は土下座シミュレーションを開始した。
開始の合図は男の発する言葉と決めていた。
発した言葉により、僕が瞬時に判断をし、謝罪の言葉を選ぶ、この流れが最適解だと判断した。

何か因縁をつけられれば即立ち上がって謝罪、最終的には膝を曲げ額を地面に擦り付ける、そんなイメージだ。

男との距離が1m未満となったその時、男を見ながら思わず立ち上がって一礼をしてしまっていた。
相手の言葉を待つ根性がなかった、と言うよりも、もはや脊髄反射だ。制御できない。
幾重にもシミュレーションしたが、本番となれば僕は応用の効かないポンコツだった。
それを計算に入れていなかった。

サラリーマンとして10年以上、スクっと立ってからお辞儀をするまでの動作は鍛え上げられていた。
その訓練されたキビキビとした姿勢とスピード感は、経験を活かしたそれだった。

そのため、およそ2秒間で脊髄反射を終えた。
一旦下げた頭を上げるにはとても勇気が必要だった。
頭を上げるには何かきっかけを必要としていた。

すると男は何も言わずに僕から1mの距離で突如ストップした。
これだ!と思い、チラッと何だと男の顔をこっそり覗き込もうと頭を上げ始めたその瞬間、男はまるで僕などいないかの様に、真っ直ぐ何かを見つめていた。

そしてスナック菓子の袋に手を突っ込むと、大空に向けて、残りカスを解き放ったのだ。

思わず
「えぇ、そうくる?」
と小声でボソリと呟いてしまったが、それと同時に絡まれたのでは無いと思い少し安堵した。

ただ、その安堵も一瞬であった。
解き放ったそのスナック菓子を目当てに、目が血走った大量の鳩が押し寄せてきた。

書いておきながらあまりに情報過多であった。
ちょっとここで整理しておきたい。

  • パンを食べている僕

  • 男が現れスナック菓子のゴミを拾った

  • それを持って僕に近付いてきた

  • 咄嗟に僕は男に頭を下げた

  • スナック菓子を上空に解き放つ男

  • 大量の鳩が寄ってくる←いまここ

要するに、ゴミスナックを鳩に与える男に僕は頭を下げ「野生鳩の餌やりご苦労様です!」の構図が、周りの人の目に飛び込む映像となっている。

ここは鳩餌やり禁止区域だ。
何ならデカデカとした看板が、黄色背景赤文字で禁止区域である事を強調していた。

それを横目で確認した。
なるほど、これは多分に気まずい。

そう感じた僕はこれまた脊髄反射により、まるでお辞儀等なかったかの様に、そっと2m先にある別のサポートベンチに近づいた。
そして男の動きを確認すべく振り返った。

大量に寄ってきた鳩は男を取り囲んだ。
その場だけ鳩の羽ばたきにより、男の髪が舞い上がり、まるでその男が風神に見えた。

それ眺めること10秒、男がまたもや近付いてきた。
どうやら、僕の横にいたスナックにありつけなかった鳩が目当ての様だ。

「やばい」

と感じたが、時はすでに遅かった。
風神は第二のスナック菓子を上空に解き放った。
今度は僕に直接、スナックが被弾するかもしれない様な距離だった。

もはや、周りの人からすれば、鳩に餌をあげる男を誘導する人に見えてしまったことだろう。
こうやって冤罪が生まれるのだと、奥歯を噛み締めながら必死に平静を取り繕った。

そして、悠然とした歩き方を装い、少し距離を置こうと男の位置を確認しつつ、今度は元の位置に移動した。
鳩は全て風神によって従順なしもべとなって、後をくっついて行ったものだから、元の場所は被災しないと判断したからだ。

その動き自体は良かった。
風神はそのまま鳩を従え、僕から5m、10mと距離を空け、いつの間にか視界から姿を消していたからだ。

一息つき、ドキドキから解放された僕は、再びパンを食べ始めた。
再びの平穏だ。厳しい試練を乗り越えたかの様な疲れが、どっと背中にのしかかっていた。

食べ始めること5分。
再び風神が円状になったベンチに参上した。
いや正確には、もう鳩を従えてはおらず、ただの男に降格していた。
そして男の手には、からになったスナック菓子の袋があった。

それをあろうことか、ベンチにその袋を投げ捨て、走って改札から駅構内に入って行ったのだ。

「それは常習犯の動き!」

と気付けば心でツッコミを入れていた。
男の一瞬の行動に唖然としていた。

清々しい朝が台無しになってしまった。
注意する隙も与えられず、清々しい朝を台無しにした男に文句の一つでも言ってやりたかった。
モヤモヤしながらも、仕切り直してまたパンでも食べよう、そう思い残りのパンを口に運んでいた。

すると、男に従っていたはずの鳩が、僕のパンを目掛けて近付いてくる様になった。
やつが残した最悪の置き土産だった。

「あの人、鳩に餌あげてる…非常識…」

行き交う人々からそんな声が聞こえてきそうな雰囲気がある。実際怪しげな目で僕を見る人もいる。

「この鳩達の教祖は今電車で逃走中です!」

そんな事を言ってやりたかったが、朝だ。
殺伐とした雰囲気の中その言葉を放ったところで、一層怪しい雰囲気が強まる気しかしなかった。

仕方ない。
人間対鳩の戦争だ。

僕はサポートベンチから立ち上がり、鳩に少し近付いて威嚇をした。
鳩は一斉に飛び立ち、僕から3から4mほどの距離を取った。

なんて絶妙な距離感だ。
僕がここで積極的に鳩への威嚇行為に出れば、周りの目から変人の様に見えるのは明らかだ。
かと言って、その距離にウロウロされていては安心してパンも食べていられない。

僕は相当考えた。
しかし、もはや選択は一つだった。
本当はやりたくなかったがやるしかない。

最終手段、そう思った僕は「進撃の巨人」を思い出していた。
「地ならし」が如く、僕は空に向かって足を大きく上げ、大地に向かって何度か蹴った。
足音威嚇大作戦だ。

「ターンッ!ターンッ!ターンッ!」

と言う大きな靴音と共に、鳩は一斉に飛び立ち離れた木の上に避難した。

「よし!やった!」

心の中でそう呟き小さくガッツポーズをした。しかし、僕は周りの人からの奇行を見る様な視線を強く感じた。

大作戦は諸刃の剣であった。
それはそうだろう。
駅の改札を出たら、足をバタバタと鳴らし、鳩を追い払いニンマリする男だ。

こんな人間とお近づきになりたい、なんて思うことはないだろう。
できるだけ避けて通り、後から振り返って、
「あいつ、何だったんだ?」
と話題を提供するほどの印象的なシーンを一般大衆向けに発信しただけだ。

僕は平静を装うことでしか、その逆境を乗り越える手段を見つけられなかった。
その視線を意に解さぬようにし、もう一度サポートベンチへ腰掛けた。
視線に反応をしてしまっては、いよいよ人間としての尊厳を失ってしまう、と考えていた。


そして、考えにふけこんでいるうちに10分くらい経過した。
すると今度は別の男が現れ僕に近付いてきた。

勿論この人も知らない男だ。
待ち合わせたのはあなたではない、心の中で2度目の同じツッコミを入れた。

どうやらその日の僕は、ブラックホールが如く何かを吸い付ける力が働いていたのだろう。

先程の件で、僕には多少の免疫ができていた。
そのため、男が近付いてきても何とも思わなかった。
もはや悟りを開いた仙人のような心で出迎えようとしていた。経験は人を強くする。

しかし、その男が僕の1m圏内に入ってきた時にはさすがの仙人も冷や汗をかき、顔を見上げた。付け焼き刃の経験は誤算を生む。

その男は僕の考えなど素知らぬ顔をし、僕の真横、距離で言えば30cm範囲内に腰掛けたのだ。

サポートベンチは沢山ある。
なんなら、僕が座っているところ以外、すべのベンチが空いている。
しかも、今いる僕の席は鳩との戦後跡地であり羽が落ちていて神秘的だが、汚れて見えなくもない。
一体何故ここを選んだ、その疑問だけが頭の中にずっと浮かんでいた。

そう考え出すと、男から目を離せなくなった。
仙人の様に振る舞おうとしていた僕は、大変愚かな行動であったと思い知った。
そう感じた僕は慌てて残りのパンを全部口に運び、持ってきた特選ミルクティーを飲みながら、スマホをいじるそぶりをし、周辺視野で男を観察していた。

すると男がリュックを開け始めた。
「おいおい、今度は何だ、豆でも出してばら撒くのか」
先程の男の動きがトラウマになっており、どうしても男と鳩を結びつけて考えてしまっていた。
にわか仙人には荷が重すぎる案件の様に感じた。

男が鞄に腕を突っ込み、中から取り出したのは500mlのハイボール缶だった。

「プシュ!」

男はハイボールを開け飲み始めた。
僕の30cm横でだ。
そして僕はミルクティーを飲んでいる。
ハイボール男の30cm横でだ。

一口飲んでは、
「はぁーっ!」
などと口ずさんでいる。
その光景があまりにも鮮烈過ぎる。
そして、真隣にいる僕の存在は、その男と酒を共にする人間に見えるだろう。

もはや、行き交う人達には、
「こいつら朝から呑気なもんだ、酒なんぞ飲みやがって」
「働きもしないで哀れなことよ」
こちらを見つめる人達は全員そう考えているだろうと悟った。

どうかその人達に伝えたい。
僕が飲んでいるのはミルクティーなのだと。
隣の男は距離感を誤っただけの同じ人間であるということを。

男がハイボール缶を一缶を飲み干すのは、とてつもない速度だった。
僕はその事実に救われた気がした。
飲み干したのなら、さっさと別のところへ行ってくれる、そう考えていたからだ。

しかし、男はリュックの中から同じハイボール缶をもう一本取り出したのだ。

僕は
「あ、この人、1人宴会中か」
そう思ったと同時に、黙って、そしてそっと、サポートベンチを立ち上がり、円になったベンチに腰掛けようと移動した。

円になったベンチは汚なかったが、もはやこの際何にも気にならなかった。
男との距離感を改め安堵した気持ちが強く、普段以上にミルクティーの美味しさを感じていた。

男は引き続き一口毎に、
「はぁーっ!」
と言っては凄い速度で飲み続けていた。

僕も、ミルクティーを一口飲み

「ふぅーっ!」

と大きめの深呼吸をしていた。

男は引き続き宴会を楽しんでいる。
自分の世界には僕なんて最初から居なかったかの様に、酒を飲み続けていた。

その光景を見て、何故か少し寂しい気持ちになった。
僕は男の行動から目が離せなくなっていた。
つまり、男の行動に惹かれていた、ということなのかもしれない。

何で朝だ。


そして、待ち合わせ時間の15分ほど前になった。
もうそろそろ先輩もくるだろう、そう思って改札口をずっと見続けていた。
すると、円になったベンチの丁度真反対に、60代だろう男が座った。
奇跡的にゴミが散らかってない場所であった。
男はリュックを開けると本を取り出した。

そうだよな、鳩の餌やハイボールを取り出す事の方が本来珍しいのだ。
こう言うシーンを僕は望んでいた、時間がゆったりすぎる様な、清々しくもゆとりある朝である。

すると1分もしないうちに、マウンテンバイクに乗った、これまた60代と思われる男が、読書男の1m手前で停止した。

「あ、友達がいたのか」
そう思ったのだが違った。

その男がリュックに腕を突っ込み取り出したのは缶ビールであった。
こちらは350ml缶であった。
しかもあろうことか、読書男のおよそ10cm横に腰掛けかけた。
読書男もたまげた様子をしているあたり、僕と同じ心境なのだろう。
読書男は、このビール男は知り合いではないと、平静を装う様なそぶりをしていた。
「この街はそういう街だ、自らの心を強く、いかなる時も動じない精神を求められる、この場で鍛えるが良い」
と、僕は心の中で、何故か上から目線で読書男への叱咤激励をしていた。

そしてまた1分もしないうちに今度は、歩きかつ袋をぶら下げた、ラフな姿の60代と思われるの男がやってきた。

これは明らかに酒だ。宴会目的だ。
僕はそう思った。そしてまたあろうことか、ビール男の反対側、かつ、読書男の10cm横に腰掛けた。
そして袋から酎ハイを取り出した。
傍目から見れば異様な並だ。

まず目を奪われるのはその距離感である。3人の間は10cmだ。
ゆったり座れるはずの円状ベンチに、男3人が10cm感覚でひしめきあっている。
その反対側には、僕1人がミルクティーを飲んでいる。

ここで、はたからこの光景を見た一般人は2択を迫られる。

  1. 僕を変な奴と思った男達が反対側まで避けて並んで座っている

  2. 3人の仲の良い男達が並んで座っている、僕はもはや眼中にない

僕の事をずっと観察していた人がいるとすると、もしかすると1を選択する人もいるかもしれないが、大体は2だろう。

ビール・読書・酎ハイ、つまり、
アルコール・ノンアルコール・アルコール

オセロであれば読書男はひっくり返り、自分も酒を煽るところだろう。

しかし、動じる事なく書物を読み込んでいた。
「経験は人を強くする」そう思った。

しかし、この画は強烈である。
滅多にお目にかかれない、そう思った時、この人達をもっと観察していたい欲が出てきた。

観察を始めて数分、なんと先ほど登場した、僕の横にたいたハイボー男が、酎ハイ男に話しかけたのだ。
何だこのカオスは。
ずっと観察していたい。
いつまでもここにいて、話を聞いていたい。
何なら混ざりたい。心がたかぶるのを感じた。

しかし正直、全く何を言っているのかはわからなかった。
日本語であるのかどうかも怪しい。
それがまた僕の好奇心をくすぐった。
ただ、お互いは通じ合い、笑い声が漏れている。
朝から非常に楽しそうである。

酒は国境をも越える。
いや、言語というものを超越した何かで結びつく、そんな事を感じた瞬間であった。

もっとこの人達の成り行きを見ていたい、そう感じ始めていた時、改札から先輩が来るのを見つけてしまった。

本命の待ち合わせ相手はあなただ。
あなたをずっと待っていた。
そう思うと同時に、

「クソッ!」

何故かそんな事をぼそっと呟いて席を立ち上がって、先輩の元に向かって歩いた。

物足りなさと引かれる後ろ髪、しかし前に進まなければならない日常とが格闘している、そんな複雑な心境だ。

僕は、この待ち合わせ場所に来た時から既に、待ち合わせする人を待っていなかったのかもしれない。
パンを食べながら、この駅に出没する人間味あふれた人達に触れ、その人達を観察したい欲が強まり、僕から待ち合わせする使命を心の奥底へと埋めてしまった。

この駅を利用する時、僕はまた朝早起きをし、ゆったりとサポートベンチに腰掛けるだろう。
様々な人間模様を観察したい、その欲求を求めて。

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